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漫画家ヤマザキマリインタビュー「規格外の母」から学んだこと

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2019年03月27日 17:11  ウレぴあ総研

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ウレぴあ総研

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■もっと「自分」のまま生きてもいいんだよ、とエールを送ってくれるような一冊

漫画家・ヤマザキマリさんがこのたび、自分の母親について語った本を出版されました。

女の子は性格悪くてOK!? 西原理恵子に聞いた「女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと」【インタビュー】

題して『ヴィオラ母さん 私を育てた破天荒な母・リョウコ』です。

北海道に初めてできたオーケストラにヴィオラ奏者として入団するため、一時は実の両親からも絶縁されたリョウコさん。見知らぬ土地で母になり、未亡人になったリョウコさん。

娘2人を育てながら、音楽に身を捧げ、北海道、いや世界中を縦断する怒涛の日々は、笑いとエネルギーに満ちています。

前書きで、ヤマザキさんは「多様な悩みを抱えた昨今の日本の女性たちに役に立つかどうかはわからない」と述べていますが、筆者はむしろ、すがすがしいものを感じました。

妻という役割、母という役割、地域での役割など、気づけば自分が何を食べたいかさえ、わからなくなるほど他人軸に生きてしまうことも可能な現代のママたちに、もっと「自分」のまま生きてもいいんだよ、とエールを送ってくれるような一冊です。

表紙には、モノクローム写真のなかでヴィオラを手にしてほほ笑むリョウコさんが。リョウコさんという規格外なお母様の生き方と、それがヤマザキさんに与えた影響について、ヤマザキマリさんご本人にお話を伺いました。

■“野生の馬のような”母だった

――前書きにお母様、リョウコさんのことを、“野生の馬のような”と書かれていたのが強烈でした。

ヤマザキマリさん(以下ヤマザキさん)「私も鼻息が荒いから馬子ってあだ名がついていましたけど、母はものすごい勢いのある人でしたね、体裁なんかいっさい構わなくて、世間からどう思われるかとかまったく気にしない、自然体の人でした」

――そのブレなさがすごいです。本当に野生動物みたいですよね。

忙しい、時間がない、だから子どもをかまえないので、おにぎりと置き手紙とおかずを買うお金を置いて音楽の仕事に出ていたリョウコさんですが、いわゆるほったらかしの放任という印象は受けません。

■母の一生懸命な様子をみていたら、こっちもがんばらなきゃって

ヤマザキさん「放任ではないですよね。なぜかというと、いつも意識の片隅に私と妹がいて、彼女は私たちにものすごい信頼感を持っていましたから。私たちも、ほったらかしにされているからといって、だったら好きなことをやってやるって気持ちにはならなかったですね。

母の仕事にも家族にも一生懸命な様子をみていたら、こっちもがんばらなきゃって思っていました」

――それって絶対的な信頼ですよね。でも、子どもが欲しがるからキャラクターものを与えるとか、そういうことはまったくしてくれなかったそうですね。

ヤマザキさん「そういうことはまったくなかったですね。なにか欲しいと言うと、なぜ欲しいのかを問い詰められて、『それはみんなが欲しいって言っているからだけで、あなたの評価はどこにあるの?』とか、哲学の押し問答みたいになるんですよ。

で、最終的にはこちらが『じゃあもういいよ・・』って(笑)」

――あきらめるんですね(笑) それから、お弁当のエピソードも衝撃的です。蓋を開けたら、バターと砂糖を塗ったパンが入っていた・・

ヤマザキさん「パカッと開けて、パカッと閉じるんですけど、それを見ていた同級生がおかずを分けてくれたりして。それが一回や二回じゃないですからね。

で、お弁当はもう自分で作るから母は気にしないで、と伝えました。料理がさっぱりできない人だったから、それなりにがんばってあのお弁当なので、ちょっと気の毒でした(笑)」

――もはや諦観の域ですね。そこで“お母さんのバカー!”とはならなかったのでしょうか。

ヤマザキさん「ならないですよ。 戦時中と戦後に散々な目にあった母にとってバターと砂糖のパンは贅沢品でしたし、なにより弁当で愛情を表現する、というコンセプトが彼女にはないわけです。そういう価値観の人に一般論的な解釈で何か言っても始まらない。

もうすべてが他の家と違いすぎて、というか、出だしから比べるフォーマットが一切なかったんですよ。

学校からただいまーって帰っても、誰もいないのはやはりさみしいな、というのはありましたが、それすら、他の家と比べても仕方ないな、他の家のお母さんは音楽家ではないしコンサートとかないしな、と思っていました」

――それで、お弁当もご自分で作られるようになったのですか?

ヤマザキさん「ご飯が炊ければ、けっこう子どもでも作れますよ。当時すでに冷凍食品もありましたからね、おかずなんて二つくらいあれば十分です。

体裁なんか気にしているひまはないし、母が家にいないことやお弁当を作らないことを、不自然につくろうこともせず堂々としていましたね。

私は母には私の弁当で愛情表現をしてくれるよりも演奏活動でいきいきしていてほしかったし、私に読ませたい本を買ってきてくれたり、動物を拾ってきたり、それからたまに、私たちに学校を休ませてドライブに連れていってくれたのはもう最高に嬉しかった。弁当なんて二の次です(笑)

周りと違うことだって、こちらがこそこそしていなければ、誰もなにも言わない。『こういう家もあるんだな』と思われるくらいで」

■母から受け継いだもの、反面教師にしたもの

――本に、リョウコさんはトラブルに見舞われても、笑い飛ばす能力があったとありましたが、それはヤマザキさんにも受け継がれているのでしょうか。

ヤマザキさん「母よりは笑わないですけどね(笑) 母はなんでも笑いに昇華するんです、すべてがおかしいこと、なんでも深刻になるほどのことはないと思っていたみたいです」

――深刻になると、たぶん別のドラマ、たとえば同じ北海道でも『北の国から』みたいになるんでしょうか。

ヤマザキさん「そういうシナプスがないですよね。人生おかしいなー、しっちゃかめっちゃかだなー、でもこの地球に同じタイミングで生きて、どれだけ楽しいことができるかなーっていうノリですからね」

――逆に、反面教師にしたところはありますか?

ヤマザキさん「自分がかぎっ子だったので、自分が幼い時に感じていた帰宅時のさびしさに関しては、うちの子どもは味わわなくてもいいかな、と思っていました。

私は漫画家だから家にいられたので、子どもが帰ってくる時間にはなるべく家にいようとしていましたね。

子どもの通学路がベランダから見える家に住んでいた頃は、遠くから帰ってくる息子に向かって、『おーい』って手を振ったりしていました。これは息子の方から、『恥ずかしいからやめてほしい』と言われましたが(笑)」

■反抗しようにも反抗しようがなかった思春期

――ヤマザキさんは、保育園の頃から、泣いている他の子どもを慰めたりするようなしっかりしたお子さんだったそうですが、その後の思春期に、いわゆる反抗期というのはなかったのでしょうか。

ヤマザキさん「反抗期ですか?・・大きな反抗期というのはなかった気がします。バイオリンのレッスンが嫌で、投げて壊したことはありますが。ものすごく強烈に怒ったことはないかもしれません。なぜかというと、押しつけてくることがなにもないし、私がやることに文句もつけてこないから。

高校時代に私がパンク系音楽にハマっていた時は音楽を聴くための夜遊びは許してくれていたし、補導されたときも警察の派出所にやってきて『あ、うちは許してるんでいいんです』って(笑)。

そのあと私には『あんた、もうつかまらないようにしなさいよ、面倒臭いから』って言われました」

――ダメと言われたことがないと書かれていましたよね。たとえば、学校に行きたくないと言った時・・

ヤマザキさん「最初は私も怒られるかな、と思いながら言ってみたのですが、へえ、じゃあ休めば?と言われた時の肩透かし感。無理して行っても仕方ないよ、電話しておくからって言われて、そうなるとむしろ罪悪感が出てきて、もうずる休みはやめようと思ったりして。

逆に、母が私たちを野外コンサートに連れていきたい場合などは、学校に電話して休ませていましたね。海外への演奏旅行などで母がいない時も、学校は休んで知り合いの家に預けられていました」

――そういうことに対して、どう思っていましたか?

ヤマザキさん「まあ、寂しいは寂しいですし、他所様の家に預けられているのも辛いですよね。

だけど、母の仕事を恨んだりすることは一抹もなかったです。むしろ、音楽を辞めてほしくないなと。音楽は母を支える絶対的に不可欠のものだっていうのがわかっていたし、私も音楽という芸術には大きなリスペクトを持っていましたから。

それと、私たちは母から信頼されているんだな、という感覚がありましたね。母の不在が多いために私がグレて不良になってしまうんじゃないかとは、これっぽっちも思ってないんだなって(笑)。

■家族だからって一緒にいなくてもいい

ただ、私はわりと早い時期に、この家を出ることになるだろうなとは思っていましたね」

――何歳くらいからですか?

ヤマザキさん「小学高学年ですね。母が家を建てた時にあれこれ欠陥だらけで文句を言ってたら、『だってここはママの家だし、あんたたちはさっさと行きたい所へ行って自分たちの好きな家で暮らせばいいじゃないの』って、母も私たちに言ってたので」

――それを聞いて、さみしくはなかったのでしょうか。

ヤマザキさん「それはないですね。母は北海道に来たことで彼女の実家から勘当されていて、その後和解はするのですが、それを見てきているので、小さいうちから、家族であってもそれぞれ自分たちで生きて行くのは当然なんだと思っていました。

家族だからって一緒にいなくてもいい。離れていても家族という関係はずっと続くし、愛情も届く。それだけは子どもの頃から感じ続けています。

実際、今、私の家族も全員、一家離散状態ですが、子どもには好きなことをやってほしいし、こっちもやることはありますし、さみしいとかはないです。血は繋がっていても、それぞれの人生ですからね。年に3回くらいは会ってますけど、それで十分」

――子離れがなかなかできない人もいますが、まったくそういうことはなかったのですね。

ヤマザキさん「私も自分の仕事が忙しかったし、息子も気がついたらハワイ(の大学)にいたという感じでした(笑)」

■親子というより、共同体

――大人になってからのリョウコさんとの関係はどんな感じだったのでしょうか。

ヤマザキさん「私が17歳でイタリアに行ってからは、完全に独立した関係になりました。母も私が大変そうな暮らしをしているのを見てもあえて干渉しない。あんたの人生だから、って言い切ってました。でも財政上、本当に大変な時は助けてくれましたけどね」

――世の中には大人になって親子の関係を断つというケースもありますが、そうはならなかったのですね。

ヤマザキさん「関係を断つなんて有り得ないです。傍から見れば離れている時間が多い家族かもしれませんが、だからこそお互いのことを常に考えていたという感覚があります。

それぞれの人生を精一杯生きている中で、本当に会いたい時にはもちろん会うし、助けてほしいときは素直にそれを伝える、という感じですね。

子どもの頃、母が『ふつうの母親』としての振る舞いを意識しようとしたこともあったけれど、私自身は不自然だと思ったし、やめてほしかった。

母には余計なことを考えずにリョウコという人間を存分に生きてほしいと思っていました、人生の先輩として、世界は楽しいんだ、っていう見本を全身全霊でやっていて、と。その方が見ていても楽しいし面白い。

そして、何より人生の先輩のあり方として、心底から安心する。笑ったり失敗したり懸命になったりしている母を見ながら、実は母親の立場は私のほうなんじゃないか、と思うことすらありました。

私と妹は子どもだけど、彼女をじっと見守っていた立場だったのかもしれないなって」

――捨て犬を拾ってきたのは、リョウコさんの方だったそうですね。

ヤマザキさん「そうですよ! 私と妹の方が『戻してきなよ』と言うと、『戻せるわけないわよ、こんな可愛い犬…。家族から離れてひとりぽっちなのよ?そんなこと言うのなら、じゃあ、あんたが捨ててきなさい!』・・・一同シーン、みたいな」

――立場が逆ですね(笑)

ヤマザキさん「で、飼うしかないか、となるんです。母は動物大好きなので、私が鳥のヒナを拾ってきた時も『こうなったらもう育てるしかない。餌を調達しないと!』って大変な騒ぎになる。カメラを持ってきてピヨピヨ餌をねだる小鳥の写真をカシャカシャカシャーって撮って。

そんな風に動物たちに愛情を感じて守ろうとしている姿越しに、彼女の本質的な母性を感じましたね」

――ピュアな方ですよね。

ヤマザキさん「ピュア過ぎて、こっちが心配になるくらいです。でもそういうところに、母の温かさや深さが垣間見えて、いいなあと思ってもいました。

でもそんなピュア過ぎる母ですから、世の中全員いい人に見えてしまうという難点はあります。変なセールスにもことごとく引っかかってきていますから、母は(笑)。でもある意味、幸せですよね、周りに良い人しかいない人生なんてそう誰でも感じられることじゃない」

――リョウコさんの目には、世界も違って見えていたのでしょうね。

ヤマザキさん「些細な事でもすごく感動しますからね。ちょっと虹がかかっただけで、『見てごらん、なんてきれいなのかしら。地球って凄いわねえ、生きててよかったわねえ』って。

どんなことにでも、いちいち情感たっぷりに地球レベルで感動するんですよ(笑)」

■私を子ども扱いしない振る舞いからも、強い信頼と愛情を感じていた

――そういうところはヤマザキさんにはないのですか?

ヤマザキさん「いや、受け継いでいますよ(笑) 。青空の下を歩いているだけで、『地球っていう惑星はすばらしい!』って思うことはしょっちゅうです。生きるのは大変だけど、大気圏で息ができて、色彩に感動できて、食べ物が美味しいと思えて最高じゃん!って(笑)」

■愛情の伝え方は人それぞれでフォーマットなんてない

ヤマザキさん「母の子育ては距離もあるし、一般的な母親的愛情表現も滅多にない。お弁当も下手くそ。

だけど、大人になったら誰もが感じるであろう生きることの難しさや辛ささえもリョウコは、『大丈夫、なんだかんだで生きてるって楽しいから!』と体を張って見せてくれていた。それがもう、私たちにかけがえのない安心感を与えてくれたし、愛情でした。

子どもの頃、忙しい朝の時間、リョウコは私に自分が読んでいる新聞記事を差し出しては『これどう思う? お母さんはおかしいと思うのよ』とよく語りかけてきました。私を子ども扱いしない振る舞いからも、私は彼女からの強い信頼と愛情を感じていました。

愛情の伝え方は人それぞれです。私も子どもが小さかった頃は、イタリア式に1日何度も『あなたは私の宝物よ!! お星様よ!!』と言いながら息子を抱き締めていたこともありましたけど、今は息子への態度が素っ気なさ過ぎると周りから『ずいぶん冷たい親だな』なんて言われます(笑)。

でも、息子は私がどれだけ彼を信じていて、どんなに大切に思っているかを確実にわかっている。だから、彼は私たち家族と遠く離れた場所にいても、こちらを気にせず毅然と前を向いて自由に生きていられるわけです。

何度も言いますが、愛情の伝え方は人それぞれでフォーマットなんてありません。肝心なのは、相手に確実に愛情が伝わっているかどうかだと思います」

――リョウコさんという女性の、甘えのない、大きな愛を感じますね。今日はお話、どうもありがとうございました。

【取材協力】ヤマザキマリ

1967年東京都生まれ、北海道育ち。84年に17歳でイタリア に渡り、油絵と美術史を学ぶ。97年漫画家デビュー。その後、 結婚を機にシリア、ポルトガル、シカゴへ移住。 現在は日本と北イタリアで暮らす。
2010年『テルマエ・ ロマエ』で第3回マンガ大賞を受賞。17年イタリア共和国星勲章 コメンダトーレ綬章。著書多数。

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