リズムから考えるJ-POP史 第7回:KOHHが雛形を生み出した、“トラップ以降”の譜割り

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2019年07月07日 12:01  リアルサウンド

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KOHH『YELLOW T△PE 1』

 日本語による“うた”をめぐるこの30年でもっとも大きなトピックは、ヒップホップだろう。日本語によるヒップホップの歴史は、1980年代半ばのタイニー・パンクス(高木完、藤原ヒロシ)やいとうせいこう、近田春夫の活動をひとまずの起点と見れば、タームとしてのJ-POPの誕生にいくらか先駆けてスタートしている。


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 以降、日本語によるヒップホップは、1990年代を通じて楽曲単位、ミュージシャン単位でのヒットを重ねていたが、本格的にメインストリーム化しはじめたのは和製R&Bブームと軌を一にした1990年代末だった。


 このブームは大きなうねりを起こし、KICK THE CAN CREWやRIP SLYMEをはじめとしたグループがメジャーデビューを果たすなり続々とヒットチャートの常連入り、ヒップホップは一躍間口を広げることとなった。同時に、ラップという歌唱法がヒップホッププロパーのパフォーマー以外にも浸透しはじめた。


 ことリズムの観点から特筆すべきは、2010年代後半の“トラップ以降”なる現象だろう。“ヒップホップ的”あるいは“ラップ”一般という漠然とした形容ではなく、“トラップ”というヒップホップにおける特定のスタイルが、他ジャンルの批評の語彙に参入してきたのだ。


 重要なのは、この“トラップ以降”が含意するのがヒップホップとしてのオーセンティシティではなく、他ジャンルへも援用可能な抽象的な型だということだ。


■“トラップ以降”とはなにか?
 それでは、“トラップ以降”とはなにか。ハイハットの細かな刻みや低域の強調などさまざまな要素を挙げることができるが、とりわけ“うた”に話をしぼれば、特徴的な譜割りを指すものと言える。八分三連や四分三連のかたちで取り入れられる三連符や、一小節の音節数を削減してリズムを強調するアプローチだ。こうしたアプローチを採用した譜割りを指して、しばしばヒップホップ用語を援用しつつ“トラップ以降のフロウ”と呼ぶことも多い。しかし、“フロウ”の概念は非常に定義しがたく、ほぼ“譜割り”の別の呼び方である場合もあれば、ラップを通じて生み出されるグルーヴ感全体や、ラッパーごとに持つ独自のスタイルを指すこともある。そのため、あえて「言葉をメロディやリズムにあてはめる」という意味に限定した“譜割り”を集中的に使うことを断っておく。


 さて、サウンドや語彙、押韻へのこだわりといった“ヒップホップらしさ”よりも普遍的な、新しいリズムの型として“トラップ以降”はある。その現状を見てみよう。


 ヒット曲の中でこの特徴的な譜割りがみられるものとしては、乃木坂46「帰り道は遠回りしたくなる」のサビ前の一行が挙げられる。この曲ではシンコペーションをいかしたキメのフレーズが冒頭から登場するが(譜例1)、サビ前では三連符の3つ目を休符とした、単語の自然な分節から逸脱したリズミカルな譜割りが登場する(譜例2)。こうした譜割りはMigosを代表とするアメリカのトラップで頻発するものとよく似ていて、インスピレーション源になったことは想像に難くない。


 また、日本国内におけるヒップホップの普及のみならず、ヒップホップの取り入れにもともと貪欲な傾向があったK-POPの日本展開が、日本語の“うた”と“トラップ以降”に大きな影響を与えたことも考えられる。たとえばTWICEの楽曲には必ずといっていいほど三連符の“トラップ以降”的な譜割りが忍ばせてあるし、BTSやEXOといったボーイバンドにおいても同様だ。


 ただし、注意しておきたいことがひとつある。三連符を用いた譜割りが日本語のポップスで皆無であったわけでは決してないということだ。たとえば佐藤良明は『ニッポンのうたはどう変わったか[増補改訂]J-POP進化論』(2019年・平凡社)の中で日本の歌謡文化における三連符の役割について集中的に論じている。その射程は広く、ここで紹介するのは難しいが、多様な事例の中でも石川さゆり「津軽海峡・冬景色」におけるたたみかけるような三連符の使用はきわめてパーカッシブで、日本語における“トラップ以降”のリズム感を広い歴史的射程におく参照点と言ってよいだろう。


 とはいえここであえて“トラップ以降”の特殊さを強調するならば、三連符の譜割りがのるビート自体はスクウェアな8ビートや16ビートであり、ポリリズミックな感覚が上書きされているという点だ。かつ、付点八分や付点四分のつくるグルーヴとの微妙な差異が重要な役割を果たしていることも指摘しておきたい。(図版1)


■オリジネーターとしてのKOHHと彼の捉えづらさ
 このようにヒップホップから他ジャンルへと浸透していった“トラップ以降”の譜割りの雛形をつくったのがKOHHだ。ポップスにおける“トラップ以降”の展開は、あくまでヒップホップがトラップを通じて開拓したリズムの可能性を抽象化したものであって、ヒップホップのなかではより複雑なリズムの実験が繰り広げられている。


 まず、KOHHのスタイルについて簡単にまとめておこう。BPMの遅いトラップビートにのせて、言葉数をつめこまずに平易な語彙でストレートなメッセージを伝える彼のラップは、「思ったことをそのまま歌詞にしているかのような」というキャッチコピーがまさにふさわしい。2012年にリリースした1stミックステープ『YELLOW T△PE 1』ですでにそのスタイルは確立されているが、その後も音節のミニマリズムとでも言うべき言葉を削ぎ落としたラップが徹底されていくことになる。


 巧みな比喩や堅い(音節数の多い)韻といった、日本語ラップの評価軸とは一線を画する彼のスタイルをどのように評価するか。トラップのビートにフィットする日本語のラップを確立し、以降のラッパーに大きな影響を与えたという点でその重要性に異論はないだろう。しかしなぜ彼のラップが一聴した身も蓋もなさに対して、これほど人を惹きつけるのかは言語化しづらい。


 この点について、「実はよく聴いてみると韻もきちんと踏んでいてテクニカル」とか、「実はもともとは日本語ラップの熱心なファンでスタイルも違った」といった形で既存の評価軸へ適応させようという向きもあるが、たとえば佐藤雄一は『ユリイカ』2016年6月号(青土社)収録の論考「なぜ貧しいリリックのKOHHをなんども聴いてしまうのか?」でフレーズの反復が語の意味を際立たせる「模様のようなリリック」という概念を提示して、その疑問に応答している。


■KOHHの独特なリズム把握
 とはいえ実際にKOHHのラップを注意深く聴いていくと、微細なリズムのニュアンスの変化が巧みに用いられていることがわかる。


 2ndアルバム『MONOCHROME』(2014年)収録の「貧乏なんて気にしない」は、日本語の等拍性をベタに活かした平板な譜割りでたたみかけるようにラップしていて、発声の力みで同じリズムの反復にさざなみを立て、言葉を浮き上がらせるさまは、まさに「模様のようなリリック」というにふさわしい。


 一方、彼の初期の代表曲のひとつである「JUNJI TAKADA」(2013年の『YELLOW T△PE 2』収録)では、ややシャッフルした跳ねるリズムをフックに用い、ヴァースではスクウェアなリズムでスピード感を演出する、という構成が見られる。あえて図式的に示せば、フックは2拍目を休符にした三連のノリに近く(譜例3)、ヴァースは打ち込みのグリッドに沿うような8分音符に近い(譜例4)。特に〈先生にShut the fuck up 休み時間は彼女とセックスばっかしてた〉の部分ではスクウェアな16分の譜割りが現れる。どこまで意図的なものかは定かではないが、フックとヴァースでラップがつくりだすリズムに差異があることはたしかだ。


 たとえば、シカゴ発のダンスミュージックとして2010年代に注目を集めたジュークやフットワークはこうした三連符系のノリとスクウェアなグリッド上のノリを往還し、重ね合わせることで、他に類を見ないニュアンスに富んだポリリズミックなビートをダンスフロアにもたらした。


 仮にKOHHの譜割りがつくるリズムのニュアンスへの感覚をジューク/フットワークになぞらえるならば、トラップのビートが潜在的に備えている多層的なグルーヴの構造を敏感に察知し、巧みにラップへ反映されていると言える。


 KOHHの独特なリズム把握は音符単位の差異だけではなく、よりマクロな構造においても発揮されている。その例は2016年の『DIRT II』収録の「Business and Art」に見られる。冒頭の印象的なフックが明けた直後のヴァースでは、8小節をオーソドックスな2小節や4小節といった偶数単位ではなく、3小節+3小節+2小節というイレギュラーなグルーピングで解釈してラップをのせている(図版2)。また、後半(3分02秒頃〜)では、4小節を小節線をまたいだ3拍や4拍のグルーピングで解体していくようなアプローチを聴くことができる(図版3)。


 同様の独特なリズム把握は、宇多田ヒカルが復帰作『Fantôme』(2016年)でKOHHをフィーチャーした「忘却 featuring KOHH」の彼のヴァースでも確認でき、この時期に集中的に取り組んでいたものと考えられる。


 このように、ヒップホップの定型的な反復を複数のレベルではぐらかし、緊張感のある複層的なグルーヴを生み出す点で、KOHHのラップはいわゆる“トラップ以降”の枠内には収まらない。単に「ビートにのせる」のではなく、ビートが提示するリズムに対してカウンターとなるリズムをつむぎ、新しいグルーヴを生み出しているのだ。


■リズムの最前線としてのヒップホップ
 「ビートの提示するリズム」と「ラップのフロウが生み出すカウンターリズム」によってグルーヴを複雑化する傾向が特段新しいものと断じることは必ずしもできない。とはいえ、ゼロ年代の半ばから、BES(SCARS)やSIMI LAB、PSG、KID FRESINOいった面々が続々とリズム解釈の柔軟さを生かしたポリリズミックでプログレッシヴなラップを紡いでいることは指摘できるだろう。


 特にBESやS.L.A.C.K.(表記が転々とするが、現5lack)は与えられたビートに対するカウンターリズムや、グルーヴが崩壊する寸前までタメ、モタらせるスリリングなリズム表現に図抜けたセンスを見せる。KOHHはこうしたフロウのヴィルトゥオーゾの系譜にこそ位置づけるべきだろう。


 “トラップ以降”的な譜割りがポップスなど他ジャンルに浸透しても、ラップが“うた”と“リズム”のカッティングエッジを開拓していく構図は変わらないだろう。かつてなくヒップホップがジャンルのプロパーではないミュージシャン、リスナーから注目を集める今、その果実がメインストリームへと通じていく回路は各段に太いものになっている。


 先述のようにKOHHをフィーチャーした経験もある宇多田ヒカルの仕事はまさにその点で注目するべきもので、『初恋』(2018年)は刮目すべき達成がさまざま含まれている。この作品についてはまた改めて論じることになるだろう。(imdkm)


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