「パパ活」という言葉はマーケティング会議の中で生まれた

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2018年11月20日 11:32  ニューズウィーク日本版

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ニューズウィーク日本版

<愛人契約や援助交際と何が違うのか。「ある種の希望」と「ある種の絶望」が感じられると『パパ活の社会学』著者は言うが......>


『パパ活の社会学――援助交際、愛人契約と何が違う?』(坂爪真吾著、光文社新書)は、近年よく耳にするようになった「パパ活」(女性が年上の男性とデートをして、見返りに金銭的な援助を受ける"活動")を考察した新書。


著者は、社会的な観点に基づいて現代の性問題の解決に取り組んでいる人物だ。本書は、以前取り上げたことのある『はじめての不倫学』(光文社新書)の続編にあたる(参考記事:「不倫はインフルエンザのようなもの(だから防ぎようがない?)」)。


パパ活に関わっている複数の男女にインタビューし、交わされる金額、年齢・職種についてなど、これまであまり明かされる機会のなかった「パパ活のリアル」を浮き彫りにしている。つまり机上の空論ではなく、緻密な取材に基づくファクトが軸となっているのである。


著者は最初、パパ活などという軽薄な言葉は、どこかのマーケターが考えた専門用語で、愛人契約や援助交際の単なる言い換えにすぎないと考えていたそうだ。その中で行われていることも、現代社会における男女間の経済格差や不平等といったシンプルな理由で説明できるだろうと。


ところが実際にパパ活の現場に出向き、そこで「活動」している男女の話を聞いてみた結果、事前に予想していたものとはまったく違った光景が見えてきたのだという。


だが結論から先に記しておくと、私にはその部分が理解できなかった。


 確かにパパ活の世界は、男性から金銭的援助を受ける見返りとして、女性が自らの時間と肉体を提供するという、愛人契約や援助交際と同列の世界であることは事実だ。 しかし、そこは恋愛や結婚に関する既存の制度や規範によって苦しめられている男女にとって、「ある種の希望」を感じさせられる世界であった。 それと同時に、既存の制度や規範を越えた先に待ち構える「ある種の絶望」を肌身で感じさせられる世界でもあった。(「はじめに」より)


具体的にいえば、上記の「しかし」以降の考え方が分からなかったのだ。著者を否定するという意味ではなく、緻密な取材によって「パパ活に関わる人々」の実態が生々しく浮き彫りになっているからこそ、彼らが考えていることの不可解さが際立ってしまったのだ。少なくとも、私の中では。


彼らにまつわる希望と絶望をうまく描き出すことができれば、現行の恋愛規範や結婚制度に適応できずに悩み、苦しんでいる多くの人たちの役に立てるのではないだろうかと著者は考えたそうだ。また、それが人間関係やコミュニケーションのあり方を捉えなおすひとつの契機となりうるのではないかとも。


ただ、「だからなぜパパ活なのか」が分からない。私の頭が固すぎるのかもしれないが、ここで取材されている人の言葉には、うなずけるものがほとんどなかった。


なお、パパ活をする女性は一般的に「交際クラブ」に登録して相手を見つけるのだそうだ。


 パパ活で稼いだお金は、自己投資にも使いたいと玲香さんは意気込む。「経験だけは奪われないので、旅行とかも行ける時は行くようにしています。勉強も含めて、自分のために使おうとメッチャ考えています。 1000万円の貯金がある女は、それを目当てに男が寄ってくるけど、1000万円を自分に投資した女は、男から『身一つで来い』と言われる、という格言を聞いたことがあるのですが、その通りだなと思います。与えた分は返ってくると思うし。稼いだお金をホストにつぎ込む人もいますが、それは勿体ない。全部自分に使いたいです」(22〜23ページより。19歳の女子大生)


 クラブで出会う男性の大半は既婚者で、独身の男性はほぼいないという。既婚者と交際することに対して、罪悪感はないのだろうか。「罪悪感は......ないです。お会いしている方がおおむね50代だから、ということもあるかもしれません。相手の男性がまだ30代だったら、奥様に申し訳ないと感じます。女性は30からが華じゃないですか。30を超えてからいい味が出るので、その時期は奥様だけを見ていてほしい。『家族の仲は良いけれど、妻とはもう長年性生活がない』という男性の方が、お付き合いしていて楽ですね。 交際クラブを利用している既婚男性の気持ちは......多分寂しいから、なのかな。50代くらいになると、奥さんとの性的な関係もなくなりますよね。妻以外の女性と非日常を味わいたい。でも風俗のように、ただやるだけの場所には行きたくない。一緒に食事して、それから『この後どうですか』と言えるような関係をつくりたいのではないでしょうか。(中略)「パパ活が流行っている理由は、需要と供給の一致です。女性は身体と時間を提供する。その見返りとして、男性はお金を提供する。もうバッチリじゃないですか」(75〜76ページより。32歳のモデル)


パパ活で稼いだお金を自己投資に使いたいという意見は、ポジティブであるように思えなくもない。が、それは現実的に「女」であることを(肉体も含め)武器にして稼いだお金だ。「女性は30からが華だから、その時期は奥様だけを見ていてほしい」という考え方もごもっともかもしれないが、個人的には「アンタに言われたくない」と感じてしまう。


そんな理由があるからこそ、「恋人でも、妻でも、愛人でもない関係を」などという都合のいい考え方を前提とされると、すごく疲れてしまうのだ。


もちろん私も愛されたいと思っているし、人並みに性欲はある。でも、パパ活している女性を相手にしようなどとは思わない。むしろ、そういう人は嫌だ。自分らしさを活かしながら、日常生活の中ですれ違う女性を対象にしたいと思う。


それが男としての技量ではないかと考えるからだ。交際をする以上は嘘をつきたくないし、だからこそ、恋人でも妻でも愛人でもない「第四の関係」を求めて交際クラブのドアを叩くという男性の考えは、都合のいいものとしか思えない。


だから、どう考えてもパパ活を肯定的に捉えることができないのだが、第6章「パパ活の生まれた場所」は、それとは違う意味でなかなか興味深く感じた。「パパ活」は現場の当事者たちのやりとりや駆け引きの中から自然発生的に生まれたものであるように思えるが、真実はそうではないというのである。


「パパ活」という言葉は、交際クラブ最大手の『ユニバース倶楽部』(本社・東京)によって戦略的につくり出され、戦略的に広められた「パワーワード」である。(172ページより)


「ユニバース倶楽部」の代表は、都内の音大を卒業後、フリーのトランペット奏者として活動したのち、そろそろサラリーマンをやりたいと思ってAVプロダクションの営業職に就いたのだという。そして最終的にはウェブ広告の担当部門に入り、社内独立という形で交際クラブを立ち上げた。


ウェブ広告の使い方から女性の集め方までが非常にシステマティックで、ビジネスとしてのクオリティがとてもしっかりしているのだ。「パパ活」という言葉も、スタッフとのマーケティング会議の中で生まれた。


「スタッフ全員、『交際クラブ』という言葉が大嫌いだったんですよ。この言葉を使って女性求人を打っても、悪い意味で何でも知っているような女性しか来ない。僕たちが欲しいのは、もっとピュアな女性の層です。その頃からは、交際クラブはセックスとお金の交換だけの世界じゃないと感じていた。多くの女性は、登録しているクラブでオファーが来なくなったら、他のいくつかのクラブを回ることが多い。でも、そうした回遊魚のような層はもういらない。自分の夢に向かって頑張る女性が、クラブで出会った男性からサポートを受けて、夢を叶えていく......といった世界にしたい。 でも、そこに『交際クラブ』といういかがわしい言葉の壁が立ちはだかっている。 だからこそ、新しい言葉を使うことで、これまでの交際クラブのイメージを切り替えようと思ったんです。そうした会議を重ねる中で生まれた言葉が『パパ活』でした」(179〜180ページより)


「ピュアな女性の層」「男性からサポートを受けて、夢を叶えていく」といったフレーズはやはり虚しく聞こえるが、しかし戦略的に仕組まれてきたことは事実で、そこは面白いと感じた。そして、それが利用者のニーズと合致しているのだから、「ビジネスとしては」成功しているのだろう。


なお著者は、パパ活の行われている交際クラブの世界は「自由恋愛の最果ての地」だと表現している。


 精神的に自立している(とされている)男女が、あらゆる制度や規範の縛りから自由になり、金銭のみを介して、いつでも・どこでも・誰でも・どのようにでも、自由に関係性を結ぶことができる。国境や国籍を越えた関係だけでなく、世間ではタブーとされている複数の相手との同時交際、既婚者との交際(不倫)も、ここでは当たり前のように行われている。求められるルールは「一人の自立した人間として、相手に何ができるかを考えること」のみ。二人の関係性をどのようにデザインするかは、あくまで当事者次第だ。(220ページより)


だが「二人の関係性をデザイン」などというとおしゃれな感じもするが、「金銭のみを介して」いる以上、それはデザインとして成立するのだろうか? しかも、著者も指摘しているように、パパ活の成功法則=「一人の自立した人間として、相手に何ができるかを考えること」は、恋愛や結婚の成功法則と同じだ。


つまり極論をいえば、恋愛や結婚も(金銭を介さないだけで)パパ活と同じようなものということになってしまい、そこには大きな矛盾が生まれる。だから結局のところ、本書を読み終えても私にはパパ活の概念は理解できなかったのだ。


『パパ活の社会学――援助交際、愛人契約と何が違う?』


坂爪真吾 著


光文社新書


[筆者]


印南敦史


1962年生まれ。東京都出身。作家、書評家。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に「ライフハッカー[日本版]」「東洋経済オンライン」「WEBRONZA」「サライ.jp」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、「ダ・ヴィンチ」などにも寄稿。新刊『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)をはじめ、ベストセラーとなった『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)など著作多数。




印南敦史(作家、書評家)


このニュースに関するつぶやき

  • それは売春を否定するかしないかです。   売春を否定して、パパ活を肯定するのは無理だべな。  そして女性への尊厳とも共存できない。    人類みなロクデナシとは共存できるけど。
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