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“他人事”である恋愛劇をスペクタキュラーなものに 『台北セブンラブ』が描く“七つの愛のかたち”

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2019年05月30日 13:21  リアルサウンド

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 「恋は盲目」とはよく言ったものだが、それはその「恋」とは少し離れたところに視座を置いた場合にかぎって、言えることなのではないだろうか。たとえばそこにあった「愛」が燃え尽きたときに、かつての自分を振り返ってみて。あるいは、第三者の視点から見たときに。映画『台北セブンラブ』は116分間、終始そういった思いを抱かせる作品である。台北のとあるデザイン会社を舞台に描かれるのは、タイトルから推測できるとおり、七人の男女による、七つの愛のかたちだ。


【写真】『台北セブンラブ』シーン写真


 さて、「愛」とはなんなのだろうか。恋愛経験の乏しい筆者がこんなことについて考えを巡らせてみるのは役不足であり、気恥ずかしさをもともなうが、誰だって一度くらいは、どこかの誰かを恋しく思った経験があるだろう。思い返してみれば、それはたしかに「恋は盲目」な状態そのものであり、いくらかの時間を経て冷静さを取り戻しはじめたときに、ようやく気恥ずかしさが生まれてくるというものである。誰だって、そのようなものではないだろうか(と、信じたい)。


 本作に登場する人々は、色恋と仕事とを分けられない、公私混同してしまう者たちの集まりで、まったくもってうんざりしてしまう。デザインという無限の可能性を秘めた、開かれた大きな世界を志向しながらも、彼らがとどまり周回しているのは、ごくごく小さな、有限な世界の中なのである。「創造」を生業とする者たちでありながら、想像力が欠如していると思えてしかたがないのだ。しかし、「社内恋愛はトラブルのもと」だと誰かが口にすれば、また別の誰かは「恋愛は発想の源」だと主張する。たしかに言い得て妙である。こっ恥ずかしいことではあるけれども、恋することで仕事への活力が生まれたり、生活のハリを感じたことは誰しもあるのではないだろうか。それに、好きになってしまったものはしょうがない。そこに熱が、ひいては愛が生まれようとしているのであれば、これが抗しがたいものであることは、また誰しもが知るところであるだろう。


 とある場面にて、カップラーメンというありふれた、それでいてとても印象的な小道具が登場する。私たちの生活においても、ひじょうに馴染み深いものだ。カップラーメンとは基本的に、お湯を注いでわずか3分経てば、熱くて美味しいものがそこに生まれる。それにくらべ、恋に落ちたり、熱い「愛」が生まれるのに3分もかからないことは多いが、しかし同時に冷めることもまた、カップラーメン以上に早いことがあるのだ。そんなまるで格言めいた場面だが、劇中には実際に、いくつもの格言が引用されている。たとえばそれは、オランダ出身のインテリアデザイナーであるマルセル・ワンダースによる、“私は愛に満ちた世界を創造し、わくわくする夢を実現したい”といったようなものだ。そんな言葉と彼らの世界のすり合わせとを、本作は試みている。しかし登場人物一人ひとりに迫るカメラが捉えるのは、七者七様の生態と実態だが、どうにも彼らが交わす愛の実体はつかめない。私たちの視線から身を交わすようにして、それらはさらりとすり抜けていく。彼らのよりどころとする場を“小さな世界”と先に述べたが、これは一つだけではない。この映画では、他にも同じような世界があることをほのめかしている。私たちの現実においてもおそらくそうだろう。人々が身を寄せ合って小さな世界をつくり、その世界の円環がいくつも連なることで、都市をつくっているのだ。それは台北であり、あるいは東京だったりするのかもしれない。


 本作は、CMやMVを数多く手がけるチェン・ホンイー監督の長編第三作目だ。鮮やかな色彩感覚と、広告的なスタイリッシュな編集とによって物語は支えられ、豪奢な照明と幻想的なシーンの挿入が、“他人事”である恋愛劇をスペクタキュラーなものにしている。とはいえ、けっきょく、はたから見るとなかなか分からないというのが「愛」の実態であり、本質なのではないだろうか。俯瞰的な立場を取ったときにこそ見えてくるものがあるが、それはやはり、どうしたって滑稽なものとして映ったりする。しかしその熱狂の中にある、人々の切実さと必死さに気がついたとき、見えてくる世界は違っているだろう。それはまた、めまぐるしく表情を変える、彼らの円環が創造(想像)する都市そのものとも換言できる。


 恋愛とはとかく主観的になりがちなもので、他者にとってはその恋愛観が受け入れがたいものであったり、疎ましいとさえ感じさせてしまうこともある。もちろん、その逆もまた然りだ。他人の恋愛話ほど愉快で、また退屈させるものもないだろう。劇中で展開される恋愛論の数々に、ときにうなずき、ときに顔をしかめながら付き合ってみるのも一興である。そこにはなにか探していたものが、思いがけず見つかるかもしれない。


(折田侑駿)


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