忌野清志郎10回忌にあらためて読みたい! 清志郎の「表現の自由を奪う圧力」との戦いの軌跡と憲法9条への思い

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2019年05月02日 15:40  リテラ

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『ロックで独立する方法』(新潮文庫)

 本日2019年5月2日、ロックミュージシャンの忌野清志郎の10回忌を迎える。



 忌野清志郎は2009年5月2日に癌性リンパ管症のため逝去したが、その存在感は亡くなって10年経ってもまったく衰えることない。



 10回忌を迎えるにあたって、生前に未発表だった音源が発売されたり、生前に関わりのあった人々へのインタビュー本が刊行されたり、NHKの『SONGS』で特集番組が放送されるなど、忌野清志郎を振り返る企画が各メディアで組まれている。



 そんななか、2009年8月に太田出版から出版された『ロックで独立する方法』が新潮文庫で文庫化された。



 この本は、2000年から2002年にかけて「Quick Japan」(太田出版)で連載されていたものをまとめたもの。その連載では、ロックミュージシャンとしてキャリアを重ねてきた清志郎自身の体験を踏まえつつ、本人から「創作論」「ビジネス論」が語られていた。



 本サイトが、そのなかでも注目したいのは、清志郎が抱いていた「日本を渦巻く言論の閉塞感」への怒りだ。彼は『ロックで独立する方法』のなかでこんなことを語っている。



〈デビューしたての頃は、逆にずいぶんと社会的・政治的発言を求められたこともあった。みんなが反戦歌を歌ってた時代だったから。「RCは反戦歌やらないんですか?」「ベトナム戦争については?」なんてね。

 ところが今は、そういう発言は完全にタブーになってしまった。まあ、別に特に発言したいわけじゃないが、ちょっと極端だね。いろんな質問や発言の中に、たまたまそういうジャンルが混じってたっていいと思うし、それだけが排除されてるのは逆に不自然なんじゃないか〉



 忌野清志郎は政治的メッセージを込めた歌を歌うことで度々、レコード会社と衝突を繰り返してきたミュージシャンだ。



 たとえば、1988年には〈何言ってんだー/ふざけんじゃねー/核などいらねー〉(「ラヴ・ミー・テンダー」)、〈熱い炎が先っちょまで出てる/東海地震もそこまで来てる/だけどもまだまだ増えていく/原子力発電所が建っていく/さっぱりわかんねぇ 誰のため?/狭い日本のサマータイム・ブルース〉(「サマータイム・ブルース」)といった反原発をテーマにした楽曲を収録したアルバム『COVERS』が急きょ発売中止となる騒動が起きている。



 その理由について詳細は明かされなかったが、収録曲の歌詞に対して親会社である東芝から所属レコード会社の東芝EMI上層部に圧力がかかっていたというのが通説だ。言うまでもなく、東芝は原発プラント企業である。この発売中止トラブルはメディアにも取り上げられて大きな議論となり、結果的にはRCサクセションが以前所属していたキティレコードから発売されることになる。



 この約10年後には「君が代」騒動が起きる。1999年、忌野清志郎 Little Screaming Revue名義のアルバム『冬の十字架』が「君が代」のパンクアレンジバージョンを収録していた。これは「君が代」パンクバージョンで「君が代」の権威を相対化しようとした試みだったが、当時所属していたポリドールは「政治的、社会的に見解が別れている重要事項に関して、一方の立場によって立つかのような印象を与える恐れがあり、発売を差し控えた」として、アルバムの発売を中止にした。



 これも大々的にニュースで取り上げられ、当時官房長官だった野中広務まで「君が代の演奏のあり方については、われわれがとやかく申し上げるべきことではないと考えている」と記者会見で発言するほどの騒動にまで発展する。結果として、このアルバムはポリドールからの発売は諦め、インディーズのSWI RECORDSから発売されることになる。



●清志郎「そういう歌が全然ないっていうのも、どこか異常」



『COVERS』の場合も「君が代」の場合も、清志郎は「事なかれ主義」で表現を抹殺しようとするレコード会社の人間と徹底的に戦い、自分自身の表現の領域を守ってきた。



 しかし、誰もが清志郎のように戦えるわけではない。彼のようなミュージシャンはどんどん希少な存在となっていき、政治や社会的なメッセージを発信することは「タブー」となっていく。



 レコード会社はミュージシャンがそういった表現をすることを封殺しようとするし、ミュージシャンの側もそういった表現をすることを自分から避けるようになっていった。そういった状況に対し清志郎は『ロックで独立する方法』のなかでこのように綴っている。



〈ミュージシャン側からの仕掛けがもっとあっていいと思うんだ。「あえて物議をかもすような挑発的なことを歌う」とか「問題になることを見越してわざとタブーを犯してみる」とか、確かになんだかあざとい面もあるだろうけど、ロックにはそういう要素が確実にあったはずなんだ。「あえて誰かを怒らせるようなことを歌う」とか「だれかを名指しで、または名前は出さないけどわかるやつが聴けばわかるようにおちょくる」とか。そういう歌ばっかりになるのもイヤだけど、そういう歌が全然ないっていうのも、どこか異常なんだよ〉



 言うまでもなく、こういったことは日本でだけ起きている現象だ。清志郎は、マリリン・マンソンやギャングスタラップのラッパーたちを例に出し、アメリカでは180度逆の状況があると説明する。



〈アメリカなんかが今でもマリリン・マンソンみたいなんが出てきて、良識派が「子供に悪影響があるから放送禁止にしろ」とかカンカンガクガクやる環境がある。ラップにしても、保守的なやつらから危険視されることをガンガン歌ってる。それを業界側も煽って商売にしてる。ミュージシャンの周りの連中が止めたりしない。止めようとしている場合もあるんだろうけど、少なくともミュージシャン側が自己規制しちゃうことはほとんどないんじゃないか?〉



 マリリン・マンソンはアメリカ社会を牛耳る保守的なキリスト教系団体を「ファシズム」と罵倒したうえキリスト教自体を愚弄する発言を繰り返して大問題となっていたし、ギャングスタラップのラッパーたちは暴力的な歌詞表現を通じて黒人差別の問題に怒りをぶちまけた。そして重要なのは、こういった音楽が一部のマニアだけが聴くマイナーな音楽ではなく、メジャーど真ん中のポップカルチャーとして多くの若者を熱狂させていたということだ。



 清志郎はこの違いを挙げたうえで、〈そういうことが日本にもせめて少しはあっていいんじゃないか? これはレコ倫とか放送コードだけの問題じゃないと思う。まあ、そういうのもうざったいんだけど、それにあまりに素直に従っちゃう側の方が問題だよ〉と綴る。「表現者」なのであれば、「表現者」としての矜持があるだろう、ということだ。



 清志郎はキャリアを通じてこのことを訴え続けてきた。



●坂本龍一「なんでこんなに言いたいことが言えない国になっちゃったのか」



 そもそも、RCサクセションというバンドは、『COVERS』騒動の前まで政治的なメッセージを掲げているバンドではなかった。それがなぜ原発や核に関する歌を歌うことになったのか。その理由について、彼は後にこのように語っている。



「70年代の途中から、反戦歌とかメッセージソングっていうのが一挙になくなったじゃないですか。で、フォークなんかもどんどん軟弱になってって、そのまんま延々きちゃったでしょ。ふと、それはおかしいと気づいたんですよね」

「外国ではスティングがレーガン大統領のことを名指しで歌ったり、とかいうことがたくさんあるのに、日本の音楽界はおかしいぞって思ったんですよね」(「Views」95年2月号/講談社)



 しかし、清志郎の活動が受け継がれることはなかった。



 たとえばアメリカではテイラー・スウィフトが「反ドナルド・トランプ」の姿勢を明確にして議論を促すような動きが起きたことは記憶に新しいが、一方日本では「音楽に政治を持ち込むな」などという馬鹿げた言説が一定の支持を得るようになってしまった。清志郎が危惧した差は1ミリも埋まることはなかったし、2019年のいまではよりいっそうひどくなっているともいえる。



 今回、清志郎を振り返る企画が各メディアで組まれているのは、10回忌であるという節目であると同時に、こうした物が言えない現状に対する忸怩たる思いがあるからではないか。



 もちろん、一部では政治的なメッセージを発信するミュージシャンもいるが、勇気をもって主張したとしても、上述のように「音楽に政治を持ち込むな」などと攻撃にさらされ、黙らされてしまう。



 だからこそ、「もしも清志郎が生きていたらこの時代にどんな表現をぶつけたのだろうか」と思う人は多い。



 ちなみに、2009年12月29日にTBSラジオで放送された特別番組でTBS報道局記者の金平茂紀氏と対談した坂本龍一は、清志郎を偲んでこのように語っている。



「清志郎のことで言うと、これは僕も強く思っていることで、きっと清志郎もすごく言いたかったことだと想像するんだけど、なんで日本がこんなに言いたいことが言えない国になっちゃったのかってことなんですよ。それをずっと清志郎は言っているんですよ。僕も本当にそう思う。なにが怖くてみんな言いたいことが言えないんだろうと。みんなもっと言いたいことを言いましょうよ。それは、個人も、ミュージシャンも、メディアも、みんなそうですよ」



 残念なことに、この言葉は10年経ったいま、よりいっそう強く響く。



 それでも、忌野清志郎のことを思い出し、彼の言葉にふれたら、少しだけ勇気がわいてくる。明日は憲法記念日、清志郎はこんなメッセージも残している。



〈この国の憲法第9条はまるでジョン・レノンの考え方みたいじゃないか? 戦争を放棄して世界の平和のためにがんばるって言っているんだぜ。俺たちはジョン・レノンみたいじゃないか。戦争はやめよう。平和に生きよう。そしてみんな平等に暮らそう。きっと幸せになれるよ〉(『瀕死の双六問屋』/小学館)



(編集部)


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