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東大卒、デュポン、メルカリ経由で梨農園に飛び込んだ 「畑に入らない農家の右腕」の正体

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2019年03月14日 09:02  ITmediaエンタープライズ

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ITmediaエンタープライズ

写真阿部梨園のスタッフたち(佐川さんは上段右端)
阿部梨園のスタッフたち(佐川さんは上段右端)

 宇都宮駅から車で約20分。市街地を抜けると、川沿いに広がる広大な果樹園に目を奪われる。栃木県というと「とちおとめ」を始めとした、いちごのイメージが強いかもしれないが、実は宇都宮市内には約100もの梨農園がある。



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 そんな梨農家の一つ「阿部梨園」が今、大きな話題になっているのをご存じだろうか。ソフトボールよりも大きく、甘くてジューシーな梨の品質もさることながら、畑に入らずに業務改善を続ける“マネージャー”、佐川友彦さんの活動に注目が集まっているのだ。業務改善を進めるだけではなく、クラウドファンディングで資金を募り、そのノウハウをWeb上で無償公開しているという。



 佐川さんは、東京大学農学部の大学院を卒業し、化学メーカーに勤めるなど“農家”としては異色の経歴を持つ。そんな彼は、どうして梨農家の世界に飛び込んだのだろうか。



●環境問題に強い関心、農学部から太陽光ビジネスへ



 幼い頃に読んだ絵本がきっかけで、小学生の頃から将来の夢が「環境大臣」だったというほど、環境問題に強い関心があった佐川さん。その思いは、大学生になっても衰えず、サステナビリティを学ぶために東京大学の農学部に進学した。



 「僕が子どもだった1990年代は、環境問題に注目が集まっていた時期でした。サステナビリティなどを勉強して、何か役に立ちたいという思いがあったんです。それを勉強するに当たって、自然や環境を学べる農学部を選びました。もともと工学系から移ってきたこともあり、農業工学を専攻し、バイオマスエネルギーなどを研究していました」(佐川さん)



 エネルギーやサステナビリティをテーマに就職活動を行い、大学院を卒業した佐川さんは、米国の化学メーカー「デュポン」に就職。当時、日本でも盛り上がりつつあった、太陽光ビジネスに関するプロジェクトにアサインされ、1年目からプロジェクトリーダーを任されるなどハードな日々を送った。



 「あの頃は、国内の太陽電池産業の企業100社くらいが一堂に会してコンソーシアムを作り、寿命を延ばすべく共同研究を進めていました。使命感や責任感もあり、いろいろとリーダーなどもやらせてもらっていましたが、サイエンスとビジネスの折り合いをつけるのが非常に難しく、あるときに心が折れてしまったんです」(佐川さん)



 こうして、佐川さんは約4年でデュポンを辞めた。特に転職先も決めていなかったことから、全寮制の英語学校に通った後に、転職活動を開始。創業したばかりの「メルカリ」にインターンとして入社した。



 「創業社長の山田さんのブログは学生時代から知っていました。シェアリングエコノミーを目指すフリマアプリのサービスは、サステナビリティと合致していたんです。メルカリで“エコ文脈”で入る人なんて、ほとんどいないと思いますけど……(笑)」(佐川さん)



●「これは出遅れた」 メルカリで感じた“組織の完成度”



 佐川さんが入社した当時、メルカリはまだ10数人程度の規模だった。大手メーカーと出来たてほやほやのスタートアップ。仕事の進め方から社内制度まで、何から何まで違っていたという。



 「当時はまだ、六本木にあるシェアオフィスで1部屋の半分くらいを使っていた頃でした。デュポンも頑張っている企業だとは思っていたんですが、メルカリの方がはるかにレベルが高いという感覚がありましたね。



 やはり起業家同士が集まって作っている会社だったので、社内制度や組織の在り方、そしてエンジニアリングというものが、とてもよく練られていた印象です。創業のタイミングから、いつスケールしてもいいように設計しているというのは、僕にとって結構衝撃で『これは出遅れたな』と感じてしまいました」(佐川さん)



 カスタマーサポートを中心に、さまざまな業務を行っていた佐川さんだったが、つくば駅から六本木まで、2時間以上かけて通勤していたこともあり、夜遅くまで続く業務の負担がだんだんと大きくなってしまった。



 「当初はリハビリのつもりで始めたのですが、入社するタイミングを間違えた……というか、普通に考えて病み上がりには無謀でしたね(笑)。そのままメルカリに通いで働き続けるのは体力的に難しく、東京に引っ越さないなら別のことを探さなければいけないと思って、妻と話し合いました。私も妻も群馬の出身だったので、北関東の生活感が合っているのではないか、ということで話がまとまり仕事も決めずに栃木に行くことに決めました」(佐川さん)



 デュポンに勤めていたときに宇都宮に住んでいたこともあり、慣れた土地で知り合いも多い。栃木に移ってから、次の仕事が決まるまではしばらく「暇なときにしかできないことをしよう」と考え、Webデザインやプログラミング、簿記などを勉強したそうだ。学生時代にWebデザインのバイトやWebサイトの開発などを行っていた経験があったため、その知識を刷新したかったのだという。



 仕事については、一般的な求人は魅力的に映るものがなかったため、NPO法人の「とちぎユースサポーターズネットワーク」を通じて、栃木ならではの面白そうな案件を探した。地元の事業者と若者をインターンなどでマッチングさせる団体で、農学部卒業という経歴から、理事長を通じて紹介されたのが「阿部梨園」だった。



●「家業から事業へ」 阿部梨園が抱えていた課題とは?



 「阿部梨園」は9種類の梨と桃を作る梨農家。代表を務める阿部英生さんは26歳の時に梨農園を親から譲り受けて以来、約10年間一人で農園を切り盛りしてきた。オリジナルのパッケージを作ってみたり、取引先を増やしたり、梨づくりの“修行”をしたりとさまざまな施策を行っており、「ボランティアの募集」や「販促イベントの開催」といったテーマのインターンをサポーターズネットワークで募集していた。



 佐川さん自身が阿部梨園に興味を持ったのは、実はインターンの内容ではなく、同園が掲げていた「家業から事業へ」というスローガンだった。家族経営から脱するため、正社員採用を始めた時期だったという。



 「家業というのは、どうしてもその一家に対して最適化したビジネスになります。それ以外の従業員やパートさんなどは、あくまでそれを支える“次点の存在”になってしまう。事業というのは、責任も利益も従業員全員で分かち合うイメージだと考えています。ただでさえ、農業は給与面など労働条件が悪くなりがちです。従業員と一緒に長く働けるような体制ではなかった。その点は、阿部も大きな問題意識を持っていました」(佐川さん)



 農業は大学で勉強してきたものの、現場に深く入り込んだ経験はない。大学の人たちが知らないような経験が手に入るのではないか。そういった考えもあり、4カ月無給という条件ではあったが、佐川さんは阿部梨園でのインターンをスタート。働き始めてすぐに、梨のおいしさと直販での人気の高さに驚く一方で、業務効率や経営の部分に課題があると見抜いた。



 「駅からも結構離れているこの農園に、ひっきりなしにお客さんが梨を買いに来るのには本当に驚きました。ただ、その一方で収穫、梱包、出荷といったオペレーションから、注文の取り方、出荷管理といった部分はぐちゃぐちゃ……というか、阿部さんの頭の中にしか『絵』がなく、それを口頭で指示する形だったので、無駄が多く、マネジメントがうまくいっていない状態でした。



 製造業出身だったこともあり、業務効率はまだまだよくできそうだと考えるうちに、集客や企画じゃなくて、まずはこれを改善しなきゃいけないんじゃないかと思うようになりました。そこから、経営改善の話につながっていったわけです」(佐川さん)



 そこで佐川さんは、インターンのテーマを「業務の最適化」や「社内の仕組み作り」に変更することを阿部さんに提案する。腹を割って話し、「本気で経営を変える」という目的で意気投合。インターン終了までに、大小含めて100件の改善を約束した。



●スタッフから「業務改善のアイデア」が出てくるように



 業務や経営の改善と言っても、佐川さんが手を付け始めたのは、事務所の掃除やごみ箱に分別のシールを付けるといった、小さなことからだった。他のスタッフと一緒に事務所のレイアウトを考えたり、掃除用具を買いに行ったり。最初はあまり反応がなかったが、徐々にスタッフから、業務の困りごとや改善のアイデアが出てくるようになってきた。



 「一番良かったのは、実は事務所をキレイにしたことです。目に付くところから変えたのは、他のスタッフに対してもメッセージになりました。多分、僕がPCに向き合って数字だけをいじるとか、スタッフから見えないことだけをやっていたら、『みんなの仕事をする環境を変えていこう』という雰囲気にはならなかったと思います」(佐川さん)



 他にも作業マニュアルを作ったり、梨の樹の配置図である「圃場マップ」を作ったりと、可視化や情報の共有を進めた。作業の引き継ぎが早く、正確になったほか、スタッフ間のコミュニケーションも活発になったという。最終的に4カ月のインターン中には改善の数は100には届かず、70程度で終わったものの、改革の手応えを感じられるものだった。



 「もちろん、失敗した施策も多々あります。スタッフのみんなが乗り気じゃなくてやめたとか、そもそも僕の見立てが間違っていたものもありました。例えば、短期で働くスタッフも含めたコミュニケーションの活性化を狙って、名札の着用を全員に勧めたことがありましたが、年配の方から『首にものを掛けること自体が嫌だ』という声が挙がって中止しましたね。気取り過ぎたり、理想主義になったりするとうまくいかないように思います。できる部分、できるレベルから始めるのがコツかなと」(佐川さん)



 そして、4カ月のインターンが終わった後も、引き続き阿部梨園に関わり続けたいと思った佐川さんは、正規雇用の志願書を用意し、阿部さんに今後のビジョンをプレゼン。阿部さんも喜んでそれを受け入れ、2015年1月、佐川さんは正式に阿部梨園の一員になった。「畑に入らない農家の右腕」が生まれた瞬間だ。



 こうして、生産は阿部さん、経営企画や事務など生産以外の面は佐川さんが担当するという、二人三脚の運営が始まった。その後は、従業員の待遇改善や売り上げの向上といった、インターン時代では手を付けられなかった、より大きな課題の改善へと佐川さんは舵を切ることになる。


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