『まんぷく』はなぜ愛されたのか? 長谷川博己と安藤サクラが教えてくれた人生の歩み方

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2019年03月31日 06:11  リアルサウンド

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「まんぷくヌードルだってそうだ。あの商品の価値は美味しさや、便利さだけじゃない。“自由の象徴”なんだ」


参考:『まんぷく』安藤サクラ、“朝ドラの難題”クリアし国民的女優へ 表現者としての類い稀な存在感


 “自由の象徴”。歩行者天国と結びつけて、萬平(長谷川博己)はそう表現した。外で歩きながら食べるということは、これまでになく“自由”なスタイルである。そして、その歩行者天国での企画は見事にヒットしたのだった。


 しかし、“自由”を愛するのは「まんぷくヌードル」を積極的に受け入れた当時の若者たちに限った話ではないように思える。“自由”はこれまでの『まんぷく』(NHK総合)の通奏低音として流れ続けていたはずだ。全151話を通して伝わってきた、あの高揚感、ドキドキ、ワクワク。毎朝そんな気持ちにさせてくれた理由の一つは、次々と新境地に足を踏み入れていく福子(安藤サクラ)と萬平が、いつだって自由を味方につけていたからかもしれない。正直、簡単に実践できる生き方ではない。もし2人と一緒に暮らすようなことがあったら、鈴(松坂慶子)のように愚痴をこぼしてもおかしくはない。それだけ立花夫妻の歩み方は、冒険的で、観ている者をびっくりさせるようなものだった。次から次へと新たな発明に乗りだし、果敢にチャレンジしていくことは、自由にやっていこうとする意志がなければできない。“自由の象徴”とは2人の生き方そのものでもあったと思う。


 もちろん、人生山あり、谷あり。萬平や社員が捕まることもあれば、偽物の商品に悩まされることもあったわけで、常に好きな生き方をして楽しんでいられたわけではない。かつて、忠彦(要潤)は「まんぷくラーメン」のデザインに、それまで2人が遭遇した困難の象徴として荒波を描いたが、まさしく『まんぷく』全体を通した福子と萬平の人生を見事に表現していた。しかもその波はただの波ではなく、赤、橙、黄色、緑で彩られたカラフルな荒波。確かに笑えないような災難も中には含まれていたが、どうにか支え合いながら前に進み、少しでも人生をより明るく、興奮に満ち溢れ、面白いものにする努力をしてきた。「面白い人生など存在しない。人生を面白くする人間がいるだけや」とはアキラ(加藤雅也)の言葉であるが、その通り。私たち次第なのだ。


 福子と萬平の周りにはいつだって応援してくれる人々がたくさんいた。どうしてかくもみんなから愛され、信頼され続けたのか? その答えはもうだいぶ昔に東先生(菅田将暉)が口にしていた。「人徳」である。東は2人の周りに「良い人たちばかり」が集まる理由を端的にそう言ったのだった。人徳なんて言葉には堅い響きがあるかもしれない。しかし、実はとてもシンプルなことを意味している言葉だと思う。それは、世の中の人々の幸せのために生きようとする姿勢そのものであって、萬平たちがこれまで常々貫いてきたスタイルに他ならない。いまだ誰も知らない商品で人々を驚かせて、幸せにすること。このごく当たり前のように見えるイズムこそが、2人を囲む登場人物たち、そして視聴者を魅了してきたのだろう。


 小腹がすいたとき、忙しい仕事の合間、受験勉強の夜食、あるいは萬平のように朝ごはんに食べる人も? 湯をかけて待てば完成するラーメンは、今や私たちの生活に当たり前のように存在する。でも、その「当たり前」を作り上げたのは、福子や萬平のようにただひたすら諦めずに努力を積み重ねてきた人々のおかげなのである。即席ラーメンに限った話ではない。ありとあらゆる身の回りの「当たり前」な存在の裏には、福子たちのようなドラマが隠されているのだと思うと、ちょっと世界が変わって見える。


「生きてさえいれば、希望はあるということや」


 誰の言葉だったか覚えているだろうか? そう、三田村亮蔵(橋爪功)の言葉である。萬平が捕まったとき(3度目のとき)に、三田村は福子にこの言葉をかけて励ましたのだった。福子はいつだって萬平のことを信じ、支え、ときに引っ張ることで、成功を手にしてきた。たとえどんな形であれ、目の前にある“希望”を繋ぎとめてきたのだ。強く、元気で、クレバーで、たくましくあり続けた福ちゃん。半年間、最高の朝ドラをどうもありがとう。(國重駿平)


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  • 上野と銀座の「歩行者天国」ではよく見かけましたよ。『常識って言う奴とオサラバする時に〜』旨かったよ!! 今は馴れてしまったのかな?
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