「球数制限」は「スポーツマンシップ」に則って議論しよう(前編)

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2019年06月07日 17:30  ベースボールキング

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中村聡宏氏は、一般社団法人日本スポーツマンシップ協会代表理事・会長として、スポーツマンシップの普及・推進を通してより良い人を育み、より良い社会づくりに貢献することを目指し、多様な活動を行っている。また千葉商科大学サービス創造学部でも教鞭をとっている。スポーツマンシップの観点から「球数制限」について聞いたインタビューの前編。
高校野球は、スポーツマンシップを学ぶ場になりうる
高校野球は、本来、スポーツマンシップを学ぶすごくいい場ではないかと思います。トーナメント型のスポーツは、勝利至上主義に陥りがちですが、一方で、1校以外はすべて負けて終わるというシステムは、負けを受け入れることについて考える良い機会になるからです。
しかし実際はみんなが勝ちにこだわるシステムになっていて、スポーツを楽しむことや、勝敗の意味を考えるという教育的な目的は薄れがちです。
確かにスポーツは勝利を目指すものではありますが、その過程で自分をどうコントロールするかが一番大事です。その部分まで理解が及べば本当にいいのにと思います。
議論が起こることが重要
2018年夏の甲子園では、金足農の吉田輝星投手が過酷な条件で登板しました。
日本中が熱狂しましたが、手放しで喜んでいるわけにもいきません。
「そういう悪辣な状況でやっているからドラマチック」というのは大人の事情で、当然選手の健康面、安全を第一に考えるべきだからです。
もちろん、吉田投手は夏場の炎天下でも耐えられるようなトレーニングをしてきたのでしょう。そして指導者は「それを経験したらどんな不条理にも耐えられる」と思っているのかもしれません。悪辣な環境に堪えうる人材を育成しているのかもしれませんが、「そんな風にしないと強い人って育てられないのか?」とも思います。
ただ、彼の登板や、過去の事例がきっかけとなって「球数制限」の議論が起こっているのは、いいことです。
私は、スポーツマンシップの提言を各方面でしていますが、提言することによって議論が起こることが重要だと考えています。
スポーツマンシップは宗教ではないので、「これが最高で不可侵」と言いたいわけではありません。哲学的なもの、「何かを突き詰めれば背反する結果がでてくるようなもの」なので、そこをどう議論しながら折り合うポイントを探していくことに意義があります。
「球数制限」についても、ルール化すれば解決する問題ではないと僕自身は思っています。でも、そんな意見が出ることで議論が起こる。みんながフラットな立場で意見交換をすることに、すごく意義があると感じています。
「燃え尽きる以外の選択肢がない」
「燃え尽きさせてやりたい」という議論について。
選手が試合に出て健康障害を負ったとして、「ほら、燃え尽きることができてよかっただろ」と言えるのは、極言すれば本人も指導者も、親御さん、家族も含めて全員に納得感がある場合に限るのではないかと思います。相互に尊重しあって議論した末にそうなるのなら、いいかもしれません。
しかし、実際には「燃え尽きる以外の選択肢がない」のが現実ではないでしょうか?
本当に、燃え尽きた選手に納得感があるのかどうか。
一番問題なのは、監督と選手が師弟関係、上下関係にあることです。
羽生結弦選手とコーチの関係は、対等に感じます。互いに尊重し合う、水平の信頼関係です。
しかし高校野球をはじめとするいわゆる体育会的リスペクトは、下から上への一方通行のベクトルであり、反対方向のリスペクトを感じることはなかなかありません。
師弟は上意下達の関係になっています。上から命令して下が言うことを聞くという関係になっている。これはハラスメントを生みやすい体質とも言えます。
上下の関係しかない中では「忖度」が起こりやすい。たとえば、
「お前燃え尽きたいだろ」
「はい」
という忖度です。選手は指導者の顔色を窺い、やらせたいことを察知する「忖度能力」を磨いていることが多いと思います。
根深いのは、こうした指導の在り方が何世代も続いてきたことです。自分もそういう指導で育ってきたから、生徒もそういう風に指導する。その繰り返しです。
どこかで目を覚まさないと終わりません。
でも、内発的に変わるのは難しい。みんな自分がかわいいし、自己防衛するからです。

後編につづきます。
(取材・写真:広尾晃)

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  • 何が球数制限だ。先発したピッチャーが100球程度しか投げられなくてどうする。つまらん!
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