写真 「手紙を書く女」/1665年頃 ワシントン・ナショナル・ギャラリー。手紙をテーマにした作品6点のうちのひとつ。ふいに手を止めた時間が見える(National Gallery of Art, Washington, Gift of Harry Waldron Havemeyer and Horace Havemeyer, Jr., in memory of their father, Horace Havemeyer, 1962.10.1) |
上野の森美術館で開催中の「フェルメール展」。現代人だから楽しめるフェルメールの魅力を、作家でキュレーター経験のある原田マハさんがおしえてくれた。
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「できれば一晩ここに、泊まっていきたいくらい」
作家の原田マハさんは、展覧会場の作品を前に、そう言ってため息をついた。アンリ・ルソーやピカソの名画を題材にしたアートにまつわる小説で知られ、かつてキュレーターとして美術館勤務の経験を持つ原田さんにそう言わしめたのは、開催中の「フェルメール展」だ。たった35点だけが残るとされるフェルメール作品のうち、国内美術展史上最多の、のべ9点もの作品に「上野の森美術館」で会える。
「ここ数年、小説の題材として興味を持って世界各地でフェルメールを見て回っています。彼はゲームチェンジャー。どんな展覧会でもコレクションでも、フェルメール作品が出てきたとたん、がらっと流れが変わる。美術史のなかでも、クールベ、ドラクロワ、ゴッホ、モネ、ピカソなどと並ぶゲームチェンジャーの一人だと思います」
どれだけフェルメールがユニークだったのか。何より語るのは、その作品だ。例えば「手紙を書く婦人と召使い」。さまざまな解釈があるが、原田さんはこう見ている。誰かから来た手紙を画面下に投げ捨て、イライラしながら返事を書いている婦人。そして婦人から見えないのをいいことに、うんざり顔を見せている呼びつけられた召使。
「婦人がイラついて、わーっと書いている手紙の筆圧までが伝わってくるようです。絵でありながら、一連のドラマをムービーで見せてくれるような、そんな見事な一枚だと思います」
ほかにも「牛乳を注ぐ女」のミルクの流れ落ち方、「手紙を書く女」や「赤い帽子の娘」のヒロインたちのイヤリングの揺れや毛皮のうごめきなど、フェルメールの作品には、そんな時間の流れが見えるものが多い。
印象派が登場するまでの絵画は、動いているものをどうやって止めて描くかが重要だった。永遠ではないものの時間を止めて、いかに2次元のなかに押し込められるかが画家の技量でもあったのだ。
「一方フェルメールがやったのは、逆のこと。動いているものを、動いているように描いた。現代では当たり前の表現ですが、17世紀においては、ずば抜けてユニークで、ずば抜けて新しい、当時の“現代アート”のような存在だったと思います」
今私たちが使っているようなカメラがまだなかった時代に、まるで写真で撮ったような視線を絵画に取り入れたこともそうだ。なぜフェルメールは、こうして現代に通じる新しい手法を事もなげに取り入れることができたのか。
「もしかして彼は、未来に行って帰ってきたのではないかと思うこともありますね。それくらい自分たちと同じ視線を持った17世紀の画家に、私たちはひかれる。そうしてフェルメールを120%楽しめるのが、現代人の私たちの得しているところですよね」
原田さんが今、小説家として興味を持っていることのひとつが、フェルメールの現存作品の少なさだ。当時の美術界でユニークすぎる作品価値が認められず、捨てられたり上書きされたりしたものがあるのではないか。古いカンバスとして、別の画家に再利用された可能性があるのでは、というのが“原田説”だ。
「これは私の想像ですが、同時代のオランダの風俗画をX線で検査したら、もしかしたらフェルメールの絵が出てくる可能性だってないとは限らない。いろんな説がありますが、ミステリアスなその私生活と並んで、どのようにフェルメールの絵が散逸してしまったのか、8点もの作品が並んだ今回の展覧会を見て、さらに興味をひかれました」
美術展実現の苦労を知る原田さんの持論は、「展覧会は一期一会」。世界各地の美術館を訪れてフェルメールを見るようになったのも、かつて米国での大規模なフェルメール展を見逃してしまったことがきっかけだったという。フェルメールを題材にした原田さんの小説が将来世に出ることにもわくわくしながら、このチャンスを見逃すべからず。(ライター・福光恵)
※AERA 2018年11月26日号