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パナソニック、創業家を事実上排除…「松下家の会社」との決別

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2019年04月20日 06:11  Business Journal

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Business Journal

写真パナソニック本社(「Wikipedia」より)
パナソニック本社(「Wikipedia」より)

 創業家である松下家がパナソニック(旧松下電器産業)の経営から退く。創業者・松下幸之助氏の孫で副会長の松下正幸氏が6月27日開催の定時株主総会で取締役を退任し、特別顧問となる。


 2018年3月にパナソニックは創業100周年の節目を迎えた。これを期に「正幸氏は退任を自ら申し出た」とされる。正幸氏の退任はパナソニック改革の象徴でもある。取締役から創業家出身者がいなくなるのは初めてとなる。


 正幸氏は二代目社長・松下正治氏の長男で1945年生まれ。灘高校、慶應義塾大学経済学部を卒業後、68年に松下電器に入社。洗濯機事業部長などを経て86年、40歳の若さで取締役に就任。常務、専務を経て96年に副社長となった。


 89年に幸之助氏が亡くなると、松下家の人々は一族の総領となった正治氏を先頭に立て、正幸氏を社長に擁立しようとした。正治氏というより、幸之助氏の長女・幸子さんが正治氏の社長就任に執念を燃やしていたのだ。ここでいう「松下家」は、幸之助氏の妻のむめのさんと、その一人娘で正治氏を婿に迎えた幸子さんの母娘、そして正治氏の3人を指す。


 山下俊彦氏など歴代社長の、“隠された”最重要な仕事は「正幸氏を社長にしないこと」。しかし、正幸氏を副社長にした五代目社長の森下洋一氏は違った。


「傍流の特機営業出身で元バレーボール選手だった彼は、正治氏に社長にしてもらった恩義があったからだろう。正幸氏が“ポスト森下”の有力候補となった」(松下電器の元役員)


 これに山下相談役(当時)が怒り、「創業者の孫というだけの理由で(正幸氏が)副社長になっているのはおかしい。(松下家への大政奉還を阻止するために)しかるべき行動に出る」と、パーティーの席上で爆弾発言をする一幕もあった。


 正治氏は「松下家だから社長になれないのはおかしな理屈」と反論し、森下社長も同調したが、山下発言が導火線となり、世襲批判が社内外から巻き起こった。


 パナソニックには、企業の自律性が残っていた。正幸氏が社長になることはなかった。2000年の社長人事で森下氏は中村邦夫氏を六代目社長に指名し、世襲問題は決着。正幸氏は副会長に祭り上げられた。これ以降、正幸氏は関西経済同友会代表幹事、関西経済連合会(関経連)副会長を務めるなど財界活動に軸足を移したが、正幸氏がパナソニックの内紛の渦の中心にいたことは間違いない。「経営の神様」の御曹司だったからで、いつの時代にも、彼を担ごうとする野心家の幹部がいたからだ。


●松下家の影響力が消えたパナソニック


 松下電器の新任取締役は、真っ先に松下家に挨拶に行くことが長い間の慣例だった。上座に正治氏をはじめとする松下家の人々が居並び、取締役は「おかげさまで(役員に)就任させていただきました」とお礼を述べ、祝いの杯を受けたのだ。取締役を退任した際にも挨拶に行かなければならなかったという。


 08年、松下電器は社名をパナソニックへと変更。社名から松下の名前が消えた。12年に正治氏は死去。正幸氏は17年に代表権を返上し、「影響力はほぼなくなっていた」(パナソニックの現役役員)が、「パナソニック(松下電器)は松下家の会社」だった時代が長かったのは事実。


 そんな正幸氏にも功績がひとつある。彼が洗濯機事業部長になった折、「御曹司に恥をかかせられない」ということで「愛妻号」という、とても頑丈な製品を世に送り出した。「愛妻号」は、いまだに白物家電の傑作といわれている。


 正幸氏の長男・幸義氏は11年春、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)卒業後、パナソニックに入社している。しかし、今や松下家の影響力はゼロだ。再び、松下家がパナソニックに君臨することはないとの見方が大勢を占めている。


 去就が注目されていた津賀一宏社長は続投することが決定し、在任期間は8年目に突入。三代目社長の山下氏(在任期間9年)以来の長さとなるが、「2020年の東京オリンピック・パラリンピックまではやるつもりだ」(津賀氏の周辺)との声が上がっており、21年3月期に交代の線が濃厚だ。一方で津賀氏の続投は、“ポスト津賀”が育っていないことを露呈した。


 パナソニックは津賀氏のもと「プラズマディスプレイ」などの赤字事業から撤退し、自動車関連部門などを「成長の柱」と位置付けて集中投資してきた。だが、半導体などの苦戦が続き、業績は足踏み状態。19年3期の連結営業利益は前期比1%増の3850億円と、従来予想から400億円下方修正した。4月に始まる3カ年中期経営計画を策定中で、事業の根本的な見直しに踏み込む。


 パナソニックは変わった。25年の大阪・関西万博ではパナソニックはパビリオンの建設を見送り、自動運転技術などを取り入れた次世代型モビリティを会場で走らせる計画だ。「一過性のものではなく、次世代技術の実証・実験の場とする。レガシー(遺産)として使えることが重要」(津賀氏)としている。ちなみに、松下電器は1970年の大阪万博では「松下館」をつくり、人気を集めた。
(文=編集部)


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