『アニゴジ』は“ゴジラ作品”としてどうだったのか? 3作かけて向き合った壮大なテーマ

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2018年11月15日 13:32  リアルサウンド

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 4年の歳月をかけ制作されてきた、アニメーションによって表現されたゴジラの劇場用作品、通称『アニゴジ』3部作も、今回の『GODZILLA 星を喰う者』 で、ついに最終章を迎えた。


参考:アニメ映画『GODZILLA』は第二部以降が“本命”に 怪獣映画にアニメのメリットどう生かした?


 第1作『GODZILLA 怪獣惑星』では人類の苦難の日々と圧倒的な力を持つゴジラの驚異、第2作『GODZILLA 決戦機動増殖都市』ではその力に対抗できるメカゴジラの活躍と、そこから生まれる新たな問題が描かれた。そしてこの第3作『GODZILLA 星を喰う者』 は、ついにゴジラシリーズのなかでも人気と戦闘能力ともに最高クラスの怪獣「ギドラ(キングギドラ)」がゴジラに襲いかかる。


 前2作では秘密のベールに隠されてきたいくつもの疑問が、この最終作によって明らかになることで、本シリーズは、ついに全体を通してしっかりとした評価が可能になった。ここでは第3作を中心に、本シリーズがゴジラ作品としてどうだったのか、そして何を描いていたのかを明らかにしていきたい。


■怪獣バトルを忌避した前衛性


 まず、本シリーズが特徴的なのは、『魔法少女まどか☆マギカ』などで話題を集めた虚淵玄(うろぶち・げん)脚本による、いままでの実写作品とは一線を画す、設定の異様な作り込みである。


 核実験などの環境汚染によって、ゴジラを含めた数々の怪獣が出現した地球。人類の一部は半世紀にわたり逃げ続け、同じく怪獣の脅威にさらされていた二つの異星人種「エクシフ」、「ビルサルド」たちとともに宇宙船に乗り込み、長い旅の果てに、永住するための新たな惑星に到達するところから第1作『怪獣惑星』がスタートする。だが運の悪いことに、20年以上の時間をかけてたどり着いた惑星は、人類には居住の難しい環境であることが判明。議論の末、人々は地球に帰還することを選択することになる。


 相対性理論では、高速で移動すると時間の流れが変化するといわれる。人類が再び地球に戻ってきたときには、なんと地球上では2万年の月日が過ぎていた。これだけ時間が経てば、あのおそろしいゴジラとて死滅しているかもしれない……。しかし、その望みは、地上からの高エネルギー反応の検出によって無惨にも打ち砕かれる。やはりゴジラは生きていたのだ。幼い頃にゴジラの襲撃によって両親が死亡したことで恨みをつのらせていたハルオ・サカキ大尉は、ゴジラを倒す新戦術を立案。ここから人類とゴジラの新たな戦いが始まる……。


 第1作では、ゴジラとの戦いが開始されるまで、出来る限り簡潔に説明しても、ここまでのややこしい段取りがある。この回りくどさに加え、SFががっちり組み込まれた内容を理解するのに、最低限の科学的知識が求められる。この意味において本シリーズは、純粋に怪獣バトルを楽しみにしているような子どもの観客に照準を合わせていないことが分かる。実際、既存のシリーズが魅力にしていたはずの、プロレスのような怪獣バトルそのものが、本シリーズではほとんど描かれていないのである。


 この発想は、ある意味前衛的だとすらいえよう。アニメーションでゴジラ作品を制作するとなれば、多くの観客が期待するのは、実写では表現しにくい荒唐無稽な描写や展開であろう。だがここでは、むしろ実写シリーズの多くの作品よりも単純なアクション部分が少なく、物語は暗示に満ちて理屈っぽく難解なのだ。本シリーズを楽しめないという声も聞くが、そういう観客がいるのは、当然といえば当然であろう。


■新たな「意味」を与えられた怪獣たち


 ゴジラとはどういう存在なのかという問いかけも、ここでは比較的直接的に語られていく。本シリーズのゴジラは、2万年の歳月をかけ地球の環境と同一化しており、それはすでに「ゴジラ・アース」なる、地球そのものといえる存在にまでなっていた。第1作の時点では、環境を破壊してきた人類への痛烈な「しっぺ返し」が、ゴジラ・アースという自然と一体になったゴジラによって強調されている。


 第2作『決戦機動増殖都市』では、さらに複雑な設定の「メカゴジラ」が登場する。ここでのメカゴジラは、意志を持って周囲の物体を吸収しながら成長し続ける、金属生命体のかたちづくる都市「メカゴジラシティ」として描かれる。人類に協力してきた異星人種「ビルサルド」たちは、自ら金属に吸収され、人としての肉体を放棄してメカゴジラシティと同一の存在になることでゴジラを凌駕しようとする。


 「ゴジラ・アース」、「メカゴジラシティ」と、本シリーズの怪獣や兵器の概念は、いままでのシリーズ作品の要素を活かしながら、新たな解釈が加えられている。第3作『星を喰う者』で出現する「ギドラ(キングギドラ)」も同様であり、このギドラの存在の意味が明らかになることで、人間や怪獣の存在そのものが再び定義し直されることになる。


 第3作の冒頭で、環境生物学者マーティンが述べるのは、ゴジラを核実験によって生み出してしまったという人間の自滅的行為、じつはそれこそが人間が存在する意義そのものだったのではないかという仮説だ。それは不思議な考え方のように聞こえるが、実際に科学分野において、このような思考に近い説が存在する。


 混沌性、不規則性を表す「エントロピー」という科学用語がある。ビッグバンによって宇宙が誕生したときから現在に至るまで、世界は秩序のあった状態から、刻々と複雑に、無秩序になっていっている。そのことを「エントロピーの増大」と表現するが、生物も同様に、さまざまな種が増え進化や進歩を続けるなど、時間が進むほどに乱雑になり秩序を失っていくことが普通だと考えられている。宇宙の状態同様、生物もまたエントロピーを増やし続けていく。これ自体が宇宙の目的であり、生物全体の共通目的ではないかという考え方である。


 そして生物にとって、エントロピーの増大は、最終的に生物自体の破滅を意味するという。人間は進歩の過程で多くの技術を獲得したが、公害や兵器開発など、それが人間を滅亡させる方向にも向かわせる要素となったのは周知の事実である。その代表的なものが核開発技術であろう。本シリーズは、その脅威を「ゴジラ」として象徴化させているのだ。


■ギドラはなぜ無敵状態だったのか


 人間存在にまつわる本作の問いかけは、それだけでは終わらない。別の次元より現れるギドラは、人類の滅亡と引き換えに生み出されるゴジラを、さらに捕食する存在として表現される。ギドラ、ゴジラ、人間。ここに数万年の時間をかけた壮大な食物連鎖のピラミッドが完成する。


 ギドラが出現するシーンで、「特異点」、「エルゴ領域」などの言葉が人間たちのセリフのなかに組み込まれるが、これら専門用語が意味するのは「ブラックホール」である。ブラックホールは別次元への出入り口になっているのではないかという説があるが、これを利用してギドラは別の宇宙から移動して来るということが、本作の描写から分かってくる。


 多次元宇宙という考え方の下では11もの宇宙が存在しているといわれる。そして「余剰次元」と呼ばれる、我々の存在する次元よりも高次元の宇宙の物理現象を、我々は認知できないとも考えられている。ゴジラの攻撃がギドラに全く通じず、人類もその存在をほぼ観測できないという劇中の描写は、このような科学的な仮説をベースとしているのだ。「エクシフ」たちの手引きによって複数の宇宙を行き来することができるギドラは、来るべき宇宙の崩壊にも対処できるため、地球環境に縛りつけられているゴジラのレベルを超えた生物なのだということが想像できる。


 また、地球そのものであるゴジラ・アースが、なすすべなくギドラに捕食されていく構図は、強大なエネルギーを持つブラックホールが、星すら飲み込むことができるという物理現象を表していると考えられる。ブラックホールにとらえられた星は喰われていくしかない。これは自然の摂理であり、あらかじめ定められた運命であるといえよう。


■人間の哀しい運命と、遺された希望
 神官メトフィエスらエクシフたちは、人類を供物として儀式に利用するため、ゴジラの脅威にさらされ無力感にさいなまれた者たちを、自分たちの信仰する宗教によって導こうとする。その教義とは、力を持たない自分たちが食物連鎖の下位にある状況を受け入れ、生物の格差を肯定して強者の意志に従うことで、ささやかな連帯の高揚を味わい一時の恍惚感を得ようという、犠牲的でいじましいものである。面白いのは、このカルト的な宗教の蔓延が、疲弊した現在の日本やアメリカの社会状況を戯画化しているように感じられるということだ。


 ゴジラとギドラの戦闘は、メトフィエスが見出したハルオ・サカキの内面で「絶望状況のなかで人類はどう生きていくか」という、精神世界の葛藤の末に決着がつく。そして物語は、賛否を呼びそうな衝撃的なラストを迎えることになる。


 ハルオの最後の決断が示すのも、やはりあらかじめ決められた運命に抗おうとする反逆精神であろう。人間はどれほど酸鼻をきわめた事態を経験しようと、すぐに同じ過ちを繰り返してしまう。何度も戦争を起こし、危険な兵器や技術を開発してしまう。もしそれが人間という種に与えられた宿命なのだとすれば、人類が自ら滅びることは不可避である。ハルオはそんな運命を否定し「自由意志」によって、そのループから逸脱する行動に出る。定められた運命を凌駕する知恵や意志の力こそが、欲望や習性という限界に打ち勝つ希望なのかもしれない。本作はテーマをそう結論づけているように思える。


 前述したように、本作、そして本シリーズは、ゴジラファンの観客が期待するような怪獣同士のバトル描写はあまり用意されていない。さらに宇宙を舞台にしたSF世界や、人間の存在をめぐる哲学的要素を楽しめなければ、面白さは半減するだろう。しかし、ここまで露骨に壮大なテーマや深刻な問題を前面に押し出し続けるゴジラ映画があっただろうか。ゴジラファンの望む分かりやすいサービスを提供せず、3作かけてじっくりとテーマに向き合うという試みは、むしろゴジラシリーズに、印象的でユニークな爪痕を残したように感じられる。(小野寺系)


このニュースに関するつぶやき

  • 1作目の勝利とどんでん返しが良い。3作目は、MM9にも通じる怪獣理論かも。
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