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三井住友銀行が“営業ノルマ廃止”を宣言…イケイケ伝説の裏にあるバブル崩壊後の大不祥事

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2019年05月20日 09:11  Business Journal

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写真写真=編集部
写真=編集部

 2019年4月24日付けの日本経済新聞は、三井住友銀行が個人向け営業における行員のノルマを廃止すると報じた。その翌々日には、みずほ銀行も同様に、従来本部が決めていた支店の販売目標(ノルマ)を、支店自体が決めるようにすると報じた。三井住友銀行の母体である住友銀行は、銀行業界でも「モーレツ商法」を代名詞とする好戦的、攻撃的な銀行で知られていた。その住友銀行の系譜を引く三井住友銀行ですら、ノルマを廃止する世の中になったのかと隔世の感がある。


 住友銀行の「モーレツ商法」ぶりを伝える面白い逸話がある。高度経済成長期(1950年代中盤〜1970年代中盤)は、預金高が多い銀行こそが、強い銀行、良い銀行だった。そこで、今では考えられないが、銀行員が個人宅に訪問し、預金の勧誘をしていたのだ。


 あるお宅では、住友銀行行員の往訪にご婦人が激怒したという。


「ウチの主人が三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)の頭取と知っていて、預金勧誘に来ているんですか!?」


 答えはイエスだ。可能性がゼロでなければ、他行の頭取宅にも預金の勧誘に行く。住銀マンの「モーレツ商法」ぶりを物語る逸話だ。ちなみに、自宅に帰ってきた三菱銀行の頭取は妻からその話を聞いて、「ウチの行員もそれくらいのバイタリティがあればなぁ」と嘆息したという。


●報われるからムリしちゃう


 両行の社風の違いは、営業戦略と人事評価に基づくものだ。


 通常、銀行には支店ごとに担当エリアが設けられていて、A支店がB支店の領域に踏み込むことはない。ところが、住友銀行は越境可能なのだ。うかうかしていると、他の支店に自分のエリアが侵食される。他行よりも同僚店のほうがよっぽどコワい。


 しかも、営業成績がちゃんと人事に反映される。至極当たり前のように聞こえるが、銀行業界では学歴や入行時の成績が重視される。住友銀行では高卒が副頭取になった事例があるが、三菱銀行では高卒が役員になった事例がない。つまり、住友銀行のほうが、がんばった分報われるということだ。


 その代わり、ムリしちゃう行員も多い。


 バブル経済(1980年代後半〜1990年代前半)の頃、住友銀行は不祥事にまみれた。ことの発端は、1986年10月の平和相互銀行の吸収合併だ。1980年代に平和相互銀行が経営不振に陥り、大蔵省(現・財務省)は「金融機関は潰さない」ことをスタンスとしていたので、どこかの優良銀行に吸収合併させようと考えた。平和相互銀行は首都圏を基盤として、しかも駅前の好立地に支店を構えていた。当時はまだ銀行の支店出店は厳しく規制されていたため、平和相互銀行の支店網を欲したシティバンクなど多くの銀行が手を挙げた。


 ここに、住友銀行の別働隊と呼ばれたイトマン社長が、秘かに平和相互銀行の株式を買い集め、住友銀行による平和相互銀行の吸収合併に道筋をつけた。イトマンは旧称・伊藤萬という繊維商社である。なぜ、こんなところに名前が出てくるのか。それは、イトマンが経営不振に陥ったとき、メインバンクの住友銀行から社長が派遣され、たちまち再建に成功して社内の実権を握っていたからだ。


 その派遣社長というのが、高卒で住友銀行常務まで上り詰めた河村良彦だ。河村は当時の住友銀行会長・磯田一郎にかわいがられて常務に抜擢されたので、磯田の意を受けてウラ稼業に手を染め、見事に平和相互銀行の買収を成功させた。
しかし、その代償は大きかった。


 そもそも平和相互銀行が経営不振に陥ったのは、反社会的な勢力が経営中枢にまで入り込んで、経営がおかしくなっていたからだ。その平和相互銀行を吸収合併したため、住友銀行もその闇の人脈に侵食され、結果として多額の不良債権を抱えることになってしまった。1990年に磯田は会長を辞任し、一部上場企業のイトマンは1993年、非上場会社の住金物産(現・日鉄物産)に吸収合併されてしまう。


 これが三菱銀行だったら、高卒がいくらがんばったところで出世できないから、河村みたいに危ない橋を平気で渡ってしまうような別働隊は生まれなかったかもしれない。事実、バブル経済に浮かれていた他行がバブル崩壊後に多額の不良債権を抱えていた頃、三菱銀行(当時はすでに東京三菱銀行)は比較的無傷で、現在まで優良銀行の名をほしいままにした。なぜなら三菱銀行は、「官庁よりも官僚的な人事」といわれ、営業成績を上げても人事で報われないので、バブル経済で道を外れるような、そんなムチャはしなかったのである。いいような悪いような微妙な話である。


●昔は「逃げの住友」だった


 もっとも、住友銀行も昔から「モーレツ商法」だったわけではない。しばしば誤解されるが、住友グループは「石橋を叩いても渡らない」堅実な社風で知られる。住友銀行は審査部門が強く、極めて慎重・厳格な融資姿勢で「逃げの住友」と呼ばれた。企業が倒産する頃には、住友銀行の融資残高はスッカリなくなっていて、焦げ付きが少ない。経営不振を事前に察知して、逃げるように融資を引き上げていくという褒辞だ。


 しかし、さすがの審査部の鋭いアンテナも、海外までは届かなかったようだ。1977年に、「十大総合商社」の一角・安宅産業が、海外子会社の不良債権によって倒産した。ことによっては、連鎖倒産による恐慌すら起こしかねない大事件である。


 住友銀行はメインバンクの責任を取って同社の破綻処理を成功させたが、その代償は大きく、翌年の決算で1232億円の不良債権を償却。11年間守っていた収益トップの座を降りた。この時、副頭取(のち頭取)の磯田一郎は「1000億円をドブに捨てた」と言い捨て、「3年後にはトップを奪回する」、そのためには「向こう傷は問わない」と宣言した。減点主義で有名な銀行業界にあって、積極果敢な行動の末の失敗であれば、目をつむる。つまり、「逃げの住友」から「モーレツ商法」へと舵を切ったのだ。


 あの時、安宅産業が倒産していなかったら、住友銀行の歴史はまた違ったものになっていたかもしれない。
(文=菊地浩之)


●菊地浩之(きくち・ひろゆき)
1963年、北海道札幌市に生まれる。小学6年生の時に「系図マニア」となり、勉強そっちのけで系図に没頭。1982年に國學院大學経済学部に進学、歴史系サークルに入り浸る。1986年に同大同学部を卒業、ソフトウェア会社に入社。2005年、『企業集団の形成と解体』で國學院大學から経済学博士号を授与される。著者に、『日本の15大財閥 現代企業のルーツをひもとく』(平凡社新書、2009年)、『徳川家臣団の謎』(角川選書、2016年)、『三井・三菱・住友・芙蓉・三和・一勧 日本の六大企業集団』(角川選書、2017年)など多数。


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