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「いい母」の呪いをかけるのは誰か

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2019年01月31日 12:01  MAMApicks

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MAMApicks

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子どもに何か問題があると、母親はすぐに「愛情不足では?」と言われがちである。
そして、母親が
「物心つかない子どもを預けて働きに出る」
「子どもを預けて大人だけで遊びに行く」
「子どもにテレビやスマホを見せっぱなしにして積極的に関わらない」
「親が子どもの前でスマホをいじっている」
「料理を手抜きする」
などの行動をしていると、「子育てを放棄するダメ母」のレッテルを貼られてしまう。

"実にナンセンスだ。こんな規範は日本だけだ。"
"海外の母親は、そんなことてらいもなくやっている。"
"日本の女性よ、もっと自由になって!"

そういうトーンの、ネット上の書き込みや記事は巷にあふれている。
だから、私は「そもそもそういうことを気にしないぞ!」と思いながら子どもを産んだ。

しかし、実際に子育てしてみると、よっぽど心を強く持たないとなかなかそのポリシーは貫けない。
なぜ罪悪感を覚えてしまうのか。それは「世間」からの強いプレッシャーを受けるからなのだ。


■「世間」は親や親せきだけではない
ところで、「世間」とは何か
まず思い浮かぶのが、親や上の世代の親戚である。
自分と血縁関係・姻戚関係のある近しい存在こそ、「子どもがかわいそう」「たった数年、子どもが小さいうちくらい我慢できないの……?」なんてデリカシーのないことを言ってくるものだ。

しかし、「世間」というのはそれだけではない。
幼稚園に通う友人からたまに話を聞くと、「母親たるもの、子どもに奉仕して当たり前」という価値観を押し付けてくる園がいまだに存在するのだと実感する。
私立幼稚園はその園の方針をよしとして入園を決める保護者がいるから、専業主婦が当たり前だったころの価値観からアップデートされていなくても、いまだに強気でいられるのだろう。

では保育園は?
保育園には子どもだけでなく親をサポートするという側面もあるし、利用者の多くは女性も男性と同じように働く世帯だ。
なのに、意外と呪いをかけてくるのである。

■ベテラン保育士の「嫁いびり」
私の娘が通っている保育園は、子どもが伸び伸びと過ごしているし、職員も生き生きとしていて離職率が少ない。園長先生も主任の先生も、ベテランの知識をもとにやさしく親身になって育児相談に乗ってくれる。そして、柔軟性もある。保護者の声を受けて、手作り準備品や行事予定なども昔に比べてずいぶん負担のない形に変えているようだ。だから、本当にこの園に入園できてよかったと思っている。

しかし、そんな園でも、個人レベルでは、「えっ」と思うような時代錯誤な価値観を押し付けてくる保育士が存在するのだ。

その言動を列挙すると、こんな感じである。
・母親が忘れ物をするなどのミスをすれば、ちくちくとお小言を言う。そして父親がミスをすると、「お母さんがお父さんをサポートしてあげないと」と母親に注意する。
・父親には「お父さんにこんなことやってもらうのは申し訳ないんですけど……」と言う。
・「おたくのお子さんは、ほかの子に比べてこれが苦手です。おうちでもしっかりみていますか? ちゃんと練習してください」という(ちなみに「ほかの子に比べてここがダメ」というフレーズはわが子以外にも、複数の母親に対して言っているということがわかった。つまり、みんなどこかしら「ダメ」ってこと!)。

やーれやれ、これじゃまるで嫁いびりである。

■なぜ、保育園の預かり時間に私用を済ませてはいけないのか
保育士個人ではなく、保育園の制度自体も親に呪いをかけていると感じることがある。
たとえば、認可保育園の結構な割合で設定されている、
「親が休みの時は子どもも家でみてください」
「仕事が終わったら寄り道せずにお迎えに来てください」
といルールだ。

大人が子ども抜きで自分の時間を過ごすことに罪悪感を覚えてしまうのは、このルールも大きいのではないか。
実際に私自身も、このルールのせいで、取材や打ち合わせで平日日中に自宅から駅までの距離を歩くのすら後ろめたい。早番を終えて帰る保育士や、育休中の園児の母親に会うとドキッとするのだ。努力してこの働き方を実現して、ちゃんと稼いでいるのだから堂々としていいはずなのに、どうしてこんな思いをしなければいけないのだろうか。

それにしても、園が閉まるまでの時間に間に合うという前提で、ちょっと買い物を済ませてから迎えに行くとか、園があいている日に子どもを預けて仕事以外の用事をすることは、そこまでいけないことなのだろうか。

園によっては、親が体調不良で寝込んでいるときも、「保護者がお休みなので家庭保育で!」といわれるところがあるという。
これって……やっぱり変じゃないですか?

まあそんなことを書くと、必ずと言っていいほど、「え? 認可保育園って『保育に欠ける』家庭の子どもを預かるからでしょ?」というツッコミがたくさんくるものだ。しかし、2015年度からは子ども・子育て支援新制度が始まって、認可保育園は「保育に欠ける」家庭の子どもではなく「保育を必要とする」家庭の子どもが通えることになった。つまり、預けることのできる世帯の範囲は広がっているのだ。

しかし、「保育を必要とする」世帯が対象になっても、いまだにこのルールが健在の園は多い。お迎え前の寄り道や、親がお休みのときの保育は保育園にとっては「保育を必要としない」ということなのだろう。

なぜこのルールがいまだまかり通るのか。だいたいその理由は下記のふたつだ。

1.子どもが小さければ小さいほど、園に長時間いるのはストレスになる
2.専業主婦は子どもを預けずに頑張っている

1はわかる。たしかに保護者の労働時間は長いから、子どもに無理をさせているなあと思うことがある。もっと短い労働時間で生活できるようになればいいし、短い時間しか働かなくても不当に差別されない社会が来てほしいと思う。

では、2は? これについては大いに異議を唱えたい。そりゃ、現状では専業主婦は気楽に預けられる手段が本当に少ないから、「私だって子どもを連れずに買い物したら楽だと思うけど、なぜ保育園児の親だけそれが可能なわけ?」と思うのは仕方がないことだ。とくにどこにも保育園が決まらずに退職を余儀なくされた人なら、なおさら不満に思うことだろう。

それでも、あえて言いたい。
「合わせるの、そっち? 逆でしょ?」
むしろ専業主婦でも気軽に預けられるようにならなければいけないのだ。

また、現状「ちょっとくらい余分に預かってよ」という言い分が通用しないのは、ただでさえブラック労働が問題になっている保育士が、さらにブラックな労働環境で働かざるを得なくなくなるからだ。

保護者の「ちょっとくらいいいでしょ」が容易にエスカレートして、「飲み会なので終電まで預かってよ」とか「年中無休でよろしく」などと言い出しかねないことを危惧して、このようなルールがいまだに健在なのだろう。

そう考えると、保育士の待遇をグッと上げてなり手を増やし、ゆるいシフトを組めるようにし、それでも生活できるようにしなければいけない。

こんな社会、しょせん絵に描いた餅だろうか。とにかく、さまざまな課題が明らかになっているのにもかかわらず、政策決定者は問題の本質から目をそらし続け、状況は遅々として改善しない。だから、現実的には私たちはできる範囲で協力していかなければ回らない。それはわかっている。

ただなあ。
いつも思うのだが、なぜ母親に協力を求めるときって、上から目線なんだろうか。
仕事で取引先に厳しい条件を飲んでもらうとき、
「これこれこういう理由でまだお金も人も足りません。〇〇年後の問題解消に向けてここまで改善しましたが、現状では皆さんのご協力なしでは成り立たないのです。申し訳ありませんが、ご協力をお願いできませんか」
くらいのことは言いませんか?

なのになぜ、母親相手になると、
「母親たるもの、〇〇すべきです」とか「子どものためですよ」という言い方をする人が多いのだろう。
親は取引先とは違う、子育ては仕事と違うんだから当然だって? その思い込みこそが「呪い」ではないのか?

だいたい、子育て界隈では「子どものため」っていうフレーズを乱発しすぎなのだ。
言われた相手はぐうの音も出ないのを知っているから、つい使ってしまいたくなるのだろうが、そのうち「子どものために裸踊りをしてください」とでも言い出しかねないような勢いじゃないか。

ま、つまり今の社会の既得権益層にとっては、「いい母」とは機嫌よくタダ働きしてくれる「都合のいい母親」なのである。
「いい母」でいてくれれば、何かと安上がりで済む。

「世間」がやたらと「いい母」の呪いをかけてくるのは、母親たちに「このしんどい状況を作った責任をとれ! おまえも痛み分けしろ!」と自分たちに矛先を向けられたら困るからだ。それよりは、母親自らが「しんどいけれど、それを我慢する私は『いい母』」と思い込んだり、母親同士で「文句を言うあの人は『いい母』じゃない。改心させないと!」と自主的に潰しあったりしてもらったほうが助かるのである。

だから、私たちはやはり「いい母」の呪いに負けてはいけないのだ。

たとえば、労働者が雇用主に、
「1日3食、食パン1枚ずつしか食べてないし、起きている時間はずっと働いていてほかにお金を使う暇がないのに貯金ができません。せめて1日1食はジャムが塗れるくらいの賃上げをしてほしい」
と要求したときに、
「世の中にはあなたの半分の給料で、パンの耳だけを1日1食しか食べずに貯金している人がいます。その人がいるのに、よく昇給を要求できますね」とか、
「そんなにジャムがほしいなら、親御さんにもらったら?」
「今となってはそれもいい思い出。麦芽糖の素朴な味を楽しんで!」
などと説得されたらどう思うか。「屁理屈言ってないで金よこせ」と言いたくならないか?

「いい母になれ」という呪いは、こんな屁理屈を言われるのと同じようなものなのだ。
その状況に甘んじていていいわけ? 丸め込まれてどうすんのって話だ。

もし、「いい母」になろうと頑張っている人や頑張ってきた人は、「いい母」ではない人が、楽しそうに暮らしていると、胸の焼けつくような猛烈な怒りに突き動かされるに違いない。「自分はこれだけしんどい思いをして『いい母』をしているのに!」と声高に叫びたいし、思わず「教義に反する人」をたたきたくなる。これが「嫁いびり」の構造だ。

しかしそれは、呪いをかける側にとっての思うつぼなのだ。たしかに同じ母親、自分よりも経験値の低い母親は叩きやすい。手軽に留飲を下げられる。でもそれをやっても自分の取り巻く環境は決して良くならないし、しんどい思いをしたわりに、ずっと夢想してきたほどのリターンはない。だから、巡り巡って自分の首を絞めることになるのだ。

とにかく、戦うべき相手を見失ってはいけないのである。

今井 明子
編集者&ライター、気象予報士。京都大学農学部卒。得意分野は、気象(地球科学)、生物、医療、教育、母親を取り巻く社会問題。気象予報士の資格を生かし、母親向けお天気教室の講師や地域向け防災講師も務める。

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