内閣府の調査によると、昭和55年の「夫+専業主婦」世帯は1114万。これに対して「共働き夫婦」は614万世帯ほどだった。しかし平成25年には、その数がほぼ逆転。約1100万世帯が「共働き」となり、現代日本では、家事・育児の男女分担が当たり前の世の中になっている。
■「言ってくれればやるのに」って、仕事じゃアウトでしょ…?
|
|
不思議なもので、昭和の時代から30年が経つ今日に至っても、家事能力が著しく低い男性が目立つ。共働きで、妻がフルタイムで働いているにも関わらず、
「俺より妻が料理を作ったほうが美味しいから」
「洗濯や掃除はニガテだから」
「育児は母親がやったほうがいい」
|
|
などと、くだらない理由を付けては努力を怠る男が多いのだ。挙句の果てには、
「言ってくれれば、(家事を)やったのに!」
|
|
と。そんな低能なセリフを吐く男もいるから始末に負えない。もしも会社でそんなセリフを言おうものなら、間違いなく「無能」のレッテルを貼られることだろう。
「言ってくれれば、俺が引き受けたのに」
「言ってくれれば、あの書類作ったのに」
「言ってくれれば、会議で発言したのに」
こんな言い訳をされたら、誰しもが「社会人なんだから、言われる前にやってくれよ!」としか、思わないだろう。
これは家庭内でも同じことが言える。
「言ってくれれば、掃除したのに」
「言ってくれれば、子どもの面倒を見たのに」
「言ってくれれば、お皿くらい洗ったのに」
妻にしてみれば「なんでこんなダメ人間と結婚しちゃったんだろう?」と、過去の自分を問い詰めたくなる心境になる瞬間だ。
■実は大変な「名もなき家事」。できている夫は「1割」程度!?
言われてからやる行為、それはただの「手伝い」でしかない。例えばこれが会社であれば、「言われたことだけをやるヤツ」は、社員ではアルバイト的扱いで十分、ということになるだろう。会社であれば、給料の上下があることにより、有能・無能のレッテルを簡単に貼ることができるが、家庭ではそうもいかない。
家庭というのは、夫婦それぞれが自発的に動くことによって成り立つひとつの“社会”であり、そもそも「ふたり」で分担して回すべき“家のこと”なのだから、夫だけが受け身になって、「お手伝い」の立場に甘んじてよいものではない。
昨年頃から叫ばれはじめた「名もなき家事」というものがある。これは、炊事、洗濯、掃除といった「名前のある家事」以外の、
- 洗剤を補充する
- 洗濯物を色柄別に洗い分ける
- トイレットペーパーが無くなれば買いに行く
- 調味料が無くなったら補充する
- 食事の前に机の上を拭く
といった、「名前のある家事」を成立させるために必要な行為のことだ。
昨年5月に大和ハウス工業が発表した調査によると、男性は「3(男):7(女)」で家事を分担していると思っているが、女性側は「1(男):9(女)」だと感じているとのこと。その理由が、上記の「名もなき家事」を女性側が負担しているためで、そのことについてさらに男性にアンケートを取った結果、約9割が「名もなき家事は主に“妻”が負担している」と回答したという。
■家事を「手伝う」…そのスタンスはありえない?
フルで働き、家事(名のある家事も名もなき家事も)をこなし、子どもを生み、自分の実家や義実家のイベントも調整し、ご近所付き合いも行う……こんな状態の妻を見て、家事を進んでやることなく「手伝い」に甘んじているなど言語道断。しかも自分がやるべき家事を「一緒に住めばママがやってくれる!」と軽々しく同居に持ち込むのなんて、男の風上にも置けないのである。
以前、外資系企業で働く人からこんな話を聞いた。海外で、上司が部下のホームパーティーによく顔を出すのは、部下がその家庭でどれくらい家族に貢献しているかを確認するためでもあるらしい。むろん、家で無能な人間が、社会に出て有能であることは確実に「ありえない」とのこと。
男として無能のレッテルを貼られる前に……簡単な家事を自発的に行い、せめて家庭でくらいは、「デキる男」になってほしいものである。