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外国人が疑問に思う日本語「素直に嬉しい」「普通にすごい」 鴻上尚史がズバリ解説

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2018年11月20日 16:02  AERA dot.

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写真作家・演出家の鴻上尚史氏が、あなたのお悩みにおこたえします! 夫婦、家族、職場、学校、恋愛、友人、親戚、社会人サークル、孤独……。皆さまのお悩みをぜひ、ご投稿ください(https://publications.asahi.com/kokami/)。採用された方には、本連載にて鴻上尚史氏が心底真剣に、そしてポジティブにおこたえします(撮影/写真部・小山幸佑)
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 鴻上尚史の人生相談。「外国人の友人に、『素直に嬉しい』『普通にいうでしょ』の意味を問われた」と相談者。答えに窮する相談者に鴻上尚史が答えた、“世間”という共同体と日本人の処世術とは?

【相談11】「素直に」「普通に」の使い方? イギリス人の友人の日本語への困った問い(相談者・27歳 男性 Q)

 僕には日本在住3年になるイギリス人の友達、ジョンがいます。ジョンは某超優秀国立大学の大学院に通っています。頭がよくて瞬く間に日本語を覚え、いまや僕が知らないというか普通の日本人が使わない語彙も覚えだしました(関係ないですが、ビル・ゲイツそっくりです)。

 これまでジョンによく質問されて、日本語のニュアンスを教えていたのですが、最近、どんどん質問が高度になってこの間も困った質問をされました。

●なんで日本人は「嬉しい」の前に「素直に」をつけるのか。つまり、例えばスポーツ選手がいい成績を残すと「素直に嬉しいです」というあれです。

 もうひとつ、

●なんで日本人のSNSは、「普通にすごいでしょ」「普通にNGでしょ」と、なんでも「普通に」をつけるのか。「素直に」と「普通に」は枕詞のようなものなのか。

 なんだか「うっ」と思いました。枕詞なんていつの間に覚えたんだか。でもやっぱり答えづらいというか。日本にきたばかりの頃、すごく日本のことをほめていたのに、最近、ちょっと日本批判が多くなっていて、そうすると僕も気分よくはありませんし。もしかしたら批判したくて聞いているのかなと。「僕は使わないけどね」と言ったら「Qも言っていたよ」と返され、余計に「うっ」と(言った記憶ないんだけど)。なんか、うまく答えられる自信もなく、「日本語は複雑で察しあうのを大切にする言葉だから、まだジョンにはわかりにくいよ。うまく説明できるように考えておくよ」と言って終わらせてしまい、その後でちょっと落ち込みました。

 昔、「なんで日本人はお礼を言うときも挨拶するときもすみませんなのか」とジョンに言われたときは、日本の謙虚文化を説明したら、おおいに納得してくれたのですが、やっぱり質問がどんどん複雑になってきていて、今回はうまく答えられませんでした。これって、なんとなく同調圧力とか忖度も関係あるようなないような。

 毎週のようにテレビで外国の方々とトークしている鴻上さん、ジョンみたいな質問ありましたか? 鴻上さんならどう答えますか?

【鴻上さんの答え】
 Qさん。日々の日本国民としての国際親善のお勤め、ご苦労さまです。Qさんのような努力の積み重ねが、国際平和へとつながるんだと僕は思っています。いや、本気です。

 将来、もし日本が国際紛争を解決する手段として武力を行使しようとする時が来たら、どんなに正義の御旗が掲げられていても、相手国に友達がいることは、戦争への最後の理性的抑止力になります。武力ではなく、外交で国際紛争を解決しようと粘り強く交渉する一番の理由は、戦う相手国に友達がいて、戦場で殺し合うかもしれない、友達の家族に爆弾を落として殺すかもしれないという可能性を認識することですから。

 さて、僕なら、ジョンにこう答えます。

 昔、江戸時代まで日本は「世間」というシステムによって構成されていました。国民の多数である農民は「村落共同体」という「世間」に所属していました。商人は商家、武士は藩が「世間」でした。

 村の「世間」の人口が一番多いので、村で説明します。

 村の最大テーマは、「利水」でした。稲作や畑作のためには、村全体の田畑にまんべんなく水を引くことが最重要課題でした。

 雨がたくさん降った年はいいですが、日照り気味の年では、どこか一軒の農家が水を大量に使ってしまったら、他の田畑は全滅してしまいます。

 ですから、村の掟、「利水」に関するルールは死活問題で絶対に従うものでした。

「村八分」という言葉をQさんは知っているでしょうか? 村の掟に背いた者は、火事と葬式の時以外は無視するという厳しい処分のことですが、火事と葬式は人間的優しさで許しているわけではありません。

 火事は手伝って消さないと村全体に広がりますし、葬式は放っておくと死体を埋めないままで腐って疫病が広がる可能性があったから手伝ったまでです。

 この厳しさは、キリスト教やイスラム教などの一神教が信者に要求する強さと同じものです。

 旧約聖書に書かれた、神から与えられた戒め「モーゼの十戒」は、日本人には「盗むな」とか「姦淫するな」として知られていますが、一番目の戒めは、「わたしの他に神があってはならない」です。神は、私を唯一の神として信じる限り、お前を守ろうと言うのです。

 村という「世間」も同じです。村の掟を守っている限り、お前を守ろうというのです。

 日本人は宗教に関してはいい加減で、キリスト教の教会で結婚式をあげて、葬式は仏教で、初詣は神道で……なんて言われてますが、「世間」という強力な一神教が存在し、日本人を守っていたのです。

 実際、田植えの時期に身体を壊した一家の労働を、他の家族が肩代わりした例は普通にあります。水を平等に分配し、村の掟を守っている限り、村全体で住民を守ったのです。それが「世間」というものでした。

 今でも田舎に行くほど、高齢になるほど「世間様に申し訳ない」とか「世間体が悪い」なんて言い方をする人が増えます。

 江戸時代までの「世間」は、例えば、村の若者に嫁の来手がない時は、村共通の課題として相手を探しました。結婚し、子供を生み、村の未来の働き手を確保することが村の重要な課題だったからです。

 ですから、村人にとって「世間体が悪い」ことは重大問題になりました。「夜遅くまで遊んでいては、世間体が悪い」というのは、村の中では、「あそこの息子さんはどうも自堕落でだらしない。あんな男には、なかなか、嫁は世話できない」と思われたのです。

「世間」に所属している限り、生活はできました。逆に言えば、「世間」からハジキ飛ばされたり、抜けたりすることは生活の終わりを意味しました。

 武士で言えば、「世間」である藩を抜けること、脱藩はそれだけで犯罪でした。無宿者はなかなか生きていけなかったのです。

 ところが、明治になって政府は「社会」という概念を導入しました。村や藩、商家という「世間」だけでは、国家が成り立たないからです。

 教育のために、村や階級を超えて学校に人々を集めないといけません。殖産興業のために、やはり、村や階級を超えて労働者を集めなければなりません。富国強兵のために軍隊もまた「世間」を超えて集めなければいけません。

 そのために、「社会」という考え方を国民に植えつけようとしました。

 西洋には「世間」はありません。じつは、昔は「世間」と呼んでいいものがあったのですが、徹底的なキリスト教の教化によって、「社会」だけになりました。

 詳しいことはさておき、とにかく明治政府は西洋型に改革しようとして「世間」を解体し、「社会」を定着させようとしましたが、上からの改革はなかなかうまくいきませんでした。

 明治から100年以上たっていますが、まだ日本人には、「社会」という概念より、「世間」という考え方の方が身近なのです。

 例えば、「最近、あんた評判悪いよ」と言われて、「誰が言ってるんだよ?」と聞き返して「みんな言ってるよ」と答えられた時、多くの日本人はドキッとしたり、チクリとしたりするはずです。

 そのダメージの大きさが、どれぐらい強い「世間」に生きているかを教えてくれます。

 田舎の寄り合いでこの会話をしたら、多くの人はドキリとするでしょう。近所の人達40人が、全員、悪口を言っていると思ってしまうかもしれません。

 外資系の会社のオフィスの片隅で、この会話をしたら「みんな? エブリバディ? ジョンもスージーもチャンも? そんなバカな」と鼻で笑うでしょう。40人の社員のうち、何人かは悪口を言ってるかもしれないけど、全員なわけがない、とあなたは冷静になるでしょう。

 おばさま達の団体旅行にぶつかると、まざまざと世間を見ます。電車がホームに着いて、先頭のおばさまが飛び込んで、いきなり座席を確保します。そして、後から乗り込んでくる人に向かって「鈴木さん! 佐藤さん! こっちこっち!」と叫びます。

 でも、そのおばさまの次に乗り込んだ無関係の乗客は、「私が次なんだけどなあ」と唖然とするのです。

 おばさんにとって、知り合いの鈴木さんや佐藤さんが「世間」です。自分のすぐ後ろにいた一般の乗客は「社会」です。

 このおばさんは、「世間」の中では、性格がよくて面倒見がいい人で通っているはずです。でも、このおばさんは「社会」の人達は無視します。というか、おばさんにとって存在しないのです。

「世間」とは、「現在、および将来、あなたと関係がある、またはうまれる人」のことです。

「社会」とは、「現在、および将来、あなたと何の関係もない、うまれそうもない人」のことです。

 現代において「世間」は、職場の人だったり、隣近所の人だったり、公園のママ友だったり、PTAのメンバーだったり、学校やサークルの人達だったりします。

「社会」は、道ですれ違った人、一回だけ入ったお店の店員、同じ電車に乗っている人など。本当に自分と無関係な人達です。

 現在、私達は、「中途半端に壊れた世間」に生きています。壊れ度合いは、所属している所によります。

 職場で比較的「世間」が強く残っているのは、職種では、銀行、公務員、教員、電力会社などです。

 さて、Qさん。長い「世間」と「社会」の説明をしてきました。申し訳ないです。

 でも、この基本認識がないと、ジョンの疑問に答えられないと僕は思っているのです。

「世間」とは、共同体を尊重する考え方です。「社会」とは、個を大切にする考え方です。

 私達日本人の身体には、「世間」の考え方が染み込んでいます。詳しい説明はしませんが、先輩・後輩というのも「世間」のルールですし、お中元やお歳暮もそうです。引っ越し祝いも「先週はごちそうさまでした」という言葉も、「いつもお世話になっています」という会社の返答もすべて「世間」の考え方です。

 体育会系の組織は、「世間」が強いです。先輩が無理を言えば呑み込み、突っ込めという指示があっても自分の判断だと言わなければいけません。

 個人より、チームとか団結とか絆を求められます。全体としてどうだったか、集団として何を思うのかが優先されます。個人がどう思うのか、個人としてどうだったかを言うと、「場違い」とか「空気を読め」と言われたりします。

 でも、どうしても自分の感想を言いたい時があります。そういう時は、「世間」の中で、個人の感想を語ることが許される言葉を選びます。

 それが「素直に」という表現です。

 本当はこんな感想を語るべきじゃないんだ。成績がよくなかった仲間もいる。チームとしての課題もある。指導してくれたコーチへの感謝を先に述べなきゃいけないのも分かっている。だから、そういう人達への配慮をしないまま、単純に「嬉しいです」と言ってはいけないのは分かってます。でもね、心のままに言えば、「素直に」言えば、嬉しいんです。

 こんな言い方もできます。

 心のままに言うことが、「世間」に対して配慮不足かもしれないことは分かっています。チームの和とか団結を乱すつもりはまったくありません。ただ、その配慮をいったん置いて、「素直に」話せば嬉しいんです。すみません。今はこの気持ちをどうしても言いたいんです。分かって下さい。

 どちらも、「世間」という公が強い空間で、個人の感想を語ることを許してもらうための言葉が「素直に」という表現なのです。

 物凄く威圧的で威張る先輩と従順な後輩がマラソン大会に出たとします。後輩はなんと一位になります。学年最後で、もう後がない先輩は、百位以下という成績でした。

 後輩にマスコミが集まります。その横で先輩が睨んでいます。

 その時、後輩が「ものすごく嬉しいです」と答えると、先輩の怒りは燃え上がるでしょう。でも、「素直に嬉しいです」と言えば、先輩も少しはその心の動きを理解します。「素直に」嬉しく感じてしまうのは人間として当然なんだと。

「世間」という厳しい現実を生き延びる後輩の知恵でもあります。

 もちろん、個人の責任で戦ってきた、つまり「社会」で育ってきた人達は、嬉しい時は嬉しいと言えばいいだけなのです。

「世間」は、共同体ですから、みんな同じだと思いこみます。「うちの会社じゃそうやってきたんだ」「うちの地域はみんなそうしてるんだよ」「それがこのクラブの伝統でありルールなんだよ」……これらは全部、「世間」の考え方から出てくる言葉です。

 みんな同じ仲間だと思うから、「普通」という概念が出てくるのです。「社会」に生きる人はバラバラです。みんな違いますから、「普通」という考え方はできません。

 ニューヨークの小学校の教室を覗けば、そこには、「普通」はないことがよく分かります。人種も文化も違う子供達が集まっているのです。

 でも、日本人は、外見が似ていて、なんとなく共通の文化に生きていると思っています(じつは誤解なんですが)。

 だから、いまだに、「普通に言うでしょ」「それ、普通でしょ」とスタンダードを持ち出すのです。

 でも、私達は「中途半端に壊れた世間」に生きていると言いました。田舎でさえ、文化や指向は多様になってきています。朝6時、公民館から流される音楽をやめて欲しいと願う人達が出てきました。まして、外国人もたくさん生活し始めています。「普通」と簡単に言えない状況になりつつあります。

 どうでしょうか、Qさん。

 納得するかしないかはQさん次第ですが、異文化の外国人とつきあうということは、自分が当たり前だと思っていることを揺さぶってくれます。それは、とても素敵なことだと僕は思っているのです。

「世間」の説明をもっと詳しく知りたいなら、拙著『「空気」と「世間」』(講談社現代新書)。外国人との異文化のぶつかり合いを知りたいなら『クール・ジャパン!?』(同)を。宣伝みたいになりましたね。いや、申し訳ないです(笑)。

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このニュースに関するつぶやき

  • お前のは個人主義の皮を被った利己主義だろ?配慮や感謝の何が悪いのか?本当の言論弾圧は素直や普通つけてもSWCユダヤキリスト創価メディアみたいに抹殺しに来るからどんな言葉使っても意味ないんだよ。外国人が疑問に思う日本語 鴻上尚史がズバリ解説 (AERA dot.)
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  • 普通に長い説明だなと素直に思います(´・ω・`)
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