1人1000円でも儲かる“激安食べ放題”のカラクリ【ファッションフードの平成史】

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2019年02月21日 20:00  citrus

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1992年の話題をさらったもつ鍋に取って代わり、翌93年の初夏、猛烈な勢いで全国を席巻したのが「食べ放題」だ。バブルを引きずっていたもつ鍋とは違い、「安い値段で腹いっぱい食べたい」という欲望むきだしの世紀末現象。これが終わりの見えない不況と相まって、長く続いた。

 

 

■「安かろう悪かろう」じゃダメ

 

食べ放題という業態は、1985年頃から関西を中心に広がった。それ以前は「バイキング」(※1)や「ビュッフェ」(※2)と呼ばれていた。カタカナだとなぜか気取った雰囲気だが、実際、バイキングもビュッフェもホテルのレストランが中心で、“好きな料理を好きなだけ食べられる自由さ”に比重が置かれていた。

 

ところが、そのものズバリの「食べ放題」になった瞬間、自制心が吹き飛んだ。

 

そもそも、日本には大食いや大酒をエンターテインメントとして楽しむ文化(※3)がある。江戸の町人文化が爛熟を迎えた文政期(1804〜1830年)には、大喰会や酒合戦(※4)が流行した。
 

時は過ぎ、平成の食べ放題でもっぱら追求されたのは「得した気分」だ。不況で社用族が激減。財布のひもを締めた客に、飲食店が生き残りの切り札としてぶつけたのが定額制の食べ放題方式である。たいていの店が時間制限を設けた。

 

バブルを体験し舌が肥えてしまった人々に、「安かろう悪かろう」は通用しない。初期の食べ放題は、高級料理の価格破壊が特徴だ。

 

 

■すしが「制限時間なしで1000円」

 

たとえば、すし。バブル崩壊後の2年間で急成長して、店舗数を17に増やした「雛鮨」の場合、4300円で制限時間90分。大トロ、ウニ、イクラ、関サバといった高級ネタを惜しげもなく提供するのがウリで、つねに満席だった。

 

最安値で話題を集めたのは、制限時間なしで1500円(平日昼は1000円)の六本木「伊太都麻(いたとま)」。80年代に若者の人気スポットだったアメリカンカジュアルレストラン「イタリアントマト」を、内装はそのまま業態替えした。当然、カウンターも職人の姿もない。パスタやケーキが似合うインテリアで、レストラン時代の流用らしき洋風プレートに盛ったすしをウェイターがサーヴし、しかもお茶と吸い物はセルフサービスというすごい店だった。

 

すしのみならず、しゃぶしゃぶ、すき焼き、懐石、海鮮、鍋物、焼き鳥、もんじゃ、ステーキ、焼肉、ローストビーフ、中華、飲茶、フレンチ、イタリアン、エスニック、デザート……と、堰を切ったようにありとあらゆるジャンルの飲食店が食べ放題をはじめた。

 

 

■そして「シュラスコ」へ…

 

牛肉の料理が目立つのは、1991年4月の牛肉輸入自由化で、輸入量が倍増し、価格が大幅に低下したためである。

 

さまざまな部位の牛かたまり肉を大串に刺して焼くブラジル式バーベキュー「シュラスコ料理」のレストランが登場したのも、その頃だ。食べ放題のニューウェーブとうたわれ、テレビや雑誌の食べ放題特集では必ず紹介された。

 

ズワイガニとローストビーフの食べ放題&飲み放題が90分で男性3500円、女性2500円(六本木「停車BAR」)、牛しゃぶ、カニしゃぶ、すき焼きを90分食べ放題で男性2800円、女性2300円(尾山台「いしかわ亭」)などの激安店も現れた。

 

 

■食べ放題とブラック飲食店の関係

 

これで採算をとれるのかと思うが、店は損をしない構造になっていた。

 

肉と海鮮の食べ放題は食肉会社や水産会社が経営する店に多く、在庫を一掃できるメリットがある。たくさん食べられるぶん材料原価率は高くなるが、定額制のため客単価は一定水準を維持できる。時間制限で回転率も落ちない。

 

それにも増して経営サイドのメリットになったのは、人件費の削減だ。出す料理は決まっているから調理、サービスともアルバイトで十分に賄え、社員の数は必要最低限でよかった。価格破壊は雇用を破壊し、外食産業の構造を揺さぶることになったのである。

 

大不況時代、元をとって得しようと暴飲暴食に励む客の裏で、外食店のブラック企業化や、職人のいる高い店と職人のいない安い店の二極化がはじまっていた。

 

 

■果てしないコスパの追求

 

この2、3年、食べ放題が再び元気だ。

 

しゃぶしゃぶ、焼肉、ローストビーフなど、牛肉系が強いのは相変わらずだが、サムギョプサル(豚バラの焼肉)や生ハムなど、豚肉料理も目立つ。ヘルシー志向を反映して、野菜がメインの食べ放題も増えている。

 

そのなかで新手の食べ放題として話題なのが、音楽や映像配信と同じような決まった額を支払えば何度でも利用できる「月額定額制」(※5)のサービスだ。

 

提供する側、食べる側双方のコスパの追求は、これからも果てしなく続くだろう。

 

※1  1958年に開店した帝国ホテルの「インペリアルバイキング」が第1号。レストランの新しい形態を模索していた当時の犬丸徹三社長が、テーブルに並べた料理から、各自が好きなものを好きなだけ食べる北欧の伝統スタイル「スモーガスボード」に着目し、取り入れた。原語のままではわかりづらいため、社内公募で呼び名を募集し、当選したのが「バイキング」。海賊の豪快なイメージがぴったりはまって、食べ放題の代名詞となった。

※2   客が料理をセルフサービスで皿に取り分けるスタイル。もともとフランス語で、飾り棚やサイドテーブルに並べた料理を各自が好きに取って立食することを指した。

※3  テレビ東京系列「全国大食い選手権」が高視聴率を稼ぎ、優勝者がタレント並みの人気を獲得したことは、そのひとつといえなくもない。

※4  大田南畝などの人気作家が挿絵入りの記録を出版し、ベストセラーになった。

※5  たとえば東京の「野郎ラーメン」の場合、月額8600円で、780円、830円、880円の看板メニュー3種が1日1杯食べられるシステム。

 

【関連書籍】

『ファッションフード、あります。』(筑摩書房)


 

このニュースに関するつぶやき

  • バブル崩壊の頃に花開いた食べ放題ブーム。なぜ記事に書かれてないのか疑問だが、このブームを牽引したのは関西ウォーカーや東京ウォーカーのような情報誌だったことは指摘しておきたい。
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