ホーム > mixiニュース > スポーツ > 格闘技 > 忘れられない「プロレス名言」

猪木、橋本、三沢… 一度聞いたら忘れられない「プロレス名言列伝」

695

2019年05月23日 17:00  AERA dot.

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

AERA dot.

写真『破壊王』と呼ばれた橋本真也 (c)朝日新聞社
『破壊王』と呼ばれた橋本真也 (c)朝日新聞社
 プロレスは究極のエンターテインメントである。

 対戦相手との戦いとともに、見ているお客さんとの勝負もあるからだ。一方的な展開で試合に勝とうが、見ている人を満足させなければレスラーとしての評価は高まらない場合もある。

 常に自己プロデュースが必要とされ、試合のみでなくリング外でもファンの心を掴むことも要求される。

 世界一の団体、米国のWWEは「壮大なソープオペラ」と形容されるのはそいったこともあるからだ。リング内外でのレスラー個々のキャラクター設定など、細部にまで徹底的に作り込まれている。そこにはプロの演出家も存在し細部まで計算されている。

「政治家に必要なのは言葉」と言われるが、プロレスにも当てはまる。リング内外の言葉がファンの琴線に触れ、名シーンを演出することが多々存在する。

 プロレス界が大きく動いた平成時代、各選手、関係者などが発した名言、珍言で振り返ってみたい。

■「元気ですか! 元気があれば何でもできる」(アントニオ猪木)

 猪木は昭和を代表するレスラーだが、平成にも大きなインパクトを残した。マイクパフォーマンスを行う際のこの言葉、プロレスを知らない人たちでも聞いたことがあるだろう。国会議員も務める猪木は、答弁に立った際も度々「元気ですか!」を叫んでいる。予算委員長に「心臓に悪い人もいるので、今後は控えるように」と注意を受けたこともある。

 また平成14年(02年)のサッカー、日韓ワールドカップ開催時には、大会イベントにも多数参加。このセリフを口にするとともに、最後は恒例の「1、2、3、ダー!」で締めていた。

■「時は来た! それだけだ」(故・橋本真也)

 キックやチョップなど強烈な打撃系の技を主体に、相手を叩き潰すようなスタイルから『破壊王』と呼ばれた。柔道家・小川直也のレスラー転向時、自らの引退をかけた熱戦をおこなったことなど、記憶に新しい。激しく戦い、遊ぶ。まさに昭和時代の生き残りのような破天荒な生き方で人気を誇った。しかし平成17年(05年)7月11日、脳幹出血のため40歳の若さでこの世を去った。

 同世代で「闘魂三銃士」と呼ばれた蝶野正洋と組み、猪木、坂口征二の昭和世代と対戦した平成2年(90年)2月の東京ドーム。試合前に意気込みを聞かれた橋本が発したのが「時は来た! それだけだ」。あまりの唐突さに隣の蝶野が笑ってしまうほどであった。

■「お前らの思う通りにはしねぇよ、絶対!」(故・三沢光晴)

 平成13年(01年)年3月2日、両国国技館。故・橋本真也が立ち上げた新団体プロレスリングZERO‐ONE旗揚げ戦のメインイベント後、リング上で起こった乱闘時の言葉。

 故・ジャイアント馬場の全日本プロレスで育った三沢は、プロレスリング・ノアを立ち上げ『王道』を継承。あくまでリング上での戦いを重要視してきた。対して橋本は猪木の新日本プロレス出身。メディアなどを使いリング外もプロレスに積極的に活用。それら方法論などが真っ向から異なる両者がリング上で対峙した際、三沢は自らの信念を貫くことを宣言した。

■「またぐなよ」(長州力)

『邪道』大仁田厚がターゲットにしたのは、当時、現役引退していた長州力。

 約1カ月後に対戦は決定していたが、それを電流爆破マッチでおこなうよう要求するため、平成12年(00年)6月30日に新日本海老名大会(神奈川)を訪れた。

 大仁田を見つけた長州は、「入るな。入るなよ。またぐな。またぐな絶対に」と練習中のリングフェンス内への立ち入りを絶対許さない姿勢を見せた。

 プロレス中継で強烈なインパクトを残したのはやはり、新日本プロレスのテレビ朝日系、古舘伊知郎氏と全日本プロレスの日本テレビ系、『ジャストミート』福澤朗氏ではないか。(古舘氏は昭和のイメージも強いが……)

 2人に共通しているのは、いわば『自己プロデュースの実況担当者』。まさにプロ中のプロなのだ。あらかじめ何を語るか、言葉やタイミングなどすべてを周到に準備する。まるでそこに台本が用意されているかのようである。

 レスラーと同様、演者。語り手でありながら演出家。この2人は、それ以後のプロレス実況の根幹のようなものを作り上げたようにも思える。

 もちろん古舘氏、福澤氏だけではない。どの実況担当者そして解説陣も個性豊かで味があった。入念な取材活動や準備も伝わってきた。しかしレスラー同様、伝え手側も人間である。ハプニングや、とっさの言葉に心を動かされたことも多かった。 キャッチーな言葉というのは、ある時、突然発せられる。

■「三沢チャンス! ハイになれ! 思いっきり戦え!」(若林健治氏/当時日本テレビ系実況)

 平成2年(90年)6月8日、日本武道館、故・ジャンボ鶴田と故・三沢光晴の三冠ヘビー級選手権。怪物と呼ばれた絶対的強さを誇る鶴田と、タイガーマスクを脱いで素顔の三沢。それからの日本プロレスを左右することになった歴史的一戦で若林氏が発した名言だ。この試合に勝利した三沢は当時27歳。ここから多くの選手と数々の死闘を繰り広げ、世界に名だたる名レスラーに上り詰めた。

 しかし2人はその後、若くして命を落とすことになろうとは誰も思わなかった。鶴田は平成12年(00年)5月13日、フィリピンで肝臓移植手術中に49歳で亡くなった。三沢は平成21年(09年)6月13日、広島での試合中に46歳で命を落とした。鶴田と三沢、生きていれば令和でも名勝負の続きが見られたかもしれない。

■「何してるの、何してるの?」(ザ・グレート・カブキ/当時日本テレビ系解説)

 平成2年(90年)5月14日、東京体育館で当時タイガーマスクだった三沢光晴が試合中に自らマスクを脱ぎ捨てた。当時、タイガーの中身は三沢ということは周知の事実であったが、まさかの行動に百戦錬磨のカブキの動揺が伝わってきた。

 そして、この試合の実況も若林氏である。それまでにも「プロレスを愛するなら、プロレスを守れ!」など数々の名言を発してきた若林氏。勉強、準備の熱心さは、プロレスへの愛情は業界で有名なほど。「ハイになれ……」はあらかじめ用意していたのかもしれないが、テレビを通じて尋常じゃないほどの興奮が伝わってきた。 声が裏返っていたのも忘れられない。

その他、たくさんの言葉、決めセリフとともに平成は過ぎ去っていった。

■「愛してまーす!」(棚橋弘至/新日本プロレス)

■「トランキーロ! 焦んなよ!」(内藤哲也/新日本プロレス)

■「イヤァオ!」(中邑真輔/WWEほか)

■「プロレスの教科書……」(大谷晋二郎/プロレスリングZERO1ほか)

■「お楽しみはこれからだ!」(故ハヤブサ/FMWほか)

 もちろんこれら以外にも多くの言葉がある。ファン各自のその時の状況によって心への響き方は変わるだろう。だからそれらを語り合うのもプロレスの大きな楽しみ方だ。

 プロレスは面白い。 年齢を重ね、世間の事情を多少は理解できるようになっても、惹かれてしまう。

「プロレスはショーだ」といまだに言う人たちがいる。しかしそんなことはナンセンス。「プロレスはプロレス」であり、それ以上でも以下でもない。そこに大きなロマン、夢があり、日常ではありえないことを見せてくれる。そんな素敵な体験ができる特別な世界だ。

 平成最後、新日本プロレスが米国格闘技の聖地、マジソン・スクエア・ガーデンを熱狂させた余韻の残る中スタートした令和。新しい時代、明らかにプロレス界には大きな風が吹いている。プロレスはこれからも素晴らしいものを変わらず見せてくれるはず。同時に名(迷)言、珍言でも楽しませてくれるだろう。 (文・山岡則夫)

●プロフィール
山岡則夫
1972年島根県出身。千葉大学卒業後、アパレル会社勤務などを経て01年にInnings,Co.を設立、雑誌『Ballpark Time!』を発刊。現在はBallparkレーベルとして様々な書籍、雑誌を企画、編集・製作するほか、多くの雑誌、書籍やホームページ等に寄稿している。Ballpark Time!オフィシャルページにて取材日記を不定期に更新中。現在の肩書きはスポーツスペクテイター。

【おすすめ記事】天龍源一郎「引退してから、何もすることがない」


このニュースに関するつぶやき

  • 完全に忘れとったが、猪木さんの「こんな闘いを続けていたら、10年持つ体が1年で終わってしまうかも知れない」も名言。もみじとしげも、闘いは程々にせねばならん���줷����ǭ
    • イイネ!3
    • コメント 1件
  • 『1+1は2じゃないぞ。オレたちは1+1で200だ。10倍だぞ10倍』(小島聡談)
    • イイネ!154
    • コメント 10件

つぶやき一覧へ(458件)

あなたにおすすめ

ニュース設定