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「平成」を代表する最強の左打者は誰だ?

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2019年04月26日 16:00  AERA dot.

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写真平成を代表する左打者・イチロー (c)朝日新聞社
平成を代表する左打者・イチロー (c)朝日新聞社
 「平成」とは何だったのか。プロ野球界では、数多くの打者、特に左打ちのバッターが隆盛を極めた時代でもあったと言える。令和時代への転換期にいま一度、平成30年間のプロ野球を「左打者」とともに振り返りたい。

 真っ先に名前が挙がるのが、不世出の天才安打製造機、イチローで間違いない。

 プロ入りしたのが平成4年の1992年。その2年後の1994年にシーズン210安打、打率.385をマークして一躍スターダムにのし上がると、翌1995年は首位打者、打点王、盗塁王、最多安打、最高出塁率の五冠に輝いてオリックスのリーグ優勝に貢献した。そして3年連続シーズンMVP(1994〜96年)、7年連続首位打者に輝いた後、2001年からはメジャーリーグに舞台を移して10年連続でシーズン200安打以上、2004年にはMLB記録となるシーズン262安打をマーク。先日、現役引退を発表したが、日米通算4367安打という偉大な記録は今後も破られることはないだろう。平成の時代に最も輝き、記録、記憶ともに時代を象徴する打者だった。

 そのイチローが天才的なバットコントロールで「柔」の左バッターだった一方、平成を代表する「剛」の左バッターが“ゴジラ”こと、松井秀喜だった。

 星稜高校の4番として甲子園で伝説を残した後、平成5年の1993年に巨人に入団。2年目の1994年からレギュラーに定着すると、1996年から7年連続でシーズン30本塁打以上をマークし、2002年には打率.334、50本塁打、107打点という傑出した成績を残した。そして2003年からは海を渡り、ヤンキースの一員として勝負強さを発揮して計4度のシーズン100打点以上をマークし、2009年にはワールドシリーズMVPに輝いた。時差があった中、ニュースでイチローと松井の映像が流れ、その日の打撃成績をチェックするのがルーティンとなったのも、平成という時代だった。

 この2人だけではない。日本の歴代通算安打数でトップ10に入っている平成の左打者が、金本知憲と立浪和義の2人だ。

 NPB歴代7位の通算2539安打を放ち、広島、阪神の2球団で「アニキ」として慕われた金本は、年齢を重ねるごとに打者としてスケールアップし、37歳となった2005年に自己記録を更新する打率.327、40本塁打、125打点をマーク。左手首を骨折しながらも右手一本でヒットを放ち、連続イニング出場数(13,686イニング)・連続試合フルイニング出場数(1,492試合)の世界記録を達成した「鉄人」でもあった。

 一方の立浪は早熟の天才型。高卒1年目から中日のレギュラー選手として活躍し、1990年から2005年まで16年連続規定打席到達を記録。通算二塁打487本はNPB記録。長嶋茂雄を上回るNPB歴代8位となる通算2480安打をマークした。

 平成を代表する左打者は、現役の中にもいる。一人目が2015年にNPB新記録となるシーズン216安打を放った西武の秋山翔吾。巧みなバットコントロールで広角に安打を放つだけでなく、2017年に25本塁打、2018年にも24本塁打を放つなどパンチ力も兼備。最も抑えるのが難しい打者だろう。二人目がソフトバンクの柳田悠岐。豪快なフルスイングから快音を連発し、2015年には打率.363、34本塁打、32盗塁でトリプルスリーを達成。現在、最も怖い打者と言えるだろう。

 昭和の時代には868本塁打の王貞治、3085安打の張本勲の左打者がいた。そして平成はイチローと松井の時代だった。迎える令和は、秋山と柳田の時代になるのか。それとも、“二刀流”大谷翔平の時代になるのか。平成のプロ野球に郷愁を覚えながら、令和時代の新たなスター出現に期待したい。






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このニュースに関するつぶやき

  • 剛のゴジラ、柔のイチロー。一振りに賭ける檜山進次郎。わたしたち阪神ファンなんでね。たぶん男前田って異議は有るやろけど聞きません(笑)
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  • 王貞治もなし得なかった3年連続120打点を達成、平成唯一の三冠王松中信彦をお忘れなく。
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