“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)
そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。親を介護する子どもの年齢は幅広い。リタイアした60代もいれば、働き盛りの40〜50代ということもある。後者の場合、介護と仕事をどう両立するかは大きな課題となる。
前回紹介した福田涼子さん(仮名・48)もフルタイムで仕事をしながら母親の介護をしていた。
認知症の母親に暴言を浴びせ続けられた父親が倒れ入院、退院後は有料老人ホームに入ったため、一人で暮らすようになった母親の介護は福田さんと兄がするしかない。二人は交代で毎日実家に通った。
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「仕事帰りに実家に寄って、晩ご飯をつくって母と食べ、朝昼食用に簡単に食べられそうなものをつくって冷蔵庫に入れておきました。失禁で汚れた下着や寝具も大量に放置してあるので、洗濯も大変でした。お風呂にも入っていないので、部屋の中は異臭が充満しています。しかもその間、母はずっと私や兄を攻撃し続けているんです」
福田さんの介護が大変になった原因は、母親が半日型デイサービスに行く以外、介護サービスをすべて拒否していたことにあった。それだけではない。頻繁に失禁していたがオムツも、入浴も拒否。福田さんが朝昼食用につくり置いていった食事にも手を付けなかったという。
母を置いて仕事に行くのは虐待?
福田さんには、忘れられない言葉がある。母の介護で疲弊していた福田さんと兄に、ケアマネジャーがこう言ったのだという。
「あなたたちがやっていることは、虐待なんですよ!」
「すべてを拒否している認知症で一人暮らしの母親を放置して、仕事に行っている私たちが悪いんだというんです……」
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ケアマネジャーの言葉は、その職業による正義感から発せられたのかもしれない。しかし、毎日必死に介護を続ける福田さんをひどく傷つけるものだった。
「思わず泣いてしまいました。私が仕事を辞めて介護に専念しなさいということですよね。それができれば苦労はしません。夫は転職したばかりで給料も安いし、私も非正規雇用なので、とても食べていけません。それに、辞めたら次の仕事を探すのは年齢的にもう難しいでしょう」
福田さんは、ケアマネジャーに強い不信感を持った。しかし、兄の反応は違ったという。
「兄は、ケアマネジャーがそうまで言うのなら、それが真実かもしれないと言っていました。だから、ケアマネジャーを代える必要はないというんです」
福田さんはそもそもケアマネジャーを代えることができることさえ知らなかったという。そのケアマネジャーも、地域包括支援センターから「お宅の担当はこの人」と指名されていたため、「そういうものだ」と思い込んでいたのだ。
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福田さんは母親からも責められていた。「お前は仕事に行って楽をしている」と。常にそばで世話をやくことのできない娘に苛立っていたのかもしれない。女は家にいて家庭を守るものという観念の強かった母親だから、その言葉も当然だろうと福田さんは反論する気も起きなかった。
もっとも、福田さんにとっては仕事をすることで四六時中母親と顔を突き合わせずに済むというメリットがあったのは確かだ。そうでなければ、母親の度重なる暴言で倒れてしまった父親のように、ウツになるほど追い詰められていた可能性も十分あっただろう。
その反面、仕事と介護の両立も母親が言うほど楽なことではない。介護離職が大きな社会問題となっている時代だ。福田さんも例外ではなかった。
実家に通って洗濯や食事づくりをし、自宅に帰るころには深夜になっていた。夫は「自分は好きなものを食べておくからいいよ」と言ってくれていたとはいえ、自宅の家事もある。数時間寝られればいい、という状態が続いていた。
「でも身体的な疲れはなんとか乗り切れます。極限だったのは精神状態。職場でも余裕がなく、同僚がランチ時に他愛ない話題で盛り上がっていても、その輪の中に入ることができません。私にはテレビを見る時間も余裕もなくて、見ているのは母の汚れ物くらい。何をしても気持ちが晴れることはありませんでした」
ホームに入っているから介護休暇を取る必要はない?
会社は、福田さんが介護をしていることに理解がなかったわけではなかった。父親が入院したときに5日間介護休暇を取得したが、上司は快く許可してくれたという。
「ただ、あまり長くは休みづらい雰囲気がありました。私はほぼ独立した仕事をしているので、休んでも同僚に影響はないのですが、同僚は腫れ物に触るような感じで、介護のことには触れてきませんでした」
今は両親ともに有料老人ホームに入り、福田さんは一時期の“介護地獄”の状態を脱することができた。ところが、いまだに社内では窮屈な思いをしているという。
「先日、今年分の介護休暇を申請しようとしたところ、上司から『ご両親はもうホームに入っているのに、なぜ休暇を取る必要があるんですか?』と言われて取得を認めてもらえなかったんです。本来、介護休暇は毎年取得できるはずです。でも上司からこう言われてしまうと反論してまで取得するのはためらわれます。これからは、有給を取りながら対応していくしかないですね」
福田さんはすっかりあきらめているが、親が施設に入ったからといって、上司が「もう介護休暇は必要ない」と断定するのはおかしなことだ。
「うちの場合、母親が同じホームに入ったことで、また母親からの暴言を受けることになりました。憔悴した父から『助けてコール』が入ると、実家に一時避難させたり、気晴らしに食事に連れて行ったりする必要があるんです。精神的にダメージを受けている父に寄り添ってあげたいし、定期的な通院の付き添いもホームから家族が同行してほしいと言われています。うちの会社では、介護休暇の積み立て制度のようなものも新たに設けられました。取りきれなくて消滅する前年度の有給を介護用として積み立てるという制度らしいのですが、これも今のところ絵に描いた餅です」
親がホームに入ったからといって、介護が終わったわけではない。福田さんは「その時々で問題は変化するし、なくならない」と感じている。
制度がいくら充実していても、使えなければ制度がないのと同じ――福田さんの言葉にうなずく人は少なくないはずだ。
坂口鈴香(さかぐち・すずか)
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終末ライター”。訪問した施設は100か所以上。 20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、 人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。
■【老いゆく親と向き合う】シリーズ
・父の遺産は1円ももらっていないのに――仲睦まじい姉妹の本音
・明るく聡明な母で尊敬していたが――「せん妄」で知った母の本心
・認知症の母は壊れてなんかいない。本質があらわになっただけ