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「移植したら僕はもういいの?」夫に言われてハッとした”距離感”

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2019年03月28日 09:51  ウートピ

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ウートピ

写真「移植したら僕はもういいの?」夫に言われてハッとした”距離感”
「移植したら僕はもういいの?」夫に言われてハッとした”距離感”

中学1年生の時に腎臓病になり、36歳で末期腎不全になってしまった、ライターのもろずみはるかさん。選択肢は人工透析か移植手術という中で、健康な腎臓を「あげるよ」と名乗り出たのは彼女の夫でした。

もろずみさん夫婦と、周りの人たちへの思いをつづるこの連載。今回は、守り神だと信頼する移植コーディネーターさんについて書いていただきました。

移植から1年目に私が訪ねたのは…

2019年3月23日、夫婦間腎移植を受けて丸一年が経過しました。ドナーという大役を担ってくれた夫は、趣味のフルマラソンを移植前と変わらないタイムで走りきるほど回復し、レシピエント(腎受給者)の私も、腎機能を表すクレアチニン数値は0.7〜0.8mg/dlをいったりきたりと正常値をキープ。臓器移植医療の成果を存分に体現できた1年となりました。

1年という節目に、私はある人を訪ねました。それは、移植コーディネーターのAさん。彼女に「移植腎をしっかり維持しています」と報告すると共に、「私、ドナーの心理をちゃんと理解してケアできているでしょうか?」という問いに、客観的に答えてもらうことが目的でした。

移植コーディネーターは、レシピエントとドナーの守り神

“移植コーディネーター”には、レシピエント移植コーディネーター(以下、RTC)と、ドナー移植コーディネーター(DTC)の2種があり、Aさんは前者。なのでここでは、RTCについて話します。

臓器移植医療に移植コーディネーターが必要な理由。それは、臓器移植医療はレシピエントとドナー存在によって成立するからです。一般的な医療よりも高い医療倫理が求められ、移植医療の安全性・公平性、社会への透明性も重要。移植コーディネーターは、医療チームと患者・家族の間に立ち、あらゆる調整役を担います。

Aさんを見ていると、RTCの仕事は“人間力”が試されるなと感じます。そもそも末期症状になり不安に押しつぶされそうな腎臓病患者が「移植か透析か」といった究極的な意思決定を即座にできるわけもなく、多くの患者が思い悩みます。RTCは患者と家族に移植医療の技術、実態、倫理的なこと、社会的背景も含めて説明することとなります。性格も社会的地位も家庭環境も異なる患者は受け取り方もさまざまでしょう。

十人十色の繊細で複雑な人間模様を、目の当たりにしながら、一人ひとりの心に寄り添い、問題があればじっくり話を聞く。そしてその患者にとって最適な道を模索し、実現に向けて調整・コーディネートする。

その内容を知って私はなんて素晴らしいんだろうと感動しました。それ以来、RTCは、レシピエントとドナーの守り神だと私は思っています。

Aさんは、「大切なのはドナーさんの気持ちなんだよ」と繰り返しおっしゃいました。無償で自分の臓器を他者に提供すると決断したドナーの思いが、報われるかどうかはレシピエントにかかっています。レシピエントがドナーの気持ちやモラルを理解し、移植後も、ドナーへの配慮を忘れないこと。Aさんは、未熟な私に人としての在り方を伝えようとしてくれているようでした。

Aさんの言葉に“愛の本質みたいなもの”を感じた

歌手のセレーナ・ゴメスさんが友人間腎移植を受け、ドナーと隣同士のベッドで微笑み合う写真をネットで見て、「これぞ愛だ!」と感動し、同じように夫に寄り添いたいと思った私は、手術の前に「移植後は夫と同じ病室にしてほしい」とAさんにお願いしたことがありました。

すると、Aさんは、少し厳しい表情で「ごめんなさいね。それは当院の規則できないのです」と首を横に振りました。「あげる方と、もらう方では、手術のダメージも状況も異なりますから、それぞれが治療に専念できるよう別室でお願いしたい」とのこと。

それを聞いた私はとっさに「えー、何がいけないのだろう? ひょっとしてアメリカとは違って日本は“自由度が低い”のかな」と、ひねくれた発想をしました。けれど、その後のAさんの言葉で、自分の浅はかさを知ることになります。

「ドナーさんの立場になって考えてみてほしいのです。ドナーさんは、健康な体にメスを入れられ、臓器を一つ取り出します。強い痛みもあるでしょう。けれど、医師も看護師も、ドナーよりもレシピエントにつきっきり。それは移植した腎臓が生着して正常に機能するようレシピエントを慎重にケアしないといけないからです。とはいえ放置状態のようになったドナーさんは何を思うでしょうか。悲しい・苦しいといった感情が芽生えるかもしれません。こんなことならドナーにならなければよかったと後悔してしまうかもしれません」

ここで、Aさんはフッと表情を緩ませます。「そんなこと、絶対に思ってほしくないじゃないですか。だから移植後、ドナーとレシピエントは、適切な距離感を保つ必要があるんです」

Aさんの言葉は、「べったりそばにいるだけが愛じゃない」という愛の本質のようなものをついている気がしました。

「腎臓もらったら、お役ごめんってこと?」

事実、移植から数ヶ月後に、夫はこんなことを言いました。「術後の痛みと戦いながら一人ポツンとベッドに横になっていると、いろいろ思うところがあったんだよね」「腎臓取り出したら、お役ごめん、みたいなことなのかなって黒い感情が芽生えた」。

夫は見返りゼロで命の一部を譲って貢献したはずなのに、何だか、誰も自分に関心がないみたいに感じていたようです。

誤解のないようお伝えしたいのは、医療チームが夫を放っておいたなんてことは全くありません。ドナーに冷たくしたのではなく、医療チームは傷と痛みの手当て以外にはできることがないのです。ドナーは病気ではないからです。

誰よりも夫に配慮すべきは私の役目なのに、開腹手術後のダメージで、「ありがとう」を伝えるのが精一杯。私には夫を思いやる余裕がありませんでした。

夫のその告白を聞いて、「ああ。Aさんの助言通りだった。別室にしておいて本当によかった」とAさんに感謝しました。これ見よがしに医師や看護師さんに至れりつくせりをされている姿を見られたら、もっと夫を苦しめていたかもしれないですから。

これが、Aさんが言っていた「距離感」なんだと、この時初めて理解できたのです。

夫の言葉、信じていいの?

1年も経つと、レシピエントは見違えるように元気になります。「本当に移植したんだっけ?」と思うくらいに、何の違和感もありません。

うれしい反面、背負ったはずの十字架が消えていくようで罪悪感を抱く私。夫は、「移植したことを忘れるのは悪いことではないよ。忘れるほど元気になったって証拠だからね」と口では言ってくれていますが、夫の言葉を鵜呑みにしてはいけないと思う自分もいました。

だから、1年の節目にAさんを訪ね、今の私を見てもらいたかったのです。

病院で、Aさんの名前を呼び、久しぶりにお顔を見ると、再会できた喜びと高揚感で、汗がじんわりと滲みました。

今の私、どう? どう? どう? と、ちょっと厚かましく、前のめりになっていると、Aさんは、こんなことを言ってくれました。

「うん、うん。その調子で大丈夫。ドナーさんが何より嬉しいのは、レシピエントが元気でいてくれること。ほら、ドナーさんの気持ちになって考えてみて。自分が提供した腎臓のおかげで、レシピエントのQOLが上がって、笑顔が増えて、生き生きしてるんですよ。きっと、そういう時に、ドナーになってよかったって思えるのかもね」

ああ。またしても、私はドナーの気持ちを理解できていなかった。夫の言葉を素直に受け止めず、あまのじゃくになっていた自分を残念に思いながらAさんを見ると、「だーいじょうぶよーー」ともう一度言って、笑ってくれました。

(もろずみはるか)

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