ホーム > mixiニュース > コラム > DV夫から逃げて、恐怖と再生

小4の娘に平手打ち、妻を寝かせない… DV夫からシェルターに逃げた40代女性の恐怖と再生

251

2019年05月03日 17:00  AERA dot.

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

AERA dot.

写真女性はどうして夫のもとを離れることができたのか。※写真はイメージです(GettyImages)
女性はどうして夫のもとを離れることができたのか。※写真はイメージです(GettyImages)
 虐待によって子どもが命を落とす事件が後を絶たない。異常と思えるような環境からどうして逃げられなくなってしまうのか、なぜ家族も止めることができないのか。関東地方に住む40代の女性は、小学生の娘2人を連れ、暴力を振るう夫のもとを離れた経験がある。「同じ境遇にいる人たちにシェルターの心地よさを知ってほしい」と、当時の出来事が細かく書き込まれた手帳を見ながら、女性が静かに口を開いた。家を出たその日、何が起きたのか。シェルターでの日常とは。

*  *  *
 PM12:45

 外はいつもと変わらない平日の昼過ぎだった。関西地方にある閑静な住宅街。マンションを出た紀子さん(仮名、40代)は生きた心地がしなかった。予定時刻に合わせて、タクシーで娘たちが通う小学校に向かう。待ち合わせ場所となった校長室には、校長と数人の教師が待っていて、しばらくするとランドセルを背負った子どもたちが入ってきた。

 家族4人で暮らしてきた家を、今日、母娘3人だけで出て行く。行き先は誰も知らない。

 皆勤賞だったのに、学校に行けなくなってしまってごめんね。仲良しの友だちと「さよなら」もさせてあげられなくて、ごめんね。

 説明しなければいけないことは山程あるのに、「ごめんね」という言葉と、涙しか出てこなかった。

 初めはキョトンとした顔をしていた娘たちも、母の涙を見て、ただ事じゃないことを感じ取っていた。

「友だちと離れたくない……」

 そう、言葉を詰まらせて泣く娘たちに「ママが絶対にもう一度会わせてあげるから」と約束し、急いで学校を出た。先生たちは数日後の終業式に渡すはずだった2人の通知表を用意してくれていた。それまで学校を休んだことがなかった上の子は「皆出席」になっていて、また涙が溢れた。

 裏門に行くと、事情を知る唯一の近所の知人が1人、見送りに来てくれていた。タクシーに乗り、役所に向かう。ケースワーカーの女性と落ち合って、一緒に行き先の施設を知らせる電話を待ち、またタクシーに乗った。途中の警察署で行き先を探されないための捜索願不受理届を出し、ケースワーカーの女性がコンビニで買ってくれたキャンディーを口に入れた。行き先はわからないままタクシーは高速道路を走る。料金は1万9千円を超えていた。

 到着したのは、「シェルター」という言葉のイメージからはかけ離れた、緑いっぱいの小高い丘に建つ明るいレンガ調の建物だった。携帯電話の電源を切って預ける。母娘3人に割り当てられた部屋は洗面台が付いている6畳一間の個室で、タンスや押入れ、布団もあった。3人分のタオルと歯磨きセット、洗面器を受け取る。

 ああ、生活に必要なものってこれだけなんだ。紀子さんは不思議な感覚だった。

「ここどこ?」と心配そうな娘に、

「ママもわからない。でも絶対にパパが来ない場所だよ」と話した。

 施設内には広い食堂があり、数日前に産まれたばかりであろう小さな赤ちゃんを連れた母親や、パジャマにサンダル姿で着の身着のまま来たと思われる女性、包帯を巻いている人、賑やかにテーブルを囲む若い女性たちもいた。みんないろんな事情を抱えているのだろう。それでも施設の職員たちは何も聞かずに受け入れてくれ、穏やかな空気が流れていた。

 娘たちと食べた夕食のハンバーグはびっくりするほど美味しかった。これまで、もう何日も食事が喉を通らなかったからだ。

 仕事の昇格試験に向けての準備をするために夫がマンスリーマンションで暮らし始めたすきに、「いま離れましょう」と言ってくれたのは同行してくれたケースワーカーだった。子どもたちの前ではつとめて平静を装いながら、児童相談所でDV証明を受け、病院で持病の薬をまとめて処方してもらい、紹介状を書いてもらうなど準備をした。貴金属や電動自転車など売れるものをすべて手放して現金化し、引っ越した先の住所に結びつきそうなものは子どもの通信教育まですべて解約した。「“引越し”をしたら行き先がわかってしまう」というケースワーカーの指示通り、荷物は宅配便でいったん実家に送った。その間に体重は普段より10キロ近くも減り、しばらくは病院で点滴を打ちながらの生活だった。(※編注=緊急度や事情によって、身辺整理を勧められないケースもあります)

 シェルターでの初めての夜。上の子は押入れにこもり、「勝手にこんなところに来て、またママが怒られる」と泣いた。家では、夜が怖かった。酒に酔った夫が帰ってくる前に、子どもたちを寝かせなければいけない。「カチャ」と鍵が開く音が聞こえると、全身が凍った。寝ている子どもたちを起こさないようにしていたつもりだったが、緊張感が伝わっていたのか、上の子は10円ハゲができ、3歳下の子は小学生になってもおねしょが続いていた。

 安全な場所で眠るのは何年ぶりだろう。朝起きると、ぐっすり眠れたという感覚が嬉しかった。下の子はその日からパタリとおねしょをしなくなった。

 3日後から外出許可が出て、娘たちと公園に行った。

 家では夫が自分の目の届かないところに家族を行かせるのを嫌がり、子どもが友だちと遊びに行くのを許さなかったり、遊んでいる公園の周りを車でうろついたりしていた。門限から2、3分遅れただけで激昂し、年齢が上がるにつれて正しいことを主張するようになった上の子を毛嫌いして、平手打ちした。

「どこに行くの?って聞かれないで、何も気にしないで外に行けるって楽しいね」

 ふと娘と交わした会話で、それほど自由が無かったのだと気が付いた。

 母娘がシェルターで暮らしたのは、次の住居に移るまでの3週間弱。その間にそれぞれ精神科医の診療やカウンセリングを受け、子どもたちは希望すれば学校のように集まって勉強することもでき、自由に遊べるスペースもあった。季節のイベントにみんなで参加したり、それに合わせた手作りの料理も出た。掃除当番などの役割が与えられ、徐々に日常を取り戻していった。

「とにかくご飯が美味しくて、家族だけで入る大浴場のお風呂もすごく楽しかった。寝る、食べる、お風呂に入るということがこんなに大事なんだと実感しました。私はシェルターに来たから、普通の感覚に戻るとができたんだと思います」

 と紀子さんは言う。

■初めての“暴力” 医師「通報しますか?」

 大学時代に知り合った1つ年上の夫は、フットワークが軽くてお酒が飲めて楽しい人だった。長い友だち期間を経て20代で結婚。紀子さんは新婚旅行先で倒れて甲状腺の病気が見つかり、一時は実家で静養しながら治療していた。だが、親は介護や持病があり、頼れない。子どもがほしかったこともあり、夫の転勤に付いていった。

 治療を続け、2人の子どもに恵まれたが、産後は紀子さんの体調が悪化。さらに合併症の難病を患い、日常生活が困難になった。それでも夫は仕事中心の生活を一切変えず、相談にさえ乗ってくれない。自分でヘルパーを手配し、検査入院のときにはまだ小さかった下の子を乳児院に預けた。何かがおかしい、と思い始めた。

 初めて身体的な暴力を受けたのは、下の子がまだ赤ちゃんだったころ。昇格試験のため土日も費やしていた夫に、試験が終わったら半日でいいから自分の時間が欲しいとお願いして迎えたその日だった。趣味の乗馬を予約し、家を出ようとしたときに子どもたちがグズり始めた。

「やっぱり今日はキャンセルしよう」

 紀子さんが言うと、夫は

「そんなことしなくていい!」

と大声を出し、紀子さんの右頬を拳で殴った。その勢いで倒れ、食卓に準備していた離乳食やミルク、昼ごはんが床に飛び散った。何が起きたのかわからなかった。泣きながら片付け、子どもたちを公園に連れて行った。しばらくして、公園にやってきた夫は何事もないような顔でこう言った。

「鍵、忘れてるよ」

 ゾッとして、恐怖で体が固まった。家に帰ってからしばらくは、話そうとしても言葉が出なくなっていた。

 数日後、あまりの痛みで整形外科に行くと、頚椎捻挫と顔面打撲、全治2週間のけがだった。おそらく骨折もしているだろうということだったが、小さな子を抱えて検査に行くのは難しいと断った。

「奥さん、通報しますか?」

 医師に言われてハッとした。ああ、自分はそういう状況にいるんだ。夫は職場での評価が高く、同世代の中でも出世頭。閑静な住宅街に住んでいた。家に警察が来たら、ご近所さんに何て言えばいいのか。そんなことが頭の中で渦巻いて、躊躇した。

「頼る人がいなくて、子どもが小さく、自分が病気。一つ一つは乗り越えられそうなことだったとしても、一度に揃うと身動き取れなくなってしまうんです。まずは自分が健康にならないとと、何度も自分に言い聞かせて治療していました」(紀子さん)

 紀子さんが病気で動けないときは、夫は暴力を振るうこともなく、生き生きしているようにさえ見えた。しかし、持病が落ち着いてくると、夫は次第にお酒の量が増え、紀子さんが浮気しているのではないかと疑い執拗に詮索するようになった。毎晩、仕事から帰ると紀子さんの財布と通帳、ゴミ箱に入っているレシートや洗濯物を確認する。携帯電話をロックしても、ICカードを別端末に入れてメールや通話履歴を夜中にチェックされていた。そして寝ている紀子さんを起こし、とりとめもない話を夫の気が済むまで続けた。

 ある日、布団に入ると、先に寝ていたはずの下の子が起きていて「ママ、今日も頑張ったね」と小さくつぶやいたことがあった。

「ごめんね、眠れなかったよね。トイレにも行けなかったよね」

 そう言いながら、夫から離れなければと決意した。

■「シェルター行き」選択できたキーパーソン

 昨年1月に野田市の小学4年生、栗原心愛さんが亡くなり、両親が逮捕された事件では、DV被害を受けていた母親も逮捕されたことで衝撃が広がった。なぜ危険な場所から離れることができなくなってしまうのか。紀子さんは言う。

「母親が前に出ないほうが、被害が少なくて済むと考えてしまう気持ちはよくわかります。夫が娘を叱り始めたとき、娘が助けを求めて私を見ると夫は『お母さんを見るな!』と余計に怒ったし、私も痛い思いをするのがもう本当に嫌でした。私はたくさんの人に支えられてシェルターに行くことができたのですが、そこで初めてこれまでの日常が異常だったと感じました。自分でも気が付かないうちに普通の感覚ではなくなっていくのだと思います」(紀子さん)

 紀子さんが夫の支配から抜け出せたのは、2人の女性の存在があったからだという。

 1人は近所の心療内科の女性医師。下の子が小学校に上がるころには恐怖で眠れなくなっていた紀子さんに、診察と薬だけでなく、顧問弁護士を紹介してくれた。実際にその弁護士は家を出た翌日に、離婚調停の内容証明郵便が届くように手配してくれ、調停で離婚を成立させてくれた。

 2人目は区役所でケースワーカーとして、当日も一緒に行動した元警官の女性だ。夫の目を盗んで友人宅でインターネットを借り、自力で引越ししようと準備していた紀子さんに「完全に身を隠してから、次の住まいに行きましょう」とシェルター行きを勧めてくれたのが彼女だった。「DV等支援措置」(加害者らへの住民票の交付を止める手続き)を申請していた紀子さんに、電話をかけてきて「何とか面談に来てほしい」と促し、短い聞き取りをした。

 警察でも児童相談所でも何度も聞き取りされ、疲れきっていた紀子さんだが、彼女に初めて「結婚前はどうだった?」と過去のことを聞かれた。意外に感じながらも、ふとある出来事を思い出した。付き合っていたころ、家の最寄り駅だけしか知らない夫に電話で「部屋から○○公園が見えるんだよ」と話したら、マンションの下にいたことがあった。夫の行動パターンや人物像を探る質問だったのだ。些細な情報も残してはいけない、引越しはしてはいけない、シェルターに行くことを誰にも言ってはいけないなど、さまざまなアドバイスを受けた。

 新天地で生活を始めてからも、離婚が成立するまでは恐怖で、PTSD(心的外傷後ストレス障害)とパニック障害を発症した。電車や街なかで、タバコと酒、雨に濡れた革の匂いがすると、動悸がして涙がこぼれ、体が動かなくなった。それでも穏やかな時間が母娘3人を癒やしていった。紀子さんはいま、働きながら2人の子育てに励んでいる。

「私もそうでしたが、シェルターに行くことに不安を持っている女性は多いと思います。どんな場所かもわからないし、当日までどの施設に行くかもわかりませんから。でも、とても癒やされる場所だったことを伝えたい。偏った思考回路も子どもたちの思いも、ヘトヘトだった心も体も、そのままの状態で次の場所に移っていたら、正常に戻れなかったと思います」

 以前は、どうして結婚する前に気付けなかったんだろうと、自分を責めたこともあった。子どもが2人になったら夫は変わってくれるかもしれないと期待したこともあった。しかし、シェルターで会った女性相談員は、こんなことを教えてくれたという。

「DV加害者は結婚して初めて支配する喜びを知るから、みんな結婚前には気づかないものなんですよ。2人目が生まれても、支配できる人が増えるという喜びでしかないんです。ここに来るエネルギーが残っていて、良かったですね」

 紀子さんは言う。

「逃げると言うと悪いことのように聞こえますが、自分の意思で離れる。そういう選択をする人が増えてほしいと思っています。今、私は幸せです」

(AERA dot.編集部・金城珠代)

【おすすめ記事】5歳児ゴミ袋虐待死 9歳の次男に犯行を手伝わせた母


このニュースに関するつぶやき

  • で、DV妻で困っている被害夫はどこで保護してもらえるの?教えてよ。
    • イイネ!1
    • コメント 0件
  • こうやって必死で隠れてる人もいる以上、自分以外のいろんな人が写りこんだ写真をSNSにあげるのってホント危険だなぁと思ったり。
    • イイネ!207
    • コメント 0件

つぶやき一覧へ(141件)

あなたにおすすめ

前日のランキングへ

ニュース設定