ハマスタに帰ってきた牛若丸!楽天・藤田「横浜の7年半があったからこそ」

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2019年06月24日 20:33  ベースボールキング

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ベースボールキング

グローブには「Kazuya 23」の刺繍 [写真=萩原孝弘]
◆ 歓迎の声

 「藤田〜、お帰り〜」。交流戦で横浜スタジアムに帰ってきた藤田一也に、大勢のファンから声がかかる。横浜の地を離れることになったのは2012年のシーズン中。いくら年月が経っても、ベイスターズファンの脳裏には“23番”の雄姿が焼きついている。

 「シーレックスのユニフォームを持ってきてくれたファンもいましたよ」と、屈託のない笑顔を見せる藤田は、どこか楽しそうだ。

 藤田が横浜への入団を決めたのは2004年、暗黒時代真っ只中のベイスターズに「入団したい」と公言し、やってきた。その存在に、少なくとも私は特別な思いを抱いていた。


◆ ベイスターズへの思い

 近畿大学の安打製造機といわれ、突出した守備力を誇った藤田の気持ちをベイスターズに引き寄せたのは、当時の近畿担当スカウト・宮本好宣氏の存在だ。「大学3年からずっと宮本さんが見てくれていた。雨の日も台風の時でさえ」と当時を振り返る。

 スカウトの視線を感じることで「隙は見せられない」と、自然とプレーの精度も上がった。それだけ気にかけてくれていたスカウトの熱意が、藤田の男気に火を付け、他球団の誘いを断り、「ベイスターズ以外なら社会人に」と決意させる。

 そんな横浜愛を持って入団した藤田は、すぐに華麗な守備でファンを魅了。いつしか“ハマの牛若丸”という異名をつけられ、ファンから愛された。しかし別れは突然やってくる。2012年にトレードで楽天への移籍が決まると、本人のみならず、ファンもチームメイトも涙した。

 その後の藤田の活躍は目覚ましく、今さら振り返るまでもないだろう。2013年には楽天の日本一に貢献し、今ではすっかり、“杜の牛若丸”として東北のファンを唸らせている。


◆ 無駄なことなんてない

 久々の横浜スタジアムに、藤田は「2年に1回だからモチベーションは上がる」と目を細め、スタメン出場の機会が減ってきた現状にも「途中からの出場などは、横浜での経験が生きている。決して無駄なことなんてないんです」、「横浜での7年半があるから、いまの自分がある」と、感謝の思いを口にする。

 そんな藤田の“人間力”にベイスターズの選手も惹かれるのだろう。かつて共にプレーした筒香嘉智が挨拶に訪れ、横浜と楽天で指導を受けた田代富雄コーチには、「歳なんで無理するなよ」、「でも、もうそろそろか?」と揶揄されたと笑う。その姿は、久しぶりの“故郷”を楽しんでいるようだった。

 藤田はベイスターズファンに対して、「チームは変わったけど、良いプレーを見せられるように頑張りたい。僕が横浜の選手だったことを知らない新しいファンにも、活躍することで覚えてもらえたら」と語り、そのためにも「1年でも長く選手としてやりたい。そしてもう一度優勝したい」と、6年ぶりのリーグ制覇を思い描く。

 選手寿命が延びた昨今、36歳という年齢は決して老け込むような歳ではない。今年5月に1000本安打を達成したとき、「まだまだ若いと思っていますので、これからも1本1本積み重ねていきたい」と藤田自身も語っていたが、そういった記録も通過点の1つに過ぎない。

 新たな波が次々と押し寄せてくるなか、横浜時代の背番号「23」という数字が刺繍されたグラブをはめ、グラウンドを駆け回る牛若丸の姿を、まだまだ追いかけていたい。


取材・文=萩原孝弘(はぎわら・たかひろ)

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  • こんな名選手を放逐した、中畑&高田�ѥ��。その後も、変わったことして、結果オーライ時にドヤ顔したいだけの低能監督ラミレスのもとで、頑張ってるベイ選手たち�㤭��
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