中井監督が「広陵の子はイマドキではない、昭和の子」と言う理由

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2019年03月25日 13:34  ベースボールキング

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広陵の寮生活で中井哲之監督がこだわるのは、全員で揃って食事をとることだ。1〜3年までレギュラーや控え選手関係なく、一斉に食卓につき、「いただきます」と手を合わせる。遠征先でも同じだ。もし、足りないおかずなどがあると、まずは1年生から好きなものを選ばせる。「お兄ちゃんが弟に“どれを食べたいんや”って選ばせるようなものですね。たまに3年生から、という時もあります。そこは(1年生ばかりだと)調子に乗ってしまうこともあるので、うまく考えながらやっています」。

そうやって協調性を身につけ、周囲への気配りができるようになる。そしてもうひとつ、チームとして大事にしている言葉がある。広陵高野球部の監督室に入るとまず、大きな額縁に入った力強く太い言葉が目につく。

「ありがとう」

私たちも日常で感謝の気持ちを述べるために発する言葉だが、秋山功太郎主将はこの言葉の意味について「自分たちが間違っていた時に叱ってもらった時も“ありがとう”という言葉を忘れないようにしています」と話していた。感謝、御礼はもちろんだが、この言葉には数えきれないほど深い意味が込められていることを実感する。そして差し入れをもらった時も、単に“ありがとうございます”だけではなく、まず誰からいただいたのかを確認するのが“中井イズム”だ。
「スポーツドリンク1本にしても、1本150円くらいでもこれだけの部員数だとどれくらいの額になるのか。そのあたりを考えられるようになってほしいです。もらったから“いただきます”だけではダメなんですよ。その前にもらった人に“ありがとう”を言えるようにならないと」。

そういう“気づき”ができる選手が広陵には本当に多いと取材をしていても感じる。話し方は常に低姿勢。並んで話していても、相手の目をしっかり見て、話す時の目は生き生きとしている。
「大学の関係者の方によく”広陵の血が欲しい“って言われるんですよ。技術というより人間性で」と中井監督は誇らしげな表情を浮かべるが、これは広陵野球部での2年半で培った日常が子どもたちを変貌させている証だ。
ちなみに、卒業して全国各地の大学に散らばった卒業生は、新生活が始まって間もなく”5月病“になるという。
「新しい環境に慣れて、ということではなく、『大学野球ってこんな環境なのか』、『この先輩は野球がすごく上手いけれど野球しか教わっていない人なんだ』ってショックを受けるようです」(中井監督)。



毎年12月29日に開催される広陵高校野球部のOB会に、昨年末は350人近くの教え子たちが集まった。同時期にプロ野球OBの選手たちが集まって近年の恒例行事になっているのが野球教室だ。14年8月に広島で土砂災害があった年から始まり、野球道具を流された子どもたちのために何かできないかと中井監督が発案。声を掛けたOBのプロ野球選手が集まり、ボランティアでボール遊びの楽しさを教える。昨年7月には西日本豪雨で広島県東部を中心に甚大な被害も受け、昨年末は呉方面の子どもたちも含めて350人以上の野球少年たちが集まった。広陵OBが監督を務める少年野球チームも招待。
「僕がずっとその場におったら勧誘と誤解されるけん、その時は遠目で見ているだけ」と中井監督は冗談交じりに笑うが、これだけのOBがいるからこそできる取り組みは、これからも続けていきたいと思っている。

真っすぐな瞳、そして屈託のない素直な子どもたちが今年も甲子園の土を踏む。伝統校ならではの機敏な動き、元気良いプレーを見ていると他の強豪校と遜色はないが、中井監督は教え子たちを眺めながらこう話す。
「広陵の子はイマドキではないですよ。どちらかというと“昭和の子”ですかね。広陵で厳しくされてきたから、大学に行って失敗したり頭打ちしたり、こんな世界もあるのか、と流されることもあると思うんです。でも、失敗しても逃げないでほしい。帰省した時は堂々と(広陵グラウンドに)帰ってきて欲しいとは思いますよね。私に怒られると思ってなかなか出てこれない子もいますけれど、私はそこまで言わないですよ。反省して、次に生かしてくれたらいいんです」。

そう言って見せた中井監督の表情は、監督でも先生でもなく、紛れもない温かい父親の表情だった。(取材・写真:沢井史)

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