令和時代のスマホはどうなる? 関係者と振り返る“平成ケータイ史”

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2019年05月11日 22:01  リアルサウンド

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 「平成」は、色んなモノがテクノロジーの力でこれまで以上の加速度をもって成長した時代だといえる。そんな「平成」を象徴するモノのひとつが「携帯電話」だ。


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 日本最初の携帯電話は、昭和60年(1985年)に“車外兼用型自動車電話”として発表されたが、当時は保証金が20万円、登録料が3万円、基本料金は約2万円と、まだ一般層へ普及するには高価な代物だったうえ、「ショルダーホン」といわれていたように肩掛けカバンのような大きさ・重さだった。ところが昭和62年(1987年)、完全に携帯できる電話(いわばこちらが“完全な”日本初の携帯電話ともいえる)としてTZ-802が発表され、平成3年(1991年)には小型携帯mova(ムーバ)のサービスがスタートしたことで、一気に一般層へ普及。1990年度は50万台だったものが、1993年度には100万台へと跳ね上がった。


 このmovaを発売し、日本に小型携帯電話を広く普及させた会社がNTTドコモだ。今回はNTTドコモ プロダクト部 プロダクト企画担当課長の谷直樹氏、同社広報部の田中麻美子氏による証言や、同社が運営する「NTTドコモ 歴史展示スクエア」で撮影した写真などを織り交ぜた”平成ケータイ史”を紹介したい。


 田中氏が学生の頃「学生が利用する通信機器はポケベル、PHS、ケータイの3タイプに分かれていて、ケータイへの憧れがありました。PHSは利用者増加のために、大学構内までタダで配りにきていて、movaを持っていることがステータスになっていたように思います。ケータイは番号が『030』から始まるものだったんですが、番号交換しようとなったときに優位に立てているような印象でした(笑)」と、小型携帯電話を持つことが一つのステータスであったことを話してくれた。また「あと、都市部向けの『シティフォン』というプランがあって、割安で学生でも契約しやすい価格帯になったんです」と、都会の若者が比較的手に入れやすいものであったこともわかった。このあたりは、最新機種を持っていれば、ある程度はもてはやされる現状とそう変わらないのかもしれない。


 端末についても、谷氏いわく「サイズがどんどん小さくなっていたのと、折りたたみ式の登場がインパクトを与えたような気がします。開け閉めする動作をかっこよくしている人がもてはやされたりとか。その後に出てくるソニーのジョグダイアルもそうですが、端末の機能はメーカーごとに特徴があって、NECが折りたたみ、パナソニックがストレート、三菱がフリップタイプ……など、操作性の合う・合わないや、デザインの好き・嫌いで選んでいたと記憶しています」と、それぞれが自分に合う携帯電話を選択する時代になっていったことを明かした。


 そして少し時間は飛んで、平成11年のiモード対応端末「F501i HYPER」発売から、またしてもケータイ史は一気に動き出す。谷氏が「誰でもインターネットが使えるようになったことは、すごく大きなことでした」と語るように、これまでPCを使ってダイヤルアップ接続でしか見ることができなかったインターネット上のwebページが、手のひらの小さな端末一つで動かせるようになったからだ。ここから携帯電話は本来の“電話”という機能とは違ったところを中心に進化し、現在までつながっていく。


 例えば、同年12月には日本初のカラー液晶端末「F502i HYPER」が、平成12年にはJ-PHONEから日本初のカメラ付き端末「J-SH04」が登場したが、谷氏が「写真がカラフルに表示され、画素数が上がったことはカメラの性能が上がったことともリンクする」と述べたように、そうした新機能同士が相互作用してさらなる進化を遂げていくのも、このあたりの急速な成長に影響しているのだろう。ハード面とは別だが、このころ絵文字が流行し、MOMAに「emoji」として展示されるなど、世界的な文化の発展に寄与した部分もあった。


 また、このころはデザインも年々トリッキーで前衛的なものも出てくるようになったり、いわゆる「着メロ」の和音数が上がり、自身で打ち込めるようになったりした。田中氏も「最初の頃は軽さを競ってたんですけど、カメラなども入ってどんどん大きく重くなり、そこからさらに削って……と、グラム単位で競うことに。そのなかで、女子高生たちはそんなのお構いなしとばかりにストラップをつけていたのは面白かったです」と述べるように、一方で“デコる”行為が流行し、携帯電話が自分たちの個性を出すためのアイテムへと変わっていく過程でもあったのかもしれない。


 そして平成10年代後半には、おサイフケータイ、iD、ワンセグと多くの便利機能が追加されていく。谷氏は、この時期について「進化がどんどんあったタイミング。カメラと液晶が進化し、GPSやメディアプレイヤー機能も搭載されたかと思えば、Felicaやワンセグなど、エレクトロニクスのいろんなものを小さな端末にギュッと入れることが可能になった時代だからこそですね。スマートフォンがデバイスとして使える機能は、このころのものがベースになっていたりするわけですから」と語る。端末の設計については、ワンセグの導入で一つ大きな変化のタイミングがあったそうで、「AQUOSケータイはサイクロイドを搭載してT字になったり、PanasonicさんのVIERAケータイは横開きだったりと、ガラケーの設計においてパターンが一気に変化しました」と、谷氏は当時の裏話を教えてくれた。


 さらに、筆者が意外なこだわりと感じたのは、“端末背面のイルミネーション”だ。谷氏いわく「閉じると背面液晶が光るんですが、女性向けなら淡く、男性向けなら青白く光るようにしたり、パターンをどうするかなど、当時は商品開発部の間でも盛り上がっていました」ということらしく、我々が当たり前のように使っている機能も、彼らの努力の結晶なのだと感じさせられた。


 そんなケータイ史にまたしても大変革が訪れたのは、平成20年(2008年)6月9日のこと。iPhoneの発売により、徐々に時代はスマートフォンが覇権を握る世の中へと転換していくのだった。当時iPhoneを取り扱っていなかったドコモは、Androidケータイを展開するのだが、その最初の端末となったのが「HT-03A」だ。谷氏は同端末の商品企画にも携わっており、特に思い入れの強い端末だという。同氏は当時の出来事について「最初は本当に大変でした。海外はスマートフォンへと一気に転換したのですが、日本はガラケーが発展してきた国なので、カメラのシャッター音はかならず鳴るように、独自のルールがいくつもあり、そこへ合わせるために苦労したのを覚えています」と振り返ってくれた。


 ちなみに、スマホを日本向けに発売するにあたって、好評だった機能はなにかと聞いてみると、谷氏は「防水機能です」と回答。その理由は「もちろん海外の携帯電話にはこれまではなかったんですが、日本は防水だと安心して購入いただく傾向にありますね。それがいまや、グローバルなメーカーのハイスペックなスマートフォンにはすべて防水機能が搭載されているくらいですから」と、その点については世界の最先端を走っていたことを明かした。


 ドコモのAndroidといえば、今も中心モデルになっているXperiaの初代機が発売されたのもこのころだ。筆者も発売日に買いに走り、その便利さ・自由度に興奮しながら使い倒した記憶がある。谷氏はスマートフォンが徐々に普及し始めた当時について、「使える機能に制約がなくなり、アプリにも多様性のあるスマートフォンは、僕にとって今までと違う新しい世界に見えました。実際に売れるようになるまでは2〜3年かかったんですが、ここからいろんなものが自由になるぞ、と興奮したのを覚えています」と、熱く語ってくれた。


 そして、スマートフォンの時代が来て以降の転換点について聞いてみると、平成26年の「LTE」導入だという。谷氏は「その少し前からdTV(当時はBeeTV)のサービスを始めていました。画面が5インチ前後でスピードもそこそこあって、画質も十分綺麗なHDで見られるなかで、映像系のサービスを作ろう、と。そこにアーカイヴの配信を合わせてリリースしたら、時代とも歯車が噛み合って、多くのお客様に使っていただけるようになりました」とコメントした。ちなみに、来年にスタートすることが決定している次世代通信規格「5G」について、「4Gは動画を加速させたとすると、5Gは何を加速させるのか?」と質問したところ、谷氏は「開けてみないとわからない部分もありますが、ライブ映像・スポーツ中継などは間違いなくいい方向へ向かっていくでしょう。リアルタイムなものを臨場感あるかたちで、どういうディスプレイで見るかという点には期待したいです」と述べてくれた。


 また「令和時代のスマートフォンがどうなるか」という質問も投げかけてみたのだが、これについて谷氏は「海外メーカーで発表されている折りたたみスマホも一つの形ですが、個人的にはスマートフォン1台で、というより別のデバイスと連携する前提で売られるものも続々出てくるような気がしています」と、いわばIoTのなかに位置づけつつ、「少し話は逸れますが、名刺サイズのカード型携帯『KY-01L』がメインではなく電話用の端末として好評なのも、一つのヒントかなと思っています」と、機能の新たな分化と統合という意外な展開を示唆してくれた。


 この平成の間に大きく成長してきた携帯電話産業。現在隆盛を極めるスマートフォンの先にも、また別の何かが待っているのかと思うとワクワクが止まらない。令和時代のケータイ史も、引き続き注視しながら追いかけていくことにしよう。


(中村拓海)


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  • 携帯電話の番号が030から始まる時代って、携帯電話とPHSとの相互通話が出来なかっただろ? 番号交換して意味あったん?(PHSの電話番号は050だったよね。)
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