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安倍政権、親のしつけ名目での体罰禁止を閣議決定…虐待と愛情ある体罰の混同に呆れる

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2019年03月22日 09:11  Business Journal

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写真安倍晋三首相(写真:つのだよしお/アフロ)
安倍晋三首相(写真:つのだよしお/アフロ)

 体罰禁止の法制化について安倍晋三首相が言及したとの報道があったが、19日には児童虐待防止法と児童福祉法の改正案が閣議決定され、親権者らによるしつけ名目での体罰禁止も明記された。幼児・児童虐待事件が頻発している事態を受けてのことらしい。


 この閣議決定報道や識者のコメントに接して、これはまた見当違いな方向に進んでるなと呆れると同時に、これで教師ばかりか親までも気持ちが萎縮し、子どもに厳しさをもって相対することができなくなるのではないかと、子どもたちの将来を考えて暗い気持ちになった。教育現場では、授業中にいくら注意しても騒ぐのをやめない生徒を叩くのはもちろんのこと、立たせたり正座させたりするのも体罰として禁じられており、うっかり正座させたりすると処分されるのである。


 まずはじめに言っておかねばならないのは、私はけっして体罰を推奨する立場にはないし、親はどんどん体罰すべきだと考えているわけでもない。ましてや虐待などけっしてあってはならないことだ。だが、体罰と虐待を一緒くたにとらえているところが問題だと言いたいのである。


●衝動コントロールできず、傷つきやすい子どもたち
 
 1990年代に「ほめて育てる」という考え方が広まり、うっかり叱るとトラウマになる、つまり子どもは取り返しのつかないほどの深い心の傷を負うなどと言われるようになって、世の親たちは子どもを叱ることをためらうようになった。子どもの心を傷つけてはいけないと気づかうあまり、子どもが悪いことをしても、すべきことを怠っても、叱らない親が増えた。


 その結果、社会化されないままに育ち、規則を守れないなど、自分の衝動をコントロールできない子どもが増え、「小1プロブレム」といわれるような状況になってきた。これは、幼稚園から小学校への移行でつまずく子どもが非常に多くなっていることを指すものである。具体的には、授業中に席を立って歩いたり、教室の外に出たり、授業中に騒いだり、暴れたり、注意する先生に暴力を振るったり、暴言を吐いたりする。


 小学生の暴力行為が急増しているところにも、衝動コントロール力の低さがあらわれているとみることができる。前回の教師の体罰事件についての記事でも紹介したように、小学校における生徒の暴力行為の発生件数は2万2847件で、高校の6462件の3.5倍となっている。2011年までは小学校の発生件数は高校よりはるかに少なかったのだが、12年から増え始め、ついに13年に高校を抜き、15年以降さらに急増中で、今や高校の3倍以上となっている。


 衝動コントロール力の低下と並んで、もうひとつ指摘しなければならないのは、ちょっとしたことで傷ついてしまう子どもや若者が増えていることである。ほめられるばかりで叱られることがなく、常にポジティブな気分でいられるように大人たちが配慮することにより、ネガティブな状況に非常に弱くなっている。このことは、企業などでも若手を厳しく指導できなくなっていることから明らかだろう。


 可哀想なのは、ちょっとしたことですぐに傷ついてしまう子どもや若者だ。


●トラウマを生むのは「虐待」であり「叱責」ではない
 
 がんばっても力及ばず、報われないこともある。自分なりに成果を出しても、もっと優秀なライバルがいれば、思うような評価が得られない。思いがけない不運に見舞われることもある。人生というのは、思い通りにならないことの連続といってよい。


 そんな人生を前向きに、力強く歩んでいくためには、ネガティブな状況にもめげずにがんばり続けられる心の強さ、いわゆるレジリエンスが必要である。レジリエンスとは、復元力と訳されるが、嫌なことや思い通りにならないことがあって一時的にへこんでも、すぐに立ち直ることができる力を指す。


 子ども時代にレジリエンスを鍛える必要があるが、そのためには、なかなか思うようにならない状況のなか、もがき苦しみながらなんとか乗り越えていく経験が必要となる。そのようながんばる力は、大人が壁になることで鍛えられるものである。


 だが、今は教師が厳しく指導することはできないため、その役割を担うことができるのは親しかいない。


 たとえ頑固で融通の利かない親であっても、そんな親とのぶつかり合いを通して、子どもの思考も深まり、レジリエンスも鍛えられていく。言うことを聞かない子どもに対して、お尻を叩いたり、ときに勢い余って手をあげたりするようなことがあっても、親が愛情をもって子どもと向き合っていれば、それが子どもにとってトラウマになることはない。


 ここで強調したいのは、親が子に愛情を向けており、日頃から親子の間に心のふれあいがあれば、厳しく叱っても、ときに感情的になりすぎて叱り方が少々不適切なものになっても、子どもはトラウマなどという深刻な心の傷を負うことはないということだ。


 虐待のような極端な事例において生じるトラウマを、ごく普通の親子関係において叱る場面にまで当てはめようとするところに問題があったのである。そのせいで、必要な叱責さえも世の親たちがためらうようになったため、子どもたちの社会化がうまくいかなくなり、また心も鍛えられず傷つきやすくなってしまった。


●問題なのは、体罰よりも心の構え
 
 急に浮上してきた体罰禁止の法制化の背後にある、親の体罰までも法律で禁じようという発想も、同じような混同によるものといえる。冷酷な親や未熟で自己中心的な親による凄惨な虐待と、子どもの将来を思って厳しくしつけようとする親によるちょっとした体罰は、同一次元で論じられるようなものではないだろう。


 子どもを虐待している親が「しつけの一環の体罰だった」と言い逃れするのを防ぐ必要があるとか、体罰の延長線上に虐待が発生してしまうのだといった意見も耳にするが、それは重要なことを見逃している。


 わが子に深刻なケガを負わせたり、食べ物を与えなかったり、犬のようにヒモでつないだり縛ったりして行動の自由を奪ったりして、生命の危険を感じさせるような虐待をする親と、子どもの将来を考えて物事の善悪を叩き込み、がんばる力を身につけさせるために、ときにお尻を叩いたりする親とでは、心のありようがまったく違う。


 後者の場合、前者のような致命的なダメージを子どもに与えるようなことはあり得ないし、子どもの側も、その時は反発することがあっても、のちに反省するなど、叱られた理由をちゃんと理解し、行動を修正しようとするものである。


 体罰を一律に法的に禁止するとなると、そのような教育的な指導をしている愛情深い親の行動も非難されるだけでなく、法的な措置をとられることになる。


 教育の世界では、もうずっと以前から体罰は禁じられている。私の子どもの頃は、先生に殴られるなど日常茶飯事だったが、今では授業中態度が悪く言うことを聞かない生徒を殴るのはもちろんのこと、教室の後ろで立たせたり、反省のために正座させたりするのも体罰とみなされ、禁じられている。


 そればかりか、きつい叱り方をしたりすると保護者から子どもが傷ついたとクレームが来るため、先生たちは生徒がどんなに態度が悪くても、義務を怠っても、厳しく叱ることができなくなっている。


 大学でも同じだ。ある先生は、授業中何度注意してもおしゃべりをやめず態度が悪い学生を厳しく注意したら、その学生が「先生からきついことを言われ傷ついたから、先生を替えてください」と教務に訴えたといって嘆いていた。


 私自身も、社会化されていない学生の反応に呆れることが少なくない。
 
 たとえば、授業中に寝ている学生を注意したら、「明け方までバイトしていたんで、寝かせてください」と要求する。午後の授業に毎回40分ほど遅刻してくる学生に注意すると、「これでもがんばって10時台に起きて11時台に家を出てるんです。家が遠いんです」とこぼす。毎時間遅刻しながら一番前の席にやってきて、私の目の前で紙パックのジュースを開けてストローでチューチューやり始める学生に、遅刻したら少しは申し訳なさそうにするもんだぞと諭すと、「やっぱ遅刻はまずいっすかね」と言う。これまで遅刻して叱られたことがないから、よくわからないと言う。


 そんな時代だからこそ、親がきちんとしつけて、自信をもって社会に出られるようにしてやらねばならないし、ちょっとした叱責でへこたれることがないように心を鍛えてやらねばならない。


 このように考えると、虐待防止と親による体罰の問題は、切り離して考えるべきなのではないだろうか。
(文=榎本博明/MP人間科学研究所代表、心理学博士)


このニュースに関するつぶやき

  • 論ずるに値しない暴力を行う親はある意味対処わかりきってるから楽だがもっと微妙なラインでの議論がデカイんだコレ
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  • 危険なことや迷惑行為を教えるために軽くお尻や手を叩くのはしつけです。
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