『PRINCE OF LEGEND』評論家対談【前編】 「“王子が大渋滞”は現代を象徴するフレーズ」

0

2019年04月03日 10:21  リアルサウンド

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

リアルサウンド

写真

 劇場版『PRINCE OF LEGEND』が大ヒット公開中だ。本作は、TVドラマやゲーム、ライブイベントなど、様々なメディアと連動した、LDHが手がけるプロジェクト『PRINCE BATTLE PROJECT』の一環として制作。熱狂を生んだ『HiGH&LOW』シリーズの製作陣が再び集結し、劇場版ではドラマ版のクライマックスパートが描かれる。


 今回、リアルサウンド映画部では、圧倒的なルックスを誇る王子たちが、「伝説の王子」になるべくバトルを繰り広げる『PRINCE OF LEGEND』を掘り下げるために、ドラマ評論家の成馬零一氏と、女性ファンの心理に詳しいライターの西森路代氏による対談を前編と後編にわたってお届け。前編では、これまでの「王子様ドラマ・映画」との違いや、白井聖演じる成瀬果音の“ヒロイン”としての新しさをテーマに、それぞれの見解を明かしてもらった。(編集部)


■現実世界と交錯する配役


成馬零一(以下、成馬):『PRINCE OF LEGEND』(以下、『プリレジェ』)の面白いところは、LDHが少女漫画テイストの「キラキラ映画」を直球でやっていることですよね。LDHの作品は、『HiGH&LOW』(以下、『ハイロー』)もそうだったんですけど、ド変化球で作っている感じなのに、妙な批評性が結果的に生まれてしまうことが興味深くて。『プリレジェ』も、どこまで作り手が自覚的なのかよくわからない(笑)。テレビシリーズを見た時は、すごくメタフィクション的な視点で作られた実験作に見えて、イケメンドラマという概念を解体しようとしてるんじゃないかと、ハラハラしました。


西森路代(以下、西森):『プリレジェ』の製作陣は、『花より男子』に代表されるような、今までに作られてきた王子様ドラマ・映画は全部研究してるだろうなと思いました。それを反転させたりメタ目線で描いたり、多くの人たちがアイデアを出しながら作ったのかなという気がしました。それと、自分の周囲を見渡しても、京極兄弟(鈴木伸之&川村壱馬)が良いという人が増えている気がします。そんな風に思っていたら、『HiGH&LOW THE WORST』(EXILE TRIBEを中心に展開する「HiGH&LOW」シリーズと、人気不良漫画「クローズ」「WORST」がクロスオーバーした新作映画)で、THE RAMPAGEの川村さん、吉野北人さんが鬼邪高校に転入する新キャラクターとして登場すると発表されて、まんまと感情をレールに乗せられている感覚になりましたね。それも心地よいのですが。


成馬:興行的な観点でみると、配役が『ハイロー』につながってるんですね。


西森:そうですね。『プリレジェ』でファンが得た感覚を次の映画を見る時にも引き継げるというか。『ハイロー』は松竹配給、『プリレジェ』は東宝配給なのに、映画会社を越えて世界は違うんだけど、どこか交錯している感覚が味わえるなと。LDHは、自分のところでいろんな企画をしているからこそ、そこが上手だなと思います。『プリレジェ』も、初代王子がTAKAHIRO、2代目が岩田剛典、そして3代目は誰だ? という設定ですが、これも、現実世界と交錯していて見ていてニヤっとしますよね。


■近年のディズニー作品に通ずるアプローチが見える?


成馬:『プリレジェ』の第1話を見た時にすごいと思ったポイントが二つあって。一つは「王子が大渋滞!」というキャッチフレーズ。「王子14人を一気にみせて、一人一人紹介していこう」という全員並列で見せる手法に驚きました。この、「王子が大渋滞!」はすごいですよね。この言葉だけで10年はいろいろ考えられる(笑)。それくらい現代を象徴するフレーズだと思います。もう一つはヒロインの白石聖演じる成瀬果音。果音が王子たちに「男の妄想、押し付けるのやめてもらえますか」とはっきり言ったことに驚きました。


西森:王子にそんなことを言ったヒロイン、これまでいませんでしたよね。牧野つくしちゃんはちょっと思い出しはしますが、お前の行動はクソであるということは言ってきたかもしれないけれど、男の構造に対するダメ出しですから、もう一歩踏み込んだところにありますよね。


成馬:そう。大渋滞しているたくさんの王子たちと、そんな王子様を拒絶するお姫様という恐ろしい構図が打ち出されている。ディズニー映画でも、近年の作品では「王子様とお姫様」の関係に変化が起きていますが、そこに通ずるようなアプローチには驚きました。不思議ですよね、『ハイロー』がヤンキー漫画や、古今東西不良ものを統合したテーマパークみたいなものを作った結果として少年漫画的なものに対する批評性が発生した一方で、『プリレジェ』はイケメンドラマのフォーマットを過剰に作り込んだ結果、少女漫画的なものに対する批評性が生まれている。


■イケメンであることが競技になる


西森:あと、王子様を演じるのって、男の子の年代によっては嫌だと思うんです。やっぱり、「壁ドンなんてやってられるか!」的な拒否反応があるんじゃないかと。「なぜ壁ドンをしたくないか」と考えると、壁ドンって本来は、何か言いたいのにうまく言えずにもどかしくて、思わずドンっとやってしまったとか、そういう物語性があって。その感情を乗せながら演技でやるのなら、違和感はないと思うんです。でも今はその物語と切り離された形骸化した「壁ドン」ばかりになってきていて、女の子の胸キュンのスイッチが入るから、さあ早く今すぐ壁ドンしてくれ、という状態になっているんじゃないかと。


成馬:イケメンだということを「消費されるのは嫌だ」ってことですよね。


西森:そうです、王子側の主体性が奪われてしまっているというか。でも、それをあえてやってみようというのが『プリレジェ』なんだと思います。女の子の願望に寄り添って、男の子がおもてなしをする。『プリレジェ』は作品のプロモーションまで、その世界の中の人としてやっているのが面白くて。こんなに生き生きと彼らがプロモーションをやれるのは、プロモーションもあくまで映画と地続きで、虚構の世界としてのサービスだからではないかと。「片寄涼太」ではなく、「奏様」でいられるからなんじゃないかと思うんです。他のアイドルだったら「本人」としてやらないといけないんだろうけど、LDHは一大プロジェクトだから、「本人」ではないところでやれるんじゃないかと。


成馬:「イケメンオリンピック」みたいな感じですよね。イケメンであることがスポーツの競技みたいになっている。劇中の「伝説の王子選手権」でも、壁ドンはこの角度がベストとか、変顔はこれをやるといいとか、勝利のための創意工夫があるじゃないですか。


西森:確かに、映画の中でも、みんな事前に壁ドンの練習をしてますからね。王子選手権での動画の撮影もゲームみたいな主観映像になっていますよね。


成馬:「伝説の王子選手権」では、女の子の頭についているカメラに映るイケメンの姿がかっこよければポイントが入るのですが、デートをしている時の音や他の女の子の姿はスクリーンには映らない主観映像になる。乙女ゲーム的な演出だと思うのですが、あのシーンは、キラキラ映画やイケメンドラマのヒロインってこういう存在だよっていうネタバラシになっていると思います。逆に言うと、イケメンを楽しむためのキラキラ映画で、ヒロインの存在が変に主張されると、見ている側も困るわけですよね。そのヒロインがやたらと主人公のイケメンと仲良くなりすぎてイチャイチャされても、視聴者からすると「お前じゃないんだよ!」って気持ちになってしまうので(笑)。だから、果音が王子様全員を拒絶しながらも、視聴者にとっては主観映像のインターフェースであり続けているという構造は画期的だと感じました。


■白石聖演じる果音は、観客と同化できる特殊なキャラクター


『兄に愛されすぎて困ってます』(c)2017「兄こま」製作委員会 (c)夜神里奈/小学館
成馬:同じく片寄涼太さんが主演で、『プリレジェ』と制作陣が同じ『兄に愛されすぎて困ってます』もコンセプトは似てるんですよ。片寄さんは、土屋太鳳演じるヒロイン・せとかを溺愛してる血の繋がらない兄・はるかの役を演じています。ドラマ版では、せとかの前に、次から次へと王子様的なイケメンが登場して、映画版で誰を選ぶかが明かされる。せとかは、自分で「恋愛体質」って言っちゃってるんだけど(笑)、次から次に出てくるイケメンを、自分から好きになっちゃうんですよね。そんなせとかを悪い男から守るという名目で片寄さんが演じる過保護なお兄さんが邪魔するのが物語の面白さとなっていた。実は『兄こま』でも、イケメンドラマの相対化はすでにやっていて、「今どき壁ドンかよ」みたいなセリフもあるんですよ。今思うと『兄こま』が発表された2017年の時点でイケメンドラマはすでに飽和状態だった。それから次に行く時にどうアップデートしていくかという問題意識が、『プリレジェ』には表れているなと。


西森:せとかより、果音のほうが自分を投影しやすいということですよね。女子の消費欲求にあわせて、あえて主張させず、他の誰か、ゲームのユーザーのような目線で見ている観客の女の子たちと同化できるキャラクターになることに意味がある。個としての不在感によって果音に共感できるし、ゲームっぽくなるんですよね。ただ、それで果音ちゃんが女性としてちゃんと描かれていないというのはまた違うと思っていて、言うべきところでは言うんですよね。そのことでも共感できるキャラクターになっていて。ゲーム原作の舞台とかでも、ユーザーはヒロインだけれど、それを舞台化、映像化する時に、どういう存在にするのかっていうのは、いろいろ試行錯誤しているのを見たことがあります。


成馬:最近のキラキラ映画のヒロインは、中条あやみや小松菜奈のような線の細い女優が起用されてますよね。いい意味でお人形さんになることができるモデル系の女優が求められているのだと思うのですが、白石聖の演技は、本人の資質なのかどうかわからないですけど、ちょっと人形みたいで、最初からあまり感情を出してないんですよね。“現実には存在しない幻想のヒロイン”みたいな女性をリアルな存在として演じるという、矛盾したことを具現化しているのがすごい。そうでありながらセリフには、イケメンドラマにおけるヒロイン像に対する異議申し立てが詰まっていて、メッセージはとても生々しい。果音が自ら「私、おまけみたいなものですから」と言ってましたけど、結果として、『プリレジェ』にはフェニミズム的アプローチが出てきちゃってるのが面白い。自分をゲームの駒にされるのを果音は嫌がっているし、かわいい姿も(学生映画における)演技に過ぎず、わざわざ、このかわいさは「お金をもらってやってるものなんだよ」って、繰り返し見せていて、ものすごいドライ。何より「男の妄想を押し付けないでくれます?」というセリフはショッキングでした。


西森:「果音が王子選手権の勝者にトロフィー的に選ばれる」ということを、どうにか否定してくれと思いながら見ていたんですけど、そこを「お金をもらっているから」で解決させたり、「男の妄想を押し付けるな」ということで回避していましたね。(取材・文=若田悠希)


※後編に続く


    ニュース設定