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“画狂”葛飾北斎に学ぶ「健康と長寿」の7つの秘訣

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2019年06月23日 08:00  AERA dot.

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写真「神奈川沖浪裏」 (すみだ北斎美術館提供)
「神奈川沖浪裏」 (すみだ北斎美術館提供)
 平均寿命が40〜50歳ほどの江戸時代に、数えで90歳まで生きたという葛飾北斎(1760〜1849)。自らを「画狂」と称した天才浮世絵師で、天寿を全うする直前まで筆をとり続けたという。没後170年を迎えた北斎の長寿と元気の7つの秘訣を探ると……。

【葛飾北斎の「賀奈川沖本杢之図」はこちら】

*  *  *
【1】挑戦する心と情熱
 絵が上手になりたい、森羅万象を描きたい。そんな情熱を北斎は忘れず、常に新たなものを創作し続けた。代表作の一つ、冨嶽三十六景は70代の作品だ。浮世絵の新ジャンルの風景画に挑み、大ヒットした。

 慶応義塾大学アート・センター所長の内藤正人教授は「多くの浮世絵師は美人画や役者絵中心に描いたが、そうした人たちが手がけない花鳥画なども北斎は残している」と指摘。すみだ北斎美術館の五味和之学芸員は「晩年も創作意欲が衰えず、朝から夜まで描いていた」と説明する。

【2】真理追究のたゆまぬ努力
 挑戦を続けた姿勢の奥底には、対象を的確にとらえて忠実に描きたい、との長年の思いがあったようだ。

 北斎の新境地の一つが、風に揺れる草花や蝶などの描き方。あるがままの自然の情景を躍動感あふれる作品に仕上げた。冨嶽三十六景の中の「神奈川沖浪裏」はその真骨頂だ。大きな波しぶきがほとばしる描写は、カメラで撮影したかのよう。写真のない当時、肉眼でここまで波しぶきを見極めた観察眼には驚きだ。

 北斎が最初に波を描いたのは、この作品から遡ること約30年の「賀奈川沖本杢之図」。五味学芸員は「最初の頃の波は餃子の皮かパイ生地のようだった」と指摘し、何十年もかけて躍動感ある波を描くようになった姿に「真理の追究心が並外れて強い」とみる。

 水の風景をテーマにした作品はいくつも手がけている。「千絵の海」では海岸や川岸を、「諸国瀧廻り」では滝を描いたが、いずれもあまり売れなかったようだ。内藤教授によると、波の絵は世の中に受け入れられて大ヒットしたという。

【3】堅実ながらもアンチ安定
「北斎漫画」は現代アニメにもつながる絵手本で、様々な人物の姿や風俗をとらえている。内藤教授は「行き当たりばったりではなく、かなり周到なプランがある」と作品の緻密さを指摘する。

 器用に何でも描いて名をはせたが、「足る」ことを知らなかった。絵描きは名前が大切で、一度売れた名を普通は変えない。春朗、北斎など生涯で数回も変えた姿は、「異常だ」(内藤教授)。名声への安住を嫌ったのか、貪欲さを忘れず画境を刷新し続けた。「常に満足せず、誰の追随も許さない人となった」(五味学芸員)

【4】旺盛なサービス精神
 一般大衆向けの浮世絵でも、特定の人から依頼された刷物でも、随所に創意工夫をこらした。狩野派のような御用絵師と違い、浮世絵師は地位も財力もなく、人気だけが命綱。内藤教授は「一方通行でなく、絶えず考えて作品にした」と評する。こうしたサービス精神の旺盛さも特徴的だ。

【5】物欲と無縁な質素ぶり
 普段はぼろを身にまとい、お金への関心が薄かったようだ。五味学芸員によると、画料は一切勘定せず、包みのまま玄関先に置いておく。集金に来た用聞きに、画料の包みのまま持っていかせたという。

「火事と喧嘩は江戸の華」と言われた時代。成城大学非常勤講師の小沢詠美子さんは「江戸の人は、あきらめを知っていた」と話す。庶民は荷物も少なく引っ越しが多かったようで、北斎は生涯で93回も引っ越したとされる。

【6】義理人情と面倒見のよさ
 親しい歌舞伎役者の公演を見に行くため、当時の生活に欠かせぬ蚊帳を売ってお金を作り、役者に祝儀まで渡した。そんなエピソードが伝わる。

 人から恨まれることなく、だれかに頼まれると絵を描いて世話したようだ。面倒見のよさからか、描きたいという人をみな弟子にした。孫弟子まで含めると、200人ほどもいた。

 北斎の死亡時は、身分が上の武士も野辺送りに訪れたという。「偏屈かもしれないが、素晴らしい人間性だった」(五味学芸員)

【7】そば好きと健脚
 どんな食生活を送っていたかは、よくわかっていない。煮売りをする酒店の隣に住んだ時は、3食とも取り寄せた。寝る前にそばを2杯食べていた、との話も残る。当時は「江戸患い」といわれたビタミンB1不足による脚気が多かったが、そばはビタミンB1を多く含む健康食品だ。

 酒やたばことは無縁だったが、甘いものには目がなかったようだ。知人が大福を持参すると走り出て、喉を鳴らしながらいくつも食べた。そんなエピソードを、五味学芸員は紹介する。

 60代後半に脳卒中を患ったが、自ら薬をつくり、治したと伝わる。中国の医学書から製法を学び、柚子粥のようなものだった。大病はこの一度で、健康には気遣っていたようだ。

 江戸時代は乳幼児の死亡率が高いこともあって、平均寿命は現代の半分ほどだった。『一目でわかる江戸時代』(小学館)などの著作がある江戸東京博物館の市川寛明学芸員によると、壮年を迎えた人だと60歳ぐらいまで生きたという。それと比べても、北斎の長寿は驚異的だ。

 市川学芸員は「江戸時代の人は驚異的な健脚だった」とも解説する。当時の娯楽の一つが、伊勢参りや富士山参拝、神社仏閣巡りなどの旅。長距離を歩き通せないと楽しめなかった。

 北斎は、信州の小布施村(現在の長野県小布施町)を少なくとも4回訪ねている。地元の豪商・高井鴻山の招きで、現地に滞在している間も絵筆をとった。江戸から小布施村までは300キロ近くあり、山越えの道。80代で長旅を繰り返した北斎も、きっと驚異的な健脚だったに違いない。

 世界中の人々を魅了する作品を残した画狂北斎。その生き方もまた魅力的で、現代に生きる私たちも学ぶことがありそうだ。(本誌・浅井秀樹)

※週刊朝日  2019年6月28日号

このニュースに関するつぶやき

  • 北斎さんがいたからこそ今の漫画やアニメがある。こういう業績をひそかに多くの人は知らない…(私もそれを知ったのは6年前だった) そして(どちらかというと両国寄りだが)、ひそかに錦糸町の人だという事も…
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  • 北斎先生88歳での筆名=「画狂老人卍(がきょうろうじんまんじ。超気合い入ってる!)」
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