ロヒンギャ弾圧でスーチーへの同情が無用な理由

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2018年10月27日 14:42  ニューズウィーク日本版

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ニューズウィーク日本版

<ミャンマーの人権活動家モンザルニへのインタビュー後編。民主化運動の同志だったはずのアウンサンスーチーに容赦ない批判を浴びせる理由と、日本に寄せる期待とは>


<インタビュー前編はこちら>


***


――そして、08年にロヒンギャ弾圧の報告書を読み、本格的にミャンマー政府と対峙するようになる?


複雑で申しわけないが、実はその前に一度、軍と「和解」したことがある。


――どういうことか。


03年ごろからミャンマー軍が2つの勢力に分裂しかかったことがある。民主化の動きが進んでいたこともあってか、軍事政権も体制が安定していなかったのだろう。私は一方の勢力から請われてミャンマーに一度だけ帰国した。06年のことだ。軍から「ゲスト」として迎え入れられ、軍改革の助言を求められた。


――強制帰国ではなく、「ゲスト」?


そうだ。アメリカで活動する民主活動家として顔が知られていたし、軍の関係者も知っていた。軍事政権も民主化に向けたロードマップを発表するなど、状況は私が亡命申請をした時から変わっていた。だから私は政治難民の地位も放棄し、ミャンマーパスポートを手に入れて帰国した。


――具体的に、軍に提案した助言とは。


当時、インターネットが普及し始めていたこともあり、軍が国民から支持を受け続けるにはネットを国民にも広く開放し、情報へのアクセスができるようにすべきだと話した。そのほか、軍の運営が効率的になるような提案をいくつもしたが、結局、受け入れられた提案は1つもなく、分裂気味だった軍は元の鞘に戻った。


私は学生運動の時に味わった軍に対する失望を再び味わうことになったのだ。もうミャンマー軍に対して愛想が尽き、渡英した。


――そして、本格的にロヒンギャ問題に取り組むようになる。


08年の報告書は私の正義感に火を着けた。ロヒンギャに関する書物をむさぼるように読んだ。そして、ミャンマー政府や軍が平然と口にする嘘を見破った。彼らをはじめ多くの反ロヒンギャたちが口をそろえるのは、ロヒンギャという民族などミャンマーに存在したことはない、というもの。


だが、少なくとも1700年代にロンドンで発行された書物には、この地域にロヒンギャがいたとする記述がある。さらに、ミャンマーでは誰もが手に取ったことのある百科事典にも、ロヒンギャの存在を示す記述がある。これだけの資料がありながら、なぜロヒンギャの存在を否定できるのか。


――そして、その後のロヒンギャ大虐殺が行われるようになった。


そうだ。今に続く軍による弾圧にまたしても失望を味わった。それは今も続いている。


――スーチーを厳しく批判している。だが、ロヒンギャの人々ですら彼女に対する失望を示しつつも、軍による圧力のために彼女が自由に発言できないことを知っている。


スーチーへの同情には賛同できない。


――では、スーチーはロヒンギャに対して実質的に何ができる、あるいはできたと思うか。


彼女が12年にイギリスを訪れた10日前、ミャンマーで治安当局による大規模なロヒンギャ弾圧が行われた。その時、マバタや969運動やウィラトゥといった、ロヒンギャ弾圧を主導する過激派組織や人物の活動は今ほど際立ってはいなかった。


市民社会の中には反ロヒンギャの機運がまだ醸成されておらず、ロヒンギャに対するヘイトを受け入れる社会的余地も小さかった。ロヒンギャに対する軍の武器は銃器だけで、ヘイトをまき散らして世論を味方に付ける状況にはなかった。その後のロヒンギャ弾圧と虐殺は救える状況にあった。


ところが、ロンドン市内で開かれたシンポジウム に参加していたスーチーは、直前に起きたロヒンギャ弾圧についてだんまりを決め込んだ。私もその時、人権活動家として壇上に上がり、彼女の隣に座っていたので非常にショックを受けた。


私はシンポジウムの前日に主催者からロヒンギャ問題について答えてほしいと要請されていた。スーチーからも直接メールでロヒンギャ問題についての質問はあなたに任せるといわれた。当日、司会者は「この質問は、本当はスーチー氏に答えて頂きたかったのだが」と言っていたが、その通りだ。


この時ロヒンギャ弾圧を取り上げなかったことは、彼女が犯した最初の大きな過ちだ。当時、ロヒンギャ問題は今ほど注目を集めていなかったが、彼女はこの問題の考え方についての「基調(トーン)」や方向性を作ることができたはずだ。このとき既に事実上の次期国家指導者になることがほぼ確実だったのだから、スーチーがロヒンギャ問題について人道的な道筋を作っておけば現在のような悲劇を避けられたはずだ。


具体的に、彼女は少なくともこう発言すべきだった。「ロヒンギャの法的な立場(つまり国民かそうではないか)についてはさておき、私の政党が政権を取れば人権を最大限に尊重する」と。彼女自身、人権を踏みにじられた経験を持つではないか。無実の罪で逮捕され、軟禁を科されて自由を奪われた――。


ロヒンギャ問題において人権を優先させる方向性を示さなかったのは、今となっては取り返しのつかない初動ミスだ。


――ロヒンギャ問題に対する日本政府の対応にも不満だ。


何が日本政府を消極的にさせているのか知らないが、もっと自信を持ってロヒンギャ問題について発言してほしい。私の家族や古い軍関係者の中には日本に支配された過去についてはよく思っていなかったこともあるが、戦後の日本はほぼ全てのミャンマー人の憧れであり続けている。これは決してお世辞ではない。


――専門家や元外交官、関係者への取材を総合するに、(1)ロヒンギャ問題でミャンマー政府にたてつき日本がミャンマー市場で経済的不利益を被る可能性、(2)その結果、ミャンマーに対する中国の影響力が増すことを懸念しているようだ。


その考えは間違いだ。(2)についていえば、ミャンマー人の愛国心がどれだけ強いかを知れば、そんな心配は無用だ。


ミャンマーにおけるガス、オイル産業をみてもわかるが、中国企業が乗っ取るようなことは起きていない。多くの外国企業を競わせて合理的に産業開発をしている。ミャンマー軍は、中国に対して根源的な恐怖を抱いているため中国の軍門に下ることなどありえない。繰り返すが、ミャンマー人は非常に愛国主義的だ。多くの国民やビジネスマンは、中国が南下政策でラオスやカンボジアにどれだけの影響力をおよぼし、どのような状況になっているかを知っている。だからミャンマーが中国から支配的な影響を受けることを絶対に由としない。


だが、日本に対してそうした感情は一切ない。日本に対してあるのは尊敬と憧れだ。日本の教育水準、技術力、習慣、性格、謙虚さ――。そうしたことをよく知る現代のミャンマー人は、日本が再びこの地域を植民地にするなど誰も思っていない。事実、東南アジア諸国はもはや日本に対して公式謝罪など求めたことはない。


 


日本政府は明らかに日本の外交力とリーダーシップを過小評価している。外交官や政治家がこうした考えを対外的に主張しづらいのであれば、メディアを含めたインテリ層がもっと声を上げるべきだ。


――ロヒンギャの人権を守るためのモンザルニ氏の活動は非常にエネルギッシュで、思いが伝わってくる。それでも、稀有な立場で活動を続けていることに変わりはない。複雑な思いがあるのでは?


自身が特別な存在だとは思っていない。今となっては、軍の家系に生まれたことも、仏教徒であることも、ひいてはミャンマー人であることに対するこだわりもない。そうした呼称からは卒業してしまった。


少なくともこの問題においては、1人の人間として、ごく当たり前の尊厳を守る存在でありたい。ただそれだけのことだ。




前川祐補(本誌記者)


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  • マァ、次期国家指導者になることが確実だったスー・チー氏にとって、その時点で既に「出来れば触れたくない問題」であったことは事実だろう。問題が此処まで深刻化して国際社会からの非難が殺到するこ
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