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直売率99%、栃木の「阿部梨園」が経営改善のノウハウを無償で公開し続ける理由

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2019年03月18日 08:32  ITmediaエンタープライズ

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写真阿部梨園 マネージャー 佐川友彦さん
阿部梨園 マネージャー 佐川友彦さん

 “農家の業務改革”の好例として注目を集めている、栃木県にある梨農園「阿部梨園」。畑に入らず、業務改善を続けるマネージャーの佐川友彦さんは、東京大学を卒業し、化学メーカーのデュポン、立ち上げ期のメルカリを経て、阿部梨園にジョインしたという珍しいキャリアを持つ。



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 事務所の掃除といった小さなことから、作業場の導線改善など、4カ月のインターンで70近くの業務改善を行った佐川さんは、晴れて“正社員”になった。それからは、梨園のオーナーである阿部さんへ詳しいヒアリングを重ねながら、会計関連の見直しや、従業員の待遇改善に手を付けていった。



●農家にも、一般企業並みの「福利厚生」を



 「一般的な会社にあるような、いろいろなものがなかったんです。例えば給与明細。手書きで金額が書かれた封筒を手渡し、というのが農家では割と普通なんです。雇用保険もそうですね。事業としても問題ですし、『何より自分が入っていないとまずいな』というのもあり、予算の確保も含めて進めていきました」(佐川さん)



 翌年には、厚生年金や健康保険といった制度も導入。利益の伸びに合わせ、少しずつ福利厚生を増やしていった。他の農園と比べてもそれがアドバンテージになったこともあり、仕組みの変化をスタッフが楽しんでくれたという。農園に対するオーダーやアイデアを共有するためのミーティングも始めた。すると、より一層、要望が活発に出てくるようになり、チームとしての一体感も増したそうだ。



 「阿部は優しい性格で、スタッフみんなをポジティブに励ますタイプだったので、それに対して、僕がちゃんと筋道などを見せられると、すんなりと乗ってもらえる流れはあったと思います。逆に僕だけだと、ちょっとドライ過ぎる点があったかもしれませんね」(佐川さん)



 もともと直売率が高く、一定規模の売り上げがあったため、福利厚生に回すだけの原資のポテンシャルはあったものの、「これまではお金の使い方がやや雑だった」と佐川さん。購買のルールや予算を決めながら、新しい福利厚生の予算も作っていったという。とはいえ、まだ売り上げを向上させる余地も残っていた。



 農家が直売する分については、自分たちで価格を決めることができる。しかし、これまでは価格設定にロジックがあったわけでもなく、「どの品種がどれだけ売れたのか」などのデータを記録していたわけでもなかったという。



 「農家の皆さんって、『あまりもうけ過ぎちゃいけない』と思っている人も少なくないんです。だから値付けに対して無頓着になってしまうのかもしれません。阿部梨園では、それまで販売データが残らないレジを使っていました。価格を変えたときに、売れ行きがどうなるかが知りたかったのですが、データもなしに試してもPDCAが回りません。これではあまり意味がないので、POSデータが蓄積できるシステムを探し始めました」(佐川さん)



●「Airレジ」で売り上げデータを可視化 直売率が99%に



 レジシステムを調べ始めた佐川さんは、すぐにスマートフォンやタブレットで使えるシステムが各社から出ていることに気付く。4社ほど比較した結果、リクルートライフスタイルの「Airレジ」を導入することに決めた。無料で使える点に加え、操作感の良さや機能がシンプルだった点も、スタッフから好評だったという。



 「農家の皆さんは、こういうツールに慣れているわけではありません。使い方が複雑になり過ぎると混乱してしまいます。Airレジは機能こそシンプルですが、PCから商品設定が行えるとか、商品のカテゴリーを簡単に階層化できるとか、CSVで商品データを登録してくれるなど、実務的な部分も含め、阿部梨園には一番合っていると感じました」(佐川さん)



 それまでは、阿部さんの予測を基に梨を販売していたが、Airレジを導入してデータを取ったところ、その予測と実売に差があることが分かった。梨はあまり日持ちする果物ではないため、時間がたつとすぐに売れなくなってしまう。リアルタイムでデータが分かるようになったことで、「あと、どれだけ注文を取っていいか」といった判断も早くなり、ロスも少なくなった。



 その結果、直売率は約99%にまで向上。単価についても、平均で1割から2割程度上がったという。価格も単に上げるのではなく、よりおいしくするための施策など、顧客の価値につながる投資とセットで行っている。また、同時に「Airペイ」も導入してクレジットカード決済にも対応した。贈答用に購入する場合、会計が10万円近くになることもあるとのことで、「想定していたより、高齢な方の利用も多い」と佐川さんは言う。



 販売データが分かってきた今、佐川さんは「収穫量を予測したい」と考えている。これまでは収穫量のデータもなかったため、販売計画が立てられるような状況ではなかったのだ。現在は、日ごとの収穫量も計測し始め、データを蓄積している最中だという。



 「仮に1トン収穫量がずれたら、5キロの箱が200個分動くわけで、小さな改善の効果なんて一気に吹き飛んでしまいます。少なくともこういったデータがそろっていないと、事業承継もままならないでしょう。若い人が事業を継いでくれない、というのが業界の大きな問題になっていますが、業務改善やオペレーションの整理が必要なのだと思います。僕みたいな“よそ者”が入るというのも、有効な方法かもしれません」(佐川さん)



 阿部さんはAirレジやAirペイ以外にも、さまざまなITサービスを導入している。会計や人事労務管理には「freee」、請求書作成ソフトの「Misoca」、タスク管理には「Trello」を使っているという。



 「あとは、サイボウズの『kintone』を入れたいですね。注文や生産のデータを、Excelじゃなくてデータベースで管理したいんです。農業経営って、ワークフローがそこまで複雑じゃないので、1つのプラットフォームに載せれば、大体の業務が何とかなるんじゃないかと考えています」(佐川さん)



 こうしたツールは、企業における導入事例は多数あるものの、「農家」が導入したという事例はほぼないと言っても過言ではない。佐川さんは一つ一つのツールを調べ、梨園の業務に合うかどうかを確かめていった。農家におけるITツールの活用事例がほとんどない――この課題感は、阿部梨園のノウハウを無償で公開するWebサイト「阿部梨園の知恵袋」へとつながっていく。



●阿部梨園のノウハウを「無償」で公開した理由とは?



 阿部梨園でさまざまな施策を成功させた佐川さんだったが、阿部さんの紹介などで、他の農家から、経営について相談される機会が徐々に増えていったという。ヘビーな相談もあったことから、途中からお金をもらい、仕事として引き受けるようになった。始めは農家ごとにアドバイスをしていた佐川さんだったが、次第に彼らが阿部梨園での実例を知りたがっていることに気付く。



 「同じ事例を毎度話すのは時間がもったいないですし、逆に来ていただくのも申し訳ない。ノウハウをどこかにまとめておけば、いろいろな農家の役に立つんじゃないかと考えました。とはいえ、農家は形にならないものにお金を払う習慣がないので、有料の情報商材ではまず流通しません。無償でやるならインターネットがぴったりです。もともと阿部梨園のWebページに、SaaSサービスなどを活用した際にレポートを載せていたこともあり、それを拡大させる方向で話を進めました」(佐川さん)



 多くの人の役に立つとはいえ、自社のノウハウや差別化要因を公開するというのは多少なりとも抵抗があるはずだ。オーナーの阿部さんも最初はぴんと来ていなかったが、ノウハウを公開するメリットを説明し、認めてくれたという。



 「やはりノウハウは企業秘密みたいなところがありますし、阿部からすれば、そのために給料を払ってきたわけで、周りにまねされる抵抗はあったはずです。ただ、阿部自身も千葉など他の産地との交流が増えてくる中で、栃木全体の梨業界を盛り上げていこうという考えが出てきたこともあり、無事に話が通りました」(佐川さん)



 とはいえ、無償で情報を出すと言っても、情報をまとめる佐川さんの労力は必要だ。そこでクラウドファンディングサイトの「CAMPFIRE」で資金を募集することにした。2017年時点で佐川さんがためてきた業務改善のノウハウは約500件。その中で他の農家でも使える汎用性の高いネタが約300件あった。そのうち100件を公開することにして、100万円を募集したところ、たった1週間で資金が集まってしまったという。



 「農家から集まるかなと思っていたのですが、思いの外、農家“以外”の人たちが多くて。ありがたい話なのですが、リターンの設計には苦労しましたね。半分寄付みたいになってしまっているものとか、僕が講演したり、コンサルしたり、ウチのWebページにバナー広告を出せるようなコースも作りました」(佐川さん)



 あっという間に目標に届いてしまったが、1週間ほど考え、ストレッチゴールを作ることに決めた。200万円で200件、300万円で300件と伸ばしていった結果、約1カ月で325人から約450万円が集まった。最終的には、変わりたいと思う農家同士をつなぐコミュニティーを作ることを約束した。



 こうして2018年5月、100件の経営改善ノウハウが集まった「阿部梨園の知恵袋」がオープン。現在は200件に向けて記事を書きためているところだという。リリース時は大きな注目を集め、月間で10万ほどのPV(ページビュー)があったとのこと。最近では講演を行うことも増え、知恵袋の“読者”に出会う機会も増えているそうだ。



 「本当は各テーマをサクっと書くつもりだったのですが、注目が集まったのがプレッシャーになって、一つ一つのボリュームが多くて時間がかかっているんですよね(笑)。それはそれでいいと思っていますが、今後は、Wikiのような気軽に生かせる形にできるよう、模索しているところです」(佐川さん)



●農家の経営支援を「職業」にしたい



 佐川さんの尽力により、阿部梨園の売り上げは確実に向上している。その結果、新たな畑を増やしたり、新しい栽培方法にチャレンジしたりしている他、人件費、つまり従業員の給料も上がったという。また、佐川さん以外にも、正規雇用をする人が増えてきているそうだ。



 「今はパートさんを含めて常時10人くらいいます。収穫期などのピークシーズンは20人くらいになります。他の梨園と比べても恐らく1.5倍から2倍くらいはいるんじゃないでしょうか。人が増えれば細やかな管理ができますし、休みも取りやすくなります。農業はこれまで、少ない人数で回して、一人当たりの手取りをそれなりに確保するという世界だったので」(佐川さん)



 今後、佐川さんは阿部梨園を“緩やか”に成長させながら、阿部梨園以外も含めて「農家の経営改善」がさらに進むような世の中にするため、自身の個人事業として、農家向けのサービスを持っている企業とのコラボレーションを広げていくという。



 「阿部梨園については、家業がベースだったこともあり、急な成長を目指すといろいろとリスクやゆがみが生まれると思っています。『守りながら変えていく』というのは梨園のスローガンにもなっています。梨園で生かせなかったノウハウは、個人事業の方で生かせばいいわけですし。



 僕自身はいろいろやりたいことがあるのですが、やはり知恵袋のノウハウだけでは解決しないような話があるのは事実で、僕自身だけではなく、もっと企業も経営支援に入ってもらいたいですね。農家さんの声や、阿部梨園で培った経験などをサービスや商品にフィードバックしていく取り組みを、最近、数社と始めました。自分がいろいろな場所で講演する中で、役に立つITツールなどは積極的に紹介していければと思っています」(佐川さん)



 この他、農家向けのコンサルティングも佐川さんが「変えていきたいこと」の一つだ。経営支援を仕事として成立させ、“職業”になるようにしたいのだという。



 「経営相談もゼロベースでやるのではなく、コーチングのように本人が自己解決できるフローにしていく方法論が必要だと思います。自分も相談があれば受けていますが、やり方を見直して、知識やスキルセットを整理したいですね。ビデオチャットなど、リモートで関われる方法も今後は必要でしょう。



 農家経営の『ERP』とまでは言いませんが、そういうフレームワークやシステムがあってもいいんじゃないでしょうか。SaaSのサービスを幾つか組み合わせて、ERPを疑似的に実現するためにどうすればいいか――みたいな話はやってみたい気持ちはあります」(佐川さん)



●製造業とベンチャーを経験した“よそ者”が農業を変える



 農学部から化学メーカーのデュポン、そして創業間もないメルカリと、農家としては珍しい道を歩いてきた佐川さん。それぞれの企業での経験が、阿部梨園でも生きているという。



 「デュポンは製造業の会社なので、製造業的なモノの見方やプロジェクト管理の考え方を教えてもらったと思います。外資っぽいマネジメントという感じでしょうか。一方のメルカリは、『掲げた理想を正面から実現していく方法』を学んだように思います。作り込まれた制度もそうですし、やはり、組織内部の強さがビジネスの強さに直結するという考え方が強く印象に残っていますね」(佐川さん)



 製造業が得意とする「マネジメント」と、ベンチャーが得意とする「組織文化の強さ」。この両者を得た“よそ者”の佐川さんだったからこそ、農家のあるべき姿を突き詰められるのだろう。その隣に、梨作りに情熱を傾け続けるオーナーの阿部さんがいたからこそ、改革が実を結んだのは言うまでもない。



 ちなみに、学生の頃から「サステナビリティ」をテーマに職業を選んできた佐川さんだが、その思いは今も変わらない。農業を後世に残すべく、彼の挑戦は続いていく。



 「環境やサステナビリティって、結局はリソースの話なんです。限りあるリソースの中で何を残していくのか。僕の中では『農業』はそこに入っているんですよね。“永久機関”のようなエネルギーや枯渇しない資源とか……そういうものが生まれるまで、農業が存続するために必要なことをしていこうと。



 デュポンでも苦戦しましたが、環境とビジネスを持続可能な形で両立させるのは本当に難しい。それに比べれば、農業をビジネスとして成立させるのは、全然やりようがあると感じています。あんまり後先考えずに飛び込んだ業界ですが、打算的ではない分、農家の方と仲良くできているのかもしれませんね」(佐川さん)


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