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竹村健一さんの訃報に『ずばりジャーナル』アシスタント・田中美和子「わからない私に根気よくお話下さいました」

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2019年07月12日 15:52  Techinsight Japan

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Techinsight Japan

写真竹村健一さんとラジオ番組で共演したフリーアナウンサーの田中美和子(画像は『田中美和子 2019年3月22日付Twitter「#songofjapan おすましphotoは番組前に(笑)」』のスクリーンショット)
竹村健一さんとラジオ番組で共演したフリーアナウンサーの田中美和子(画像は『田中美和子 2019年3月22日付Twitter「#songofjapan おすましphotoは番組前に(笑)」』のスクリーンショット)
ジャーナリストで評論家の竹村健一さんが7月8日、多臓器不全のため89歳で亡くなった。大阪出身ならではの関西弁による辛口批評が明快で、パイプを手に「だいたいやねぇ」、手帳を見せながら「奥さん、ぼくなんか、これだけ」という話しぶりが人気となり報道番組やバラエティ、CMなどで活躍した。彼が世相や政治経済について解説と持論をトークするラジオ冠番組『竹村健一のずばりジャーナル』(ニッポン放送・ABCラジオ)で4代目アシスタントを務めた田中美和子が、訃報を受けて自身のTwitterで心境をつぶやいている。

『竹村健一のずばりジャーナル』が放送されたのは1976年4月から2006年3月であり、田中美和子は2001年4月から2002年9月までアシスタントを務めた。17年ほど前のことで、彼女が『鶴光の噂のゴールデンアワー』のアシスタントだった頃になる。

竹村健一さんの逝去に「心よりご冥福をお祈り致します」と言葉を送る田中美和子。「ニッポン放送では、番組コーナーのアシスタントを努めさせて頂き、大変お世話になりました」と当時を振り返り、「わからない私に、(ニュース)とても根気よく 噛み砕いた独特の語りでお話下さいました。安らかにお休み下さいませ」と人柄を偲ぶ。

厳しいイメージの竹村さんだが、政治経済のニュースに慣れぬアシスタントにも分かるようにあの口調で教える姿が思い浮かぶ微笑ましいエピソードではないか。

彼女のツイートには、フォロワーから「アシスタントを経験された方達はきっと彼の語りに興味津々であったことと存じます。真面目だけど…お茶目な部分がある、ラジオでしか言えない本音をズバリと斬る…生涯貫いてきた彼流だったかもしれません。謹んでお悔やみ申し上げます」と反響があった。

竹村さんには多くの著書があり、なかでも「生き方」を指南する内容は興味深い。『竹村健一の御意見番参上! これからはモノづくりだけでなくお金を効率良く回して利鞘を稼ぐことも必要』(2005年)や『好きなことをやって、成功する法則。』(2013年/竹村健一・中谷彰宏)などがある。

また、2011年8月23日にタレントの島田紳助氏が緊急記者会見を開き芸能界からの引退を表明した際に、竹村さんが「マスコミが、芸能ネタなりスキャンダル事件を連日連夜、執拗に報道している時は注意しなさい。国民に知られたくないことが必ず裏で起きている。そういう時こそ、新聞の隅から隅まで目を凝らし小さな小さな記事の中から真実を探り出しなさい」と発した言葉が話題となった。

およそ8年前、81歳の竹村さんが本質を突く意見で世相を斬ったことに驚きを覚える。晩年までジャーナリストや評論家として芯のある稀有な人物だった。

画像は『田中美和子 2019年3月22日付Twitter「#songofjapan おすましphotoは番組前に(笑)」』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)

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