都立城東・内田監督に聞いた、今どきの子どもたちとの接し方

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2019年07月05日 18:02  ベースボールキング

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『スポーツの城東』と呼ばれるほど、運動部が盛んな都立城東高校。なかでも野球部は都立高校として唯一2度甲子園に出場した歴史があります。指揮を執るのは2001年に都立城東の四番として甲子園に出場した内田稔監督。ご自身が育ったグラウンドで、どのように選手たちを指導しているのか話を聞きました。



■言われたことはできるが、自分たちで考えて物事を進めるのは苦手
――毎年100名近くの部員がいる都立城東高校(以下、城東)ですが、内田監督が現役当時も部員数は多かったのですか?

そうですね。当時から人気はありました。ただ、昔から野球部だけではなく、他部活も盛んなので倍率が他校に比べ高いです。今年も今の部員の弟など何人か落ちてしまい、他校に進学してしまいましたから。

――内田監督は城東が甲子園に出場した1999年、2001年に在籍されていました。野球部が一番強かった3年間といっても過言ではありませんね。

確かに、聞こえはいいですね(笑)。1年生のときはアルプスで応援し、3年生のときは四番を打たせてもらいました。1回目の有馬信夫先生(現・都立足立新田監督)は選手たちをグイグイ引っ張るスタイルで、2回目の梨本浩司先生(現・都立文京)は選手の自主性を重んじるスタイルで東東京を制することができました。僕らの代は2個上の先輩たちと比べるとレベルが低かったと思いますが、粗削りながら身体は出来上がっていたような気もします。今の選手も一生懸命身体を大きくしようとしていますが、まだまだ小さいですね。

――今のチームも昨秋は都立校として唯一の都大会ベスト8入り。実力はあると思いますが、現在の野球部と内田監督が現役当時の野球部を比べると何が一番違うのでしょうか?

これはうちだけではないと思いますが、昔と今では子どもの“気質”が違います。俗にいう「やんちゃ坊主」は本当に減りました。良いことだとは思うのですが、大人から言われたことはできるが、自分たちで考えて物事を進めるのは苦手と感じます。




■大事なことを伝える時はなるべく1対1
――おそらく昔の方が厳しい指導だったはずだとは思うのですが、やんちゃ坊主は多かったということですか?

スパルタ指導といえばそうでしたが、僕らの時代は学校も緩く茶髪OKでしたから。ただ、僕は真面目でしたけどね(笑)。実は今も昔もうちは坊主頭強制ではありません。髪型に関して何も言っていないのですが(グラウンドを見渡すと)みんな短いですよね。そういった辺りも良い子の集まりですよ。

僕らの頃は大人の前は良い子を演じたり、監督の顔色を窺ったり、ちょっとずる賢い考えが「上手い」と評価される時代でした。でも、今の子どもにそれはできません。携帯電話の世界ならできるかもしれませんが、グラウンドで二面性を出すことは無理。小さい頃から大人の言うことをちゃんと聞き、反抗することがなかった生徒ばかりですから。

――そういった気質の子どもに対し、昔のように指導者がガンガン引っ張っていく指導は合わないのかもしれませんね。

城東に赴任する前の高校では、僕も若かったので監督が部の先頭に立って引っ張っていくスタイルをしていました。でも、今の子どもには合わないと気づきましたし、引っ張る方も引っ張られる方もお互い苦しくなると理解しました。だから、今は選手たちの前で声を荒げることはありませんよ。大事なことを伝える時はなるべく1対1で話すようにしています。

――チームは大所帯ですから、集合させてみんなの前で伝える方が効率的な気もしますが?

確かにそうかもしれません。個々との対話は時間もかかりますし、選手一人ひとりの性格などを理解しなければいけませんから。でも、教師ってそれが一番の仕事ではないでしょうか? 子どもたちが自分の足で歩けるようにサポートをする。そして、道の途中で立ち止まったり、横道に逸れてしまいそうな生徒をその子に合った方法で正していく。それが指導者にとって必要なことだと私は思いますね。

子どもの気質を変えるのではなく、子どもの気質に合った指導スタイルを模索する内田監督。ご自身が育ったグラウンドで、子どもたちをつぶさに観察し、愛情をもって今日も接しています。(取材・写真:細川良介)

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