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「今の最高裁判事は誰でもつとまるのではないか」岡口裁判官が指摘する「王様化」の実態

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2019年03月27日 10:21  弁護士ドットコム

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ツイッターの投稿を理由に、最高裁から昨年10月、戒告の懲戒処分を受けた東京高裁の岡口基一裁判官。一連の処分の内幕を含め、最高裁の問題点を指摘した新著「最高裁に告ぐ」が3月27日、岩波書店より出版された。ツイッターの投稿問題については、舞台が裁判所から国会の訴追委員会に移る中、岡口裁判官は今、何を考えているのか。弁護士ドットコムニュース編集部では、今年1月に続き、再度インタビューを実施した。(編集部・池田宏之)


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●「最高裁判事の王様化」が起きた理由

ーー新著「最高裁に告ぐ」では、最高裁が当事者の主張に答えなかったり、主張をさせたりしないような「最高裁判事の王様化」を指摘しています。なぜ、そのように考えるのでしょうか。



(今年3月に出た)ワンセグ機能付き携帯電話のNHK受信料強制徴収をめぐる最高裁決定が代表的です。高裁から上がってきた4件の訴訟の全てに「三行半」を突きつけました。本来、契約の自由との関係で何らかの判断を示すべきでしたが、それを含め、最高裁として理由を述べることをしませんでした。ワンセグと普通のテレビは違います。限界線はどこかを含めて、最高裁として、論じるべき点はたくさんあったはずです。



最近の最高裁の問題点は2つあります。まず、最高裁としての見解を明らかにせず「三行半」で終わらせてしまうことが多いということです。もう1つは、最高裁の見解を明らかにする場合でも、本来されるべき憲法判断をしないということです。憲法判断は、法学部の学生が学ぶような違憲審査基準は用いられておらず、NHKの受信料をめぐる大法廷判決(2018年2月)でいえば「受信料強制徴収は合理的な制度だから憲法違反でない」としました。しかし、「合理的」というだけでは、「合憲」であることの理由になっていません。



最高裁における憲法判断の手法について、憲法学者は、批判的な意見を言い続けてきましたが、最近では聞き入れられず諦めているというのが実情でしょう。



ーー「理由を書かない」のは自信がないからでしょうか。



変な判決を書いてバッシングを受けるより、書かない方がよいというリスク回避の意図もあるのでしょうか。また、最高裁は多くの事件を抱えていて、忙しいという理由もあるでしょう。



ーー最高裁判事が忙しいという話はよく聞きます。どうすれば解決するのでしょうか。



憲法判断については、韓国みたいに憲法裁判所を別に作るという方法が考えられます。そうすれば、丁寧な憲法判断がされるようになります。



事件処理については、もう少しメリハリをつけるといいのではないでしょうか。さほど重要ではない事件でも、裁判所は、形式的な点など全部に目を通す妙な真面目さがあります。さっさと終わらせてしまうべき事件も多いように感じます。





●最高裁による憲法に関するルールが作られない

ーー最高裁が憲法判断をしないことが積み重なると、何が起きるのでしょうか。



憲法に関する下位ルールが作られないままになります。NHKの受信契約の強制は「契約の自由」の侵害の可能性があります。しかし、契約の自由は無制限な権利ではないので、「こういうことならば制約しても良い」と、制約してもよい範囲を定める規範を作っていけばいいのです。規範が積み重なると、ルールができるので、それに従って生きていけばよいということになります。「何がセーフ」「何がアウト」がはっきりして予測可能性の高い社会になります。



ただ、今はそうなっていません。最高裁による憲法に関するルール作りがされないままになっています。



ーー最高裁判事の任期が短いため、規範を作るところまで最高裁判事が考えを深められないという見方もあると思います。



それもそうでしょうけど、それなりの人がならないと、長くつとめたからといって成長しないと思います。(過去に最高裁判事をつとめた)藤田宙靖さんのような方に刺激を受けて、他の最高裁判事も育つならば、長くやることに意味はあると思います。



ーー新著の中で「最高裁判事の選出方法に国会を関与させるべき」との意見にも言及されています。



いまは、内閣に最高裁判事の任命権や長官の指名権があります。(最高裁判事をつとめた)園部逸夫さんも言っていますが、国会が多数決で最高裁判事を選ぶようになれば、国民の関心も高まっていくでしょうね。最高裁判事は憲法判断のときに政治的な判断をせまられるので、国民は最高裁判事がどんな人なのかを知っておく必要があるといえます。



ただ、今の日本では裁判所が政治的に弱すぎるので、国会選出をやると、(パワーバランス的に)太刀打ちできなくなります。欧米の裁判所は、司法権の独立を守るべきであるという社会的コンセンサスがあるから(政治的にも)強いのですが、日本の現状はそうではありません。



ーー最高裁が政治的な力をつけるには、どうすれば良いのですか。



それが難しいところです。欧米のように、司法権の独立についての社会的コンセンサスが形成されればいいのですが、道のりは険しいですね。国民は司法にそれほど関心がない上、判決についても結論がわかればよく、判決理由まで知ろうとはしない。だから、国民に関心をどう持ってもらうのかが重要になります。



結局、憲法や三権分立など現在の制度が、欧米の制度を借りてきただけで、定着しきっていない、社会的なコンセンサスとして根付いていないところに問題があると思います。「お上意識」については、新著でも言及しましたが、日本の国民は「お上任せ」にすることに慣れすぎているのかもしれません。





●白ブリーフは「消極的信頼」を崩すためのアイテム?

ーー国民の裁判所への関心を高めようという主張は理解できましたが、実は白ブリーフもその一環だったのでしょうか。



そう言ってしまうと誤解が生じると思います。ただ、「最高裁に告ぐ」では、わずか2行だけですが、裁判官が白ブリーフ画像をアップする効用について書いています(笑)。この本では「司法の信頼」には2種類あることにも触れています。今は、ベールに包み込んで神秘性を高めることによる「消極的信頼」が得られています。それとは異なる「積極的信頼」というものがあります。(アメリカの法学者の)ダニエル・フットさんが言い始め、他の方も言及しているので、ある意味受け売りなのですが、その話の流れの中で、白ブリーフについても言及しています。



ーー日本の裁判官が、積極的な信頼を獲得するための発信ができるのでしょうか。



アメリカでは一部の裁判官を選ぶのに選挙があるのが大きなポイントです。国民の方に出ていかないと票が入りません。集会に参加もします。ですから、積極的信頼を得ようとします。他方、日本の裁判官は極端に秘密主義です。オープンかクローズドかという点では、日本の裁判官は、世界でも平均的なところになるくらいになるまでは変わらなければならないと思います。



ーーSNS以外で、裁判官が国民に近づくためにできることはありますか。



本を出すとか雑誌に載ることなどが考えられます。どんどんテレビに出てもいいと思います。しかし、最近は、全く反対の動きになっています。定期的に出版されている専門訴訟の書籍を除くと、裁判官が本を出すということ自体がほとんどなくなっているのです。とりわけ、若い世代の裁判官は、本を出すということはまずしません。



ーー逆に、国民からの歩み寄りは期待できないのでしょうか。



現状では難しいしょうね。でもそこをやらないといけない。なぜなら、司法は、司法権の独立についてしっかりと国民的コンセンサスを得ることに権力の源泉をもつしかないからです。



(政治の動きとは無関係に裁判所が積極的な判断を示すことができた1960年代ごろの)「裁判所の春」は、「司法の危機」の時代に政治的勢力によって潰されました。司法が力を取り戻すには国民的コンセンサスの形成しかないのですが、難しいだろうなと思っています。



ただ、少なくとも状況は理解してほしい。司法権の独立は三権分立の一つの基盤となるものですが、公民で習ったようなことは建前で、実際の社会ではそれが十分に理解されていないんですよと。



ーー裁判所内で、積極的信頼を勝ち取ろうという動きはないのですか。



内部では、統制がかかっていて、積極的信頼を勝ち取ろうとする人はあらわれません。(リベラルな裁判官が集まる)「全国裁判官懇話会」も、あからさまな人事上の差別をされて解散し、後進の「日本裁判官ネットワーク」にも、多くの人が距離を置こうとしている。そんな雰囲気では、新しい動きが出るはずもないですよね。結果的に、裁判官のエネルギーも奪われていると思います。



ーーアメリカの裁判官は多くが異動がないため、内部昇進を気にしないという話があります。積極的信頼を勝ち取るためには、米国のような法曹一元(法曹経験者から裁判官・検察官を任用する制度)が理想的だと考えますか。



道のりは遠いですね。今のキャリアシステム(法曹資格を取得後に、裁判官に任命され、裁判官としての道を歩む仕組み)だと、一応優秀層を確保できるメリットがありますが、法曹一元になると、そこがわからなくなります。キャリアシステムを採用している現状においては、要件事実教育(当事者の主張を法的な見地から正確に再構成するための訓練)が施された裁判官が最終アンカーになって、それなりに高いレベルを保っていると思います。



現在は、要件事実教育がなくなったので、要件事実教育を受けた裁判官がどんどんいなくなります。主張の整理がうまくできずに、的外れな証拠調べが行われることも起こりえます。要件事実教育をもとに戻すべきだということは、別の著書「裁判官は劣化しているのか」(羽鳥書店:2019年2月出版)で主張しています。



ーー今回の新著では、「事後に検証可能な科学的合理的判決」の重要性も主張されています。



もっとも、マスコミも国民も、結論以外には、基本的に興味を持ちませんよね。君が代斉唱不起立による再雇用拒否の訴訟の最高裁判決(2018年9月)に対し、保守系以外のマスコミは、「理由をほとんど書いていない」と批判したのは例外的だと思います。この話も新刊の中で取り上げています。



マスコミも、(理由が書かれず事後検証できないような判決には)「結論はどちらでも良いので、ちゃんと理由を書け」と批判するようになってほしいですね。近代国家の裁判は、科学的合理的な判決を示して、みなが納得できるようにするものです。結論だけ押し付けるのは、古代の裁判でしょう。



ーー新著で、判決批判はマスコミには期待できないので、法曹や学者がやるべきではないかとの考え方も示しています。



ただし、学者は今、社会的な影響力が低下していると感じざるを得ません。また、学者は、自分の研究対象から外れるとあまり興味を持たないかもしれません。そうなると、法曹界のなかで、判決を批判して検証するものを作っていくしかないんでしょうね。



判例研究などを司法研修所がやればいいのでしょうが、司法研修所は最高裁側の組織です。また、法曹は、裁判官も含めて、皆忙しい。弁護士も、批判できるだけの能力を身につけないといけないですよね。



ーー結局、批判できる人が誰もいないように聞こえます。



だから、最高裁が王様化しているんです。本では色々書きましたが、基本打つ手なしなんです。とりあえず、事実を知ってほしいと思っています。



判決理由を書かなくていいのであれば、最高裁判事など誰でもつとまるのではないかとも思います。結論を決めたら、理由は、単なる三行半。それでいて大きな権力を持っていますから。



ーー岡口裁判官が理想とする「裁判所の春」の時代は、政治が動いているときでも、裁判所が独立した判断をすることができた時代でしたか。



昔の法曹には、司法の本質が「少数者の保護」という意識が強くありました。政治的な横槍が入って、思うようにそれができなくても、「本当はそうしたい」という気持ちがあって、最高裁判事の中には(政治の動きを批判するような)少数意見を明らかにするような人がいました。でも、最近は裁判官の意識が変わって、そもそも「少数者保護」などとは思わないのかもしれません。



ーー司法の本質が少数者の保護である点を簡単に解説してください。



「民主主義」と「自由主義」という二つの概念があります。多数決原理で決まる「民主主義」だと少数者はやられっぱなしになりますよね。でも、少数者の一定の自由は守らなければならないというのが、「自由主義」です。最低限の権利や平等権が侵害された時には、司法が救済しましょうという意味です。最近でも、少数者を差別する「平等原則違反」があって司法が動くべき場面は、いろいろとあります。





●「表現の自由」が理解されていない

ーー今年3月には国会の訴追委員会からの出頭要請がありました。しかし、最高裁はもともと、政治の介入を防ぐために、戒告処分をすることで、訴追委が動かなくなると理解していたのではないでしょうか。



そうですね。戒告処分をしてもなお訴追委員会が動くとは予想していなかったと思います。



ーー訴追請求はいつ頃されたものなのですか。



今問題になっている最初の訴追請求は、女子高生殺害事件のツイートが契機になっていて、(遺族ではなく、一般の方による)請求から1年半位経過しているみたいです。



ーー訴追委員会の状況について、裁判所から聞かれたことはないですか。



一切ないです。



ーー新著では、女子高生殺害事件の判決文をツイッターで紹介したことにも触れているのですか。



はい。遺族の方に対する私の思いを新刊の中で明確にしています。ただし、こういうインタビューで答えたことがインターネットで配信されると、その一部が切り取られたりしかねませんので、内容は新著の中で確認していただきたいと思っています。



ーー遺族の方の発信について、どう捉えているのでしょうか。



遺族の方は、最近、ツイッターなどで盛んに情報発信をされています。遺族の方が一貫しておっしゃっているのは、判決文を「拡散」されたことで傷付いたということです。



これは、私が、東京高裁長官から聞いた話とは違いますし、岡口分限決定で補足意見を書いた最高裁判事らの認識とも異なっています。異なる前提に基づいて、書面による厳重注意処分がされたということになりますし、また、現在では、私が罷免の危機にまで直面しているわけです。



ーー分限裁判の処分が出て、その後訴追委の調査があり、弾劾裁判にかかる可能性があります。50年後、100年後に岡口さんのケースは、どのように見えていると思いますか。



「これで戒告?」「これで罷免?」と言った感じで、理解できないんじゃないでしょうか。平成末期の日本が、表現の自由についてまだ十分に理解していなかった、先進国になりきれていなかったと感じると思います。



ーーどのような意味でしょうか。



東京高裁長官に呼ばれたときから、訴追委の出頭まで一貫して主張し続けていることですが、「ツイートが、名誉毀損やプライバシー侵害等の違法行為に当たり、それにより関係者を傷つけた」ということならば理解できます。しかし、最高裁の分限決定の補足意見などでは、「名誉毀損等」という違法行為の認定なしに、「ツイートという表現行為が関係者を傷つけた」となっています。



誰も傷つけない表現はあるのかという問題です。名誉毀損などの違法行為がない場合に、「表現行為そのもので傷つけた」という非難をしてはならないということです。その点がこの国では理解されていません。50年後の日本でこの点が十分に理解されているかわからないですけど、「傷つける表現をしてはいけない」というのでは、(「傷ついた」と主張する人がいる限り)何の表現もできなくなります。



(了)



(弁護士ドットコムニュース)


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