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「アムロちゃんが世界の中心でした」平成を生きたわたしたちの足あと

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2019年04月30日 11:30  AERA dot.

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写真イラスト:土井ラブ平
イラスト:土井ラブ平
「平成」が4月30日で幕を閉じる。振り返ると、いまや死語となった流行語や、最近見ないかつての人気者も多い。新時代を迎える前に、AERAはそんな時代の思い出をアンケート。読者と共に振り返る。

【ギャラリー】野茂、タマちゃん、イナバウアー…平成を生きたわたしたちの足あとを写真で振り返る

*  *  *
 いまから30年4カ月前。平成はバブル経済まっただ中ではじまった。

 もう二度と流行ることはなさそうな大きな肩パッドの入ったジャケットや原色のボディコンスーツで街を闊歩する人が大勢いた。ホントに。

 千葉県に住む自営業の女性(46)は、当時短大生。ソバージュの髪をなびかせ、前髪をハードスプレーでがっちりと固めたすだれ髪が命だった。

「ワンレンボディコンにロングブーツを履いてジュリアナ東京に通ったこともありました。太眉にシャネルの真っ赤な口紅と香水がステータスでした」

 ワンレンボディコンと言ってもピンとこない方は「平野ノラ」を思い描いてほしい。いまやコントになる、あんな格好の女性が街にたくさんいた。

 そんな彼女もいまや子育て中。子どもに「勉強しなさい!」と怒る日々。とても自分の二十歳の写真を娘には見せられない。

「平野ノラな自分は封印です」

 そのころテレビで流行っていたのが、フジテレビの土曜深夜枠「ねるとん紅鯨団」。一般の男女が参加するカップリング番組だ。カップル誕生を視聴者もハラハラドキドキ見守った。

 この番組に出演経験があるというのは川崎市に住む50代男性。番組出演はいい思い出だが、

「当時付き合っていた彼女がいたのにこの番組に出てしまい、フラれましたよ。会社や地元の友だちにも知られ、影響の大きさにビビりましたね」

 そんな浮かれた時代は長く続かなかった。平成に入って数年たった1990年代前半にはバブルが崩壊。それからは「失われた20年」と呼ばれる景気低迷時代に突入した。

 大人たちの元気がなくなっていく一方で、ムーブメントを起こしていったのは女子高生たち。ルーズソックスにミニスカートといったコギャルファッションが大流行した。そのカリスマだったのが、昨年引退したアーティストの安室奈美恵だ。彼女に憧れてそのファッションをマネするアムラーもたくさんいた。

 アムラーど真ん中世代だったのは東京都世田谷区に住む会社員の境田美貴さん(39)。

「アムロちゃんが世界の中心でした。厚底のブーツにミニスカート、細眉メイクで渋谷を歩いていました。当時は細眉にするための“毛抜き”は必須アイテムでしたが、その時抜きすぎたため今では眉が生えてこず、後遺症に悩んでいます(笑)」

 アムロちゃんの影響は玩具にまで広がった。彼女が育てていることから脚光を浴びたのが「たまごっち」。当時は入手困難で、8千円の値がついた「たまごっち」を親に頼み込んで買ってもらったという女性もいた。

 平成は、元気な女子に注目が集まる時代だったのか。

「草食系男子」という言葉を世に広めた、世代・トレンド評論家の牛窪恵さんは、不況のときは男性の消費が落ち込む傾向があり、90年代後半はまさにその状態だったと分析する。

「女子中・高生がトレンドを作る時代でした。就職氷河期でロスジェネと呼ばれる世代でも女子は元気。男子たちはなんだか女子楽しそうだなぁ〜と、徐々に追随していったのです」

 牛窪さんによると、おしゃれを楽しむ女子たちを羨望の眼差しで見ていた男子たちが“女子化”していったのが90年代後半。眉毛のお手入れをし、女子並みにファッションに興味をもつ男子が増えていったという。

 そんな男子の憧れ代表が、キムタクだろう。そのロン毛に憧れたと話すのは和歌山県の会社員、小池宏昭さん(40)だ。

「男子高校生の間で香水が流行ってck−oneやck−beを嗅ぐと一瞬でフラッシュバックします。つい最近まで取っていましたが、平成の終わりとともにサヨナラしました」

 キムタクがメンバーだったSMAPが国民的アイドルとなったのも平成だった。

 阪神・淡路大震災のあと一人暮らしを余儀なくされたという神戸市の専業主婦の女性(51)はこう振り返る。

「SMAPが被災地への言葉とともに『がんばりましょう』を歌ってくれた。それから、彼らがキラキラと歌って踊る姿を見るのが私の心のバッテリーになりました。結婚して、子どもができて、その子どもに障がいがあることがわかって……決して平坦でなかった自分の平成時代にいつもSMAPがいてくれました」

 スポーツ界にもたくさんヒーローがいた。先日、引退を表明したイチロー。都内在住の会社員の女性(44)は、地元神戸で見ていたイチローの姿が忘れられない。

「商店街を歩いていたオリックスの“鈴木選手”は、“イチロー”に変わってみるみる有名になって、遠く羽ばたいていった。平成の大スターだと思います」

平成はテクノロジーが著しく進化を遂げた時代でもある。大きなバッテリーを抱えて持ち歩いていた携帯電話は、いまや手のひらサイズのスマホに。小型携帯が出回る前まで市民権を得ていたのはポケベルだ。

 初期ポケベルでは「4649」(ヨロシク)、「0906」(オクレル)など、数字でメッセージを伝えるのが定番だった。静岡県焼津市の会社員、西村公明さん(40)は、ポケベルでメッセージを送るため、親に頼み込んで家の固定電話を黒電話からプッシュホンに換えてもらった。

「山のほうに住んでいたので電波が悪いから、当時付き合っていた彼女に『今からメッセージ打つね』とわざわざ電話をもらっていました。電波がいい窓際にポケベルを置いて、メッセージが届くのを待っていたのが懐かしい」

 ポケベルからスマホへの変遷に象徴されるように、時代はあっという間に移り変わった。
「平成は時の流れが速すぎて、常についていくのに必死でした。だからこそ、常にアンテナを伸ばそうと努力していた気がします」(西村さん)

 音楽の楽しみ方も変わった。カセットテープからCDへと移行。CDから“ダビング”してマイベストMDを作るのに情熱を注いだ人もいた。音楽がネットを通じて配信されるようになった今、ダビングなんて言葉すら知らない若者もいるだろう。

 インターネットが普及したのも平成に入ってからのこと。もはやネットのない世界など考えられない世の中になっている。(フリーランス記者・宮本さおり、大楽眞衣子)

※AERA 2019年4月29日−2019年5月6日合併号より抜粋

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  • ダイエースプレーで髪の毛を固めたバンドマン達
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  • 時代の流れはあっという間だったな…�������������ӻ�������
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