「憧れの職業」に就いている人は、意外に「成り行き」で今に至っている!?

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2018年10月25日 00:00  citrus

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出典:「Yahoo!ニュース 特集 サッカー日本代表を支える「なんでも屋」──裏方に徹するキットマネージャーという仕事」より

「人に羨ましがられやすい職業」っていうのがある。私の「文筆業」なんかも、比較的その部類に属する職業だったりする。

 

よく「ライターさんのお仕事って楽しそうですね」みたいなことを言われる。もちろん「いや、コッチはコッチでいろいろ辛いこともありますから…」みたいに無粋な返事はしない。たいがい「まあ、そこそこに…」と適当にお茶を濁している。

 

一番困るのは「昔からライターさんになりたかったんですか?」「小学校や中学校や高校のときから文章を書くのが好きだったんですか、大学のときから論文とかは得意だったんですか?」という質問だ。私は小中高のときから、とくに文章を書くことが好きなわけではなかったし、読書感想文を教師から褒めてもらったことも、作文でなにか特別な賞をもらった経験もない。大学の論文だって、いつも「可」だとか、頑張ってせいぜいが「良」だった。

 

私が今の職に就いたのは、まだ画材屋に勤めながら、ようやく駆け出しのイラストレーターとして仕事をポツポツと受けはじめた20代後半のころ、たまたま納品に行った某SM雑誌編集部のとなりにあったAV(=アダルトビデオ。オーディオ・ビジュアル機器の略ではない)専門雑誌の編集者から、「人が足りないからAV(作品)評論の原稿書いてみない?」と頼まれ、「タダでAVが観放題!? なんて美味しいアルバイトなんだ!」と安請け合いしたのがきっかけである。だが、その仕事は「2日間で30本の原稿を上げる」といったタイトなスケジュールで、一ユーザーとして楽しめたのはしょっぱな一本目の冒頭15分のみ。5本目あたりからは左手でリモコンを操作しながら、カラミ部分を早送り、ストーリー部分のみをノーマル再生でチェックし(※←通常とは真逆の鑑賞法)、右手でシャーペンを持って同時に原稿を書くような始末であった。こういった過酷な状況を「いったん受けてしまった仕事だからしょうがない」と乗り越え、私は“いつの間にか”ライターになってしまっていた。

 

「羨ましがられやすい職業」に就く者の略歴とは、おおよそがこんなもんだと思う。プロ野球選手でも、そりゃあたしかに「将来は野球でお金を稼ぎたい」といったぼんやりとした目標くらいは幼少期からあっただろうが、それ以前に、とりあえずは目の前にある“日々の気が遠くなるような猛練習”を淡々とこなして、“いつの間にか”プロになってしまっていたのではなかろうか。

 

Yahoo!ニュースのトップで『サッカー日本代表を支える「なんでも屋」──裏方に徹するキットマネージャーという仕事』なるタイトルのインタビュー記事を見つけた。とても良い話なので、詳細はぜひ↑をクリックして全文を読んでほしいのだが、同記事に登場する麻生英雄さん(43)は、おもにサッカー日本代表が練習や試合をするうえでの道具などを管理する「キットマネージャー」と呼ばれる裏方の仕事に就いている。

 

日本代表が召集され、合宿から試合までベタ付きで同行──ここだけを聞けばサッカー好きにはたまらない仕事であるに違いない。しかも、麻生さんはその仕事を21年間続けているらしく、つまり1998年のフランス大会から計6回、W杯へと密接に携わっているわけで、出場できるのは一度か二度、どんなスーパースターでも三度でしかない選手よりも、ある意味“憧れの職業”なのかもしれない。

 

キットマネージャーに就くきっかけは、1994年、大学受験の浪人中、偶然手に取ったアルバイト求人誌──それに載っていた横浜フリューゲルスのアシスタントマネージャー募集に申し込んだら、まさかの採用になったのだという。

 

そこからの経緯は、かいつまめば

 

大学受験断念→95年にデサントアディダスマッチで日本代表のスタッフになりキットマネージャーを始める→99年、アディダスが日本代表ユニフォームのオフィシャルサプライヤーになったのを契機にアディダスの社員に→07年、アディダスを退社して(当時)スイスにいた中田浩二のもとでサポート役を始める→退社と同時にJFA(日本サッカー協会)やJリーグにサッカー関連の人材を派遣し、また、そのスタッフの育成をする会社を仲間と立ち上げる

 

……といった感じなんだが、注目すべきなのは、麻生さんが最初は「サッカー経験ゼロ」からのスタートで、紅白戦で副審を任されてもオフサイドなどの判定すら怪しく、選手に怒鳴られていたクラスの“素人”だったという点である。

 

決して「目指した」わけではない。表現は悪いが、いわば「成り行き」で現在に到っているわけで、その成り行きのプロセスで目の前にある“やらねばならないこと”をひとつ一つ丁寧に、懸命に対処しつつ、“いつの間にか”サッカー日本代表にとって唯一無二なプロ意識を学んでいったのではなかろうか?

 

じつのところ、私はこの麻生さんと古くからの面識があり、2年ほど前、一緒に飲みに行ったときケホケホと咳をしていたら、「ゴメスさん風邪引いてるんですか? んじゃ、もうすぐ日本代表の試合があるんで、とっとと帰ってください」と、自分から誘ってきたくせに真顔で追い返されてしまった想い出がある。素晴らしいプロ意識だと、そのときの私は大いに感動し、とぼとぼと帰路についたのであった。

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