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解雇当日に浅草観光…“平成ダメ助っ人”は誰だ?<セ・リーグ編>

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2019年02月19日 16:01  AERA dot.

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写真元巨人のミセリ (c)朝日新聞社
元巨人のミセリ (c)朝日新聞社

 平成が終わる。新たな時代を迎える前に、今一度「平成30年」の日本プロ野球を振り返ると、そこには数々の優良助っ人たちがいた一方、様々な理由で期待外れに終わった男たちがいた。1989年(平成元年)以降に在籍した“平成ダメ助っ人”を球団別に選出したい。

■広島
クリストファー・カンバーランド

 カープアカデミーを含めて優良助っ人の多い印象の広島だが、カンバーランドは明らかな失敗だった。2000年に左の先発候補として入団し、開幕第3戦の先発マウンドを任されたことからも期待の高さを伺わせたが、その試合で巨人打線を相手に1アウトを取っただけで打者5人に3失点の即KOデビュー。その後は2軍で調整を続けたが、ファームでも1試合4ボークのワーストタイ記録を作るなど日本の野球に全く合わず。開幕からわずか1カ月の5月7日に解雇された。1軍成績は登板1試合で0勝1敗、防御率81.00。当時の達川光男監督の「カンバーランドががんばーらんと困る!」という駄洒落のネタにはなったが、戦力には全くならなかった。

■ヤクルト
ホアン・アイケルバーガー

 昭和の時代にはペピトーンという悪行三昧の“ダメ助っ人”がいたヤクルト。平成以降は数多くの優良助っ人に恵まれたが、平成元年となる1989年に来日したアイケルバーガーは期待を大きく裏切った。1981年、82年とメジャーで計15勝を挙げた実績を持ち、春季キャンプでテストを受けて入団。ストッパーとして期待されたが、初登板となった開幕第2戦の巨人戦で、3対3の同点で迎えた9回裏から無死満塁のピンチを招いた末にサヨナラ暴投。その後も制球難にあえぎ、登板8試合で0勝3敗、防御率7.04という成績のまま5月20日に解雇となった。当時の関根潤三監督は「名前が面白くて獲ったんだよね」と発言。長い名前のために川崎球場でのオープン戦では掲示板に「バーガー」と掲示され、ロッテファンに大爆笑されたエピソードも持つ。


■巨人
ダン・ミセリ

 守護神不在に悩んでいた堀内巨人に加わった男が、ミセリだった。メジャー通算579試合登板の実績を引っ提げて2005年に来日し、「50セーブを狙いたい」と豪語。周囲からの期待もいや応なく高まった。だが、開幕戦で1点リードの9回表に登板して同点ソロと勝ち越し2ランを被弾していきなりの炎上。その後も名誉挽回のチャンスが与えられたものの、セットポジションでの投球に苦しみ、ことごとく痛打を浴びて救援失敗を続けた。問題はマウンドを降りてからも続き、2軍での再調整指令を拒否すると、今度は球場が狭いと見当違いのクレーム。さらには、敗戦処理のマウンドに不満をあらわにした挙句に右肩痛を訴えると、首脳陣から再度の2軍再調整を拒んだ末、開幕から1カ月も経たない4月19日に球団史上最速での解雇となった。残した成績は、登板4試合0勝2敗、防御率23.63という散々たるものだった。解雇当日に浅草観光に繰り出したことも“ダメっぷり”に拍車をかけた。

■DeNA
スティーブ・コックス

 横浜大洋、横浜、横浜DeNAと球団名を変えながら平成時代を戦ったベイスターズ。その中で費用対効果が最も悪かった助っ人が、コックスだった。来日したのは2003年。山下大輔監督が熱望した4番候補としてチームに加わったが、春季キャンプで右膝半月板を損傷して大幅に調整が遅れ、ようやく5月中旬に1軍昇格。しかし、調子が上がらないまま、今度はふくらはぎを痛めて再離脱となってしまった。結局、出場15試合で打率.200、1本塁打、7打点。シーズン終了後に解雇となった。問題は、その推定3億円という年俸の高さ。しかも3年契約を結んでいたために、2年目の年俸と3年目のオプション破棄の違約金、さらに獲得時に支払ったトレードマネーを含めて推定総額7億円の損失となった。同時入団したウッズが推定年俸5000万円で本塁打王に輝いたことも、コックスの“ハズレっぷり”をより一層、際立たせた。


■中日
ディンゴ

 本名デビット・ニルソン、登録名ディンゴ。捕手として1999年に野茂英雄とバッテリーを組み、オールスター出場も果たしたバリバリの大リーガーは、2000年に中日に入団した。本場仕込みのパワーでアーチ量産、となるはずだったが、開幕から極度の打撃不振に陥ってバットは空を切るばかり。日本の投手に対応できず、さらにレフトの守備でも足を引っ張り、本領を発揮することがないまま、出場18試合で打率.181、1本塁打、8打点という期待値を大きく下回る成績で退団となった。入団の条件が、同年のシドニーオリンピック出場というもので、実際に日本戦で本塁打を放つ活躍を見せたが、中日が支払った推定年俸2億円は完全な無駄金。2004年のアテネ五輪でもオーストラリア代表の一員として日本戦でアーチを放った点も、憎らしさを増幅させるものになった。

■阪神
マイク・グリーンウェル

 その“迷言”で、今でも多くのファンの記憶に残っている男が、1997年に来日したグリーンウェルである。レッドソックスの主力として活躍してオールスターにも2度出場し、メジャー通算12年で通算打率.303という文句なしの実績を引っ提げ、推定3億円を超える球団史上最高年俸で阪神に入団した。だが、春季キャンプに背中の痛みを理由にして一時帰国。ようやく5月3日に日本デビューを果たし、いきなり決勝打を含む2安打2打点の活躍を見せたが、それから7日後の巨人戦で自打球を右足甲に当てて骨折すると、「神のお告げ」と突如、悟りを開いて現役引退を宣言。5月16日に空路で帰らぬ選手となった。当時の吉田義男監督の言葉を借りると、「嵐のように来て嵐のように去っていった、つむじ風のような男」。通算7試合出場で打率.231、0本塁打、5打点。阪神の暗黒期を象徴するような“ダメ助っ人”だった。





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このニュースに関するつぶやき

  • グリーンウェル、神の国お告げじゃなくて、髪のおハゲwww
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  • グリーンウェルのことを思うとまだロサリオは打った方かも。
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