山口紗弥加と白石聖の「正義」が対立するときーー『絶対正義』は私たち自身の物語だった

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2019年03月23日 06:11  リアルサウンド

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 山口紗弥加主演の連続ドラマ『絶対正義』(東海テレビ・フジテレビ系)が、恐ろしく、おかしく、そして悲しい。


 主人公・高規範子は自分のせいで母を事故で亡くしてから、法律を唯一の価値基準として生きてきた。「私、何か間違ったこと言ってる?」が口癖だ。アンドロイドのような無表情で、時折目を大きく見開き、「正義」という名のもとに他者を、友人すらをも次々に裁いていく。そんな範子を、怯えつつも「怖いもの見たさ」で面白がってみていた視聴者は多かったろう。


【写真】範子の女子高生時代と律子を演じる白石聖


 白石聖演じる女子高生時代の範子は、ファジーなことや馴れ合いなどを許さない少女ならではの潔癖さで、まっすぐ正論を放つ。喫煙していた生徒を「温情」で見逃した教師や警察官を断罪し、懲戒解雇に追いやり、寒さをしのぐホームレスを排除する。その極端さに、友人たちはときにはドン引きしながらも、無責任に褒め称えたり、困ったときにはちゃっかり頼ってみせたりする。そして、少女期特有の「親友ごっこ」で自分たちの関係を「家族」と言い、かりそめの絆を誓い合うのだった。


 こうした「親友ごっこ」「家族ごっこ」は、少女の間ではよくあること。だが、それが「危険信号」になる場合があることを、多くの大人は知っている。まっすぐで正しく孤独な人に向けた、軽率で無責任な約束や、喝采、ましてそれを利用するのは、非常に危険なのだ。


 本作で見事だったのは、潔癖でまっすぐで美しく危うい高校生時代をもう少し見ていたいと視聴者に思わせつつも、惜しげもなく1週で終わらせ、大人編に突入したこと。


 潔癖でまっすぐで美しく危うい少女は、山口への交代により、遠目からでもわかる「ヤバイ人」に変わっていた。立ち姿や目つきだけで一見してヤバイことが明らかにわかる、山口の演技力はさすがである。少女同士が交わした「約束」だけを反芻し続け、満タンにした正義を携えて、再びかつての友人たちのもとに現れた範子。女優である友人の不倫スキャンダルを週刊誌に売り、友人の子が怪我をすると「虐待」として児童相談所に電話し、友人の出版した本に不正がないかを調べ上げ、友人が不妊治療をしていることを調べ上げると、卵子提供をする約束を、その夫に対して勝手にとりつける。


 どれもこれも、普通じゃない。だが、それもみんな「間違った友人を正してあげないといけない」という正義からである。正義のための暴走ぶりは恐怖であり、迷惑でしかない。だが、その正義モンスターの姿が、別の視点から見ると、違った印象になってくる。


 「私、何か間違ったこと言ってる?」――高校生時代の範子は、度を超した潔癖さと正しさを持ちつつも、感情の欠落したアンドロイドのように見えた。そこで上辺の「親友ごっこ」「家族ごっこ」をしてきた友人たちは、正論で論破されると、ドン引きしつつも黙り込んだり、見て見ぬフリをしたり、自分の有利になることは利用したりしてきた。そこで範子に正面から「間違っている」と言うのは、面倒くさいし、案外便利な存在でもあったからだ。


 だからこそ、利用するときは利用するくせに、廊下を歩くときは、範子はいつも一人ちょっと後ろにいたし、おしゃべりの輪からも少し外れていた。例えば、ノートを借りるときだけ、勉強を教えてもらうときだけ、頼みごとをするときだけ「親友」になったり、褒めちぎったりする、少女特有のズルさと嘘臭さと計算高さ。実は正義モンスターを作ったのは、そうした友人達ではなかったか。


 範子に追い詰められた友人たちは、全員で突発的にとはいえ、範子を殺そうとする。山中で首を締められ、息を吹き返した範子の痛切な言葉「私たち、家族じゃないの?」は、もはや嘘と裏切りの被害者のような悲哀すら感じさせるのだ。


 私たち視聴者の多くは、「正義」の恐ろしさをある程度知っているだろう。だが、ときには正論で、良かれと思って、誰かを傷つけていることもあるかもしれない。さらに、「正しい人」を内心面倒くさがりつつも、適度に良い顔をしたり、受け流したり、その場だけの約束をしたり、ときには利用したりしていないだろうか。


 途中からは、範子の被害者だったはずの友人たちが、醜く見えてきて、その一方で範子が可哀想に見えてくる。


 そして、友人達の手にかけられ、行方不明になった範子の代わりに登場したのが、範子の成長した娘・律子。範子の高校生時代と同じく、白石が演じている。見た目は当然ながらそっくりだが、「正義」の質がちょっと、いや、だいぶ異なる。


 範子の場合は、感情が欠落し、自分の行動規範として、道しるべとして「正義」を盲信していた。しかし、律子の正義はもっと暴力的で、ただ力を振るうこと、罰することに快楽を見出しているように見えるのだ。さらに最終回では、死んだと思われていた範子が再登場。異なる「正義」が対峙することになるだろう。


 様々な「正義」と、それを取り巻く人たちを見るうち、次第に怖いもの見たさの薄ら笑いが消えていった。これは実は対岸の火事じゃなく、私たち自身の物語かもしれない。


(田幸和歌子)


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