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小説の衝撃をドラマに昇華 『腐女子、うっかりゲイに告る。』が描いた世界を単純化しないこと

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2019年06月12日 08:01  リアルサウンド

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 金子大地演じる“ゲイ”の男子高生・安藤純は男性が好き。そして、藤野涼子演じる“腐女子”の女子高生・三浦紗枝はBLが好き。何かを「好きだ」と思う感情は、その人のアイデンティティを構築する上で、とても大切なものである。みんなが好きだから好きなのではない。むしろ、誰に何と言われようと……ときに「世間」という名の実体のないものから冷たい視線を浴びせられようと、自分はそれが「好き」なのだ。無論、それを公言することは、また別の問題になってくるのだけれど。


 そのユニークなタイトルによって、一瞬「コメディかな?」と思わせつつ、あまりにも切実で、だけれども初々しくもある爽やかな青春ドラマとして、多くの人々の反響と支持を得ながら、先頃全8回の放送を終了したドラマ『腐女子、うっかりゲイに告(コク)る。』(NHK総合)。今クールのナンバーワンドラマの呼び声も高い本作が多くの人々に評価された理由は、いくつもあるだろう。


 まずは、その原作である浅原ナオトの小説『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』自体が持つ力。そして、その小説に惚れ込んで、ドラマ化を希望したという作り手側の熱意。さらに、決して簡単な役とは思えない登場人物たちを見事に演じ切った金子大地と藤野涼子をはじめとする若い役者たちの熱演。否、それらは別個に存在するのではなく、それらすべてが相まって、本作を秀作たらしめたと言ったほうが良いのかもしれない。


 “ゲイ”であることを認めながらも、その将来に大きな不安を抱えている男子高生が、ふとしたきっかけで“腐女子”の女子高生と知り合い、さまざま出来事を潜り抜けながら、緩やかに成長を遂げていく物語を、主人公である安藤純の一人称で綴った原作小説。タイトルの変更をはじめ、1話30分×8回という尺の問題などから、いくつかのエピソードや設定、描写を割愛せざるを得なかったとはいえ、小説のなかに登場するクイーンの楽曲をドラマのBGMとして、歌詞の意味も含めて効果的に使用することや、原作をほぼ踏襲した形でクイーンの楽曲名を各回のサブタイトルとした構成など、今回のドラマは、原作に最大限の敬意を払いながら、一話一話、かなりていねいに作り上げていったように思われる。そう、今改めて振り返ってみると、本作の脚本を担当した三浦直之は、初回のオンエア前の時点で、番組HPにこんなコメントを寄せていた。


「シナリオを書くにあたって気をつけたことは、『わかったつもりにならない』で居続けることでした。純の葛藤を、僕自身の思春期のころの葛藤に安易に置き換えない、三浦が愛する文化を勝手にわかったつもりにならない。他の登場人物たちに対しても同じです。それでもきっと寄り添うことはできるし、寄り添った言葉を書きたいと願いながら執筆しました」


 全8回を観終えた今ならば、はっきりと言える。そうなのだ。「わかったつもりにならない」というのは、このドラマの根幹に関わるテーマでもあったのだ。ドラマのなかで何度も繰り返される、純のSNS上の友人であり最大の理解者でもあるファーレンハイト(声・小野賢章)の言葉。「人間は、自分が理解できるように、世界を簡単にしてわかったことにするものなのさ」が端的に表しているように、物事を単純化して「わかったつもりにならない」ことが、実はこのドラマの何よりのテーマでありメッセージだったのだ。


 当初その言葉は、純やファーレンハイトのような性的マイノリティの当事者たちが、マジョリティ側の画一的な物の見方を、やや皮肉った言葉として登場した。しかし、その言葉はやがて反転し、純自身に向けられた言葉として返ってくるのだった。そうやってクールに嘯いている自分は、自分自身を「わかってもらう」ために、誰かとちゃんと向き合ったことがあったのか。さらに、交際の約束を交わし、キスまでした自分がゲイだとわかったあとも、自分のことを理解しようと歩み寄ってきてくれた三浦さんのことを、自分はどれだけわかろうとしていたのか。彼女がコンクールのために描いている絵のことだって、自分は知ろうともしなかったではないか。そして、最終回で明らかになった、ファーレンハイトの正体。世界を単純化していたのは、むしろ自分のほうではなかったのか。


 そこが、この物語の何よりも画期的なところだったように思う。性的マイノリティの苦悩をリアルに描き出すだけではなく、「マイノリティ/マジョリティ」という、ある意味単純化した構図そのものを解体し、あくまでも「個人対個人」の関わり合いを描いてみせること。もちろん、主人公である純は、その中心となる人物ではある。しかし、彼と三浦さんの関係性をはじめ、彼の幼馴染みであり親友である亮平(小越勇輝)との関係性、あるいは純と母親(安藤玉恵)の関係性、さらには彼に対して敵意をむき出しにしてくるクラスメイト小野(内藤秀一郎)との関係性は、彼/彼女たちがお互いに少しずつ心を開き、歩み寄ることによって、緩やかに変化してゆくのだ。


 その構図をよりいっそう浮き立たせるために、本作はドラマならではの、あるアレンジを用意していた。それが端的に表れ始めたのは、思いつめた純が教室から飛び降り自殺を図るという衝撃的な第5回「Bohemian Rhapsody」の最後を受けて始まった、第6回「Somebady to Love」だった。この回は、その多くの場面が三浦さんの目線で描かれた、すなわち純の一人称では描き得ない、ドラマオリジナルの回となっていたのだ。


 命に別状はないものの、大怪我をして入院を余儀なくされた純。一方、三浦さんは、純のいない教室を覆った暗い空気を感じ取り、純が飛び降りたバルコニーで嘆息する小野を目撃する。そして、心そこにあらぬまま、腐女子仲間である姐さんに呼び出された三浦さんは、彼女に「もっと自分をさらけ出して、お互いを知ってみたら?」とアドバイスされるのだった。さらに後日、今度は純の親友である亮平に声を掛けた三浦さんは、彼に純との思い出の場所を案内してもらいながら、自分が純のことを何もわかっていなかったことに気づくのだった。そして、このような状況になってもまだ、純のことを「わかりたい」と思っている自分の本心にも。


 かくして、亮平と連れ立って、純の見舞いにいくことを決意した三浦さんは、彼を終業式に誘い出すことに成功し……このドラマのまさしくクライマックスと言っていいだろう、第7回「We Will Rock You」(ちなみに、この回だけ、ドラマオリジナルのタイトルがつけられていた)で繰り広げられた、体育館での怒濤の「告白」シーンへと繋がっていくのだった。そう、こうして純の一人称で綴られていた物語は、いつしか「個人対個人」の関係性が連鎖する、10代の若者たちの「群像劇」として、視聴者の前に立ち上がってきたのだった。作り手側が惚れ込んだ小説のエッセンスを、細心の注意をもってていねいに取り扱いながら、その要所要所においては、ドラマならではの表現で大胆に描き切ってみせること。このドラマに、あくまでも小説とは別の表現でありながら、その小説から受けた衝撃はそのままに、ドラマならではやり方で描き出そうとする、役者も含めた作り手たちの矜持を感じたのは、きっと筆者だけではないはずだ。本当に心に残る、良いドラマだったと思います。(麦倉正樹)


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