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敬意がないのに御朱印を集めても意味がない

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2019年05月20日 16:22  日刊SPA!

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日刊SPA!

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いまの仕事楽しい?……ビジネスだけで成功しても不満が残る。自己啓発を延々と学ぶだけでは現実が変わらない。自分も満足して他人にも喜ばれる仕事をつくる「魂が燃えるメモ」とは何か? そのヒントをつづる連載第102回

 新元号の記された御朱印を求めて、各地の神社にたくさんの人が押しかけたニュースが話題になりました。伊勢神宮では2時間待ち、明治神宮では10時間待ちの長蛇の列になったそうです。私の近所の神社も敷地を囲むように行列ができていました。

 しかしそうしたブームによって、神社に敬意を払わない不心得者も目立つようになりました。御朱印を転売したり、転売された御朱印を購入する人が現れたのです。頒布の際のマナー違反もあって、浅草神社は三社祭りの頒布を見送る発表をしました。

 これはアイドルのライブチケットや、新作ゲーム機の転売と同じ構図です。神社の御朱印に限らず、購入者が販売者に敬意を払わないと、つまらない仕組みが増えたり、商品やサービス自体がなくなったりします。

 そもそも神社は自分で足を運ばなければ、ほとんど意味がありません。神社の価値は体験です。神社に流れる神聖な雰囲気に触れて、日常生活ではできないような一念発起をするから意味があります。

 先日、神社でおみくじを引いたら、「ながむれば、ながむる花のあるものを、むなしき枝に、うぐいすのなく」という和歌が記されていました。

 眺めれば、眺められる花が咲いているのに、花の咲いていない枝で、うぐいすが鳴いている。私はこのうぐいすに自分を重ね合わせて、花の咲いている枝を探そうと思いました。ちょうど価値観の転換を迫られていたところだったので、とても良いヒントになりました。

 このようにおみくじがヒントになるのも、自分が敬意を払っているからです。心は無関係の偶然から自分に必要な答えを推察できます。それが心の万能性です。しかしその一方で、自分が「どうでもいい」と思っていたら、何も閃きません。

 神社で買えるお守りやお神札は、そうした体験を日常で思い出すための記念品です。お守りやお札を見れば、参拝した時の体験や心情を思い出せます。わざわざ車のお祓いをしてもらって、交通安全のお守りを車に飾るのは、見るたびにその体験を思い出して、安全運転を心がけられるようになるからです。それはただ「気をつけよう」と思うよりも、ずっと強い信念になります。 御朱印も一緒です。

 すべての人間が神社に神聖さを感じる必要はありませんが、いくらかでも神聖さを感じなければ行く意味がありません。それは興味のないアイドルのライブに行って、つまらないと文句を言うのと同じくらい筋違いです。自分の興味の対象には敬意を払う。拝金主義が行き過ぎると、そういう当たり前がわからなくなります。



【佐々木】
コーチャー。自己啓発とビジネスを結びつける階層性コーチングを提唱。カイロプラクティック治療院のオーナー、中古車販売店の専務、障害者スポーツ「ボッチャ」の事務局長、心臓外科の部長など、さまざまな業種にクライアントを持つ。現在はコーチング業の傍ら、オンラインサロンを運営中。ブログ「星を辿る」

このニュースに関するつぶやき

  • 敬意なく御朱印を集める輩には神罰や仏罰が降ればいいんです。
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  • 本来は信仰の対象なんだけど、今やコレクターズアイテム化してしまったからね。これ、単純に「商品」としてみた場合、それを逆手にとって商品として資金集めに使うってのも一つの手だよ。 https://mixi.at/a8o0UbG
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