#MeToo時代の今語られるにふさわしいテーマ 『コレット』は一人の女性の自立を描く

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2019年05月21日 12:51  リアルサウンド

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 女性がものを書くとき、そこにはいつも闘いがあったことを私たちはすでに知っている。女性作家ものの映画が次々に公開され、もはや一つの潮流と化している昨今にあって、新たにそのフィルモグラフィーに加わる映画、それが本作『コレット』(2018年)だ。昨年公開された、エル・ファニング主演によるイギリスの女性作家メアリー・シェリーの自伝映画『メアリーの総て』(ハイファ・アル=マンスール、2017年)、今年公開された、著名作家として名を馳せる夫のゴーストライターを務める妻の物語を描いた『天才作家の妻 -40年目の真実-』(ビョルン・ルンゲ、2017年)、来月デジタル配信されることとなった、作家として落ちぶれた女性が著名人の手紙の贋作に手を染める『ある女流作家の罪と罰』(マリエル・ヘラー、2018年)。女性作家たちの苦難や葛藤は、#MeToo時代の今語られるにふさわしいテーマを持っている。


参考:キーラ・ナイトレイが男性からの抑圧に悔しさを滲ませる 『コレット』本編映像公開


 フランスでもっとも著名な女性作家の一人であるシドニー=ガブリエル・コレット。その波乱万丈と言われる人生にいったい何があったのかを、本作『コレット』は明らかにしていく。映画の序盤、煌びやかな社交場で、装飾の施された生きた亀にコレットが一人話しかけるシーンがある。これはコレットに造詣の深い人であれば、1904年に初めてコレットが実名で刊行した小説『動物の対話』を想起させる描写でもある。コレットはずっと夫ウィリーのゴーストライターであり、一世を風靡した小説『クロディーヌ』シリーズも、彼女の名前は記されなかった。


 コレットは晩年、『わたしの修業時代』(ちくま文庫、工藤康子訳、2006年)と題された回想録を書いている。ウィリーと結婚してから別居するまでの、20歳から33歳までの間が綴られる。コレットの「修業時代」とは、つまりウィリーと共に過ごした日々のことを指す。コレットはウィリーとの最初の結婚が終わったあと、何度か結婚と離婚を繰り返すが、本作ではこの回想録をなぞるようにして、ウィリーとの結婚が中心に描かれる。映画は、コレットが食卓にお茶を運ぶ姿からはじまり、彼女が舞台に一人で立ち、幕が開けられると共に終わる。一人の女性の自立を描く物語でもある。


 主演のコレット役は、ジョー・ライト監督の『プライドと偏見』(2005年)、『つぐない』(2007年)、『アンナ・カレーニナ』(2012年)や、『ある公爵夫人の生涯』(ソウル・ディブ、2008年)など、時代劇を選り好みし、数多く出演してきたイギリスの女優キーラ・ナイトレイが演じる。彼女のコスチュームドレス姿はすでに板についたものだが、本作では男装姿をも颯爽と着こなしてみせる。まだ女性が男性的な服装をすることを許されてはいなかった時代に、男装で生活する勇敢な貴族ミッシーと恋仲に発展したコレットは、自らも男装するようになる。


 本作で初めてコレットが男装するのは、ウィリーに『クロディーヌ』シリーズの新刊がなぜ二人の名前で出されないのかを詰め寄る場面だが、コレットの人生を映画化した過去作品『コレット・水瓶座の女』(ダニー・ヒューストン、1991年)では、コレットが『クロディーヌ』シリーズを書いたのは、ウィリーではなく自分だと男たちの目の前で告白するシーンで、まさに男装の姿をしていた。『男装論』(青弓社、1994年)の著書である石井達朗によれば、コレットの男装は、「男社会のイミテーションを演じているのではなく、当時のパリ社交界の男女のジェンダーを侵犯するようなある種の力を表現している」という。


 最近よく耳にした「キャンプ」という言葉は、アメリカの文芸批評家であるスーザン・ソンタグが唱えた、豊かで多様な審美的思想を意味する。『オーシャンズ8』(ゲイリー・ロス、2017年)で、女たちの盗みの舞台にもなった煌びやかなファッションの祭典メットガラが、この「キャンプ」にオマージュを捧げてつい先日行われたことは、私たちの記憶にも新しい。キャンプ的なスタイルを持つ人やものが列挙された本『Camp: The Lie that Tells the Truth』(フィリップ・コア、デライラブックス、1984年)に、コレットの名が連ねられているように、コレットの男装を含むファッションには、このキャンプ性を見いだすことができる。彼女は自らの衣服を以ってしても既存の価値観に抵抗し、自由な精神で人生を闊歩することを美学としていた。


 「影のような生活−ライフ−。影のような妻−ワイフ−」とは、『ヒロインズ』(ケイト・ザンブレノ、西山敦子訳、C.I.P.ブックス、2018年)の一節である。メモワール的な筆致で、男性によって才能を搾取され、声を奪われ、存在を虐げられてしまった幾人もの「影」としての「ヒロインズ」が綴られるこの本には、あの『華麗なるギャツビー』で有名な作家の夫スコット・フィッツジェラルドに、自分自身の文章を利用され、またある時は幽閉までされた、コレットと重なるところの多いゼルダ・フィッツジェラルドのことも語られる。いつの時代にも存在した多くの「影」、あるいは「ヒロインズ」のことを想いながら観る、コレットが多くの観客を前に舞台に一人で立つラストシーンは、だからこそより力強く感じられる。そして、高らかに宣言してみせる。コレットが影ではなく、まばゆい光に照らされ、また自らも時代に光を放つ、輝かしい存在であることを。(児玉美月)


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