現代に巣食う“社会的抑圧”に問題提起 映画3作に見る、ジェンダーロールに囚われた女性たちの姿

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2019年07月13日 10:11  リアルサウンド

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『田園の守り人たち』(c)2017 - Les films du Worso - Rita Productions - KNM - Pathé Production - Orange Studio - France 3 Cinéma - Versus production - RTS Radio Télévision Suisse

■「らしさ」という“檻”に閉じ込められた女たち


 「女の子は女らしく」「男の子は男らしく」と言われて続けて育った私たち。自分でなにかを決めるとき、「自分らしさ」よりも「アラフォーらしく」「妻らしく」といった社会や文化が決めた役割を軸に決めてしまうときがある。こういったジェンダー・ロール(性別役割)の抑圧はある意味、私たちを閉じ込める“檻”のように感じはしないか。


 今年は、男女同権に向けて戦い続ける米最高裁判所判事のルース・ベイダー・ギンズバーグの伝記映画『ビリーブ 未来への大逆転』やドキュメンタリー『RBG 最強の85才』、100年も前に「女性の自由」と「自分らしさ」を求めたフランス人作家コレットの成長物語を綴った『コレット』、「妻の役割」から逃れられず、作家の夫のゴーストライターとなった女性を描いた『天才作家の妻』など、ジェンダー・ロールという檻から脱出しようとした女性を主題にした映画が多い。今回は、ただ今公開中の3作品をジェンダー・ロールの視点から紐解いてみよう。


■“母親”という檻に抑圧された女:『田園の守り人たち』


 『田園の守り人たち』は、1915年、第一世界大戦下のフランスの農村を舞台に、農園を運営する未亡人オルタンス(ナタリー・バイ)、夫が出征中の娘のソランジュ(ローラ・スメット)、若い働き手フランシーヌ(イリス・ブリー)ら3人の女性たちが男性不在の農場を必死に守り続ける人間ドラマだ。


 ナタリー・バイとローラ・スメットの親子共演に加え、本作で俳優デビューしたイリス・ブリーの演技合戦が見事な本作。その上、牧歌的な田園風景に青をアクセントとした映像美は、ゆったりとした時間の流れや秋のそよ風を感じさせるほど心地がよい。


 前作『神々と男たち』(2010年)でカンヌ国際映画祭グランプリを受賞し、本作を監督したグザヴィエ・ボーヴォワに筆者が電話インタビューしたところ、田園風景には画家ジャン=フランソワ・ミレーの「落穂拾い」や「種まく人」、神秘的かつ妖艶なフランシーヌの入浴シーンにはエドガー・ドガの「入浴する女」が念頭にあったとのこと。


 「戦争は男性だけのものではなかった。社会に残された女性たちもまた“戦っていた”ことを伝えたかった。そして、男性不在社会のなかで、女性は創意工夫して男性以上の成果をあげることができたことも、描きたかった」と監督が語ったこの作品は、戦争中に女性たちが農場を機械化することで、男性以上に生産性を高めた点が強調されている。


 さらに、貯金がないと結婚も難しい下層階級の女性、不慮の妊娠で窮地に陥る未婚女性、男性と違い貞節を強いられる既婚女性……20世紀初頭の女性たちが直面した性差別もまざまざと映し出されているが、これらの社会的プレッシャーがいまだに現代にもはびこっていることに観客は気づくだろう。


 劇中、農園主のオルタンスは、孤児であるフランシーヌを可愛がり、社会階層を超えて母娘のような絆を結ぶが、次男のジョルジュが帰省中に彼女と恋に落ちるのにどこかひっかかりを感じてしまう。同じとき、娘のソランジュがアメリカ兵と不倫をしていることが発覚。村で醜聞が広まるのを避けるため、アメリカ兵の噂の相手をフランシーヌに仕立てあげて解雇することで、“母親”としてソランジュとジョルジュを守ろうとするのだ。


 社会的弱者であるフランシーヌを踏みにじってしまう彼女の決断には、本来、平等精神に満ちた誠実なオルタンスの“自分らしさ”が、共同体としての“村”や“母親らしさ”という“檻”に押さえこまれているようにも見えよう。


 やがて、戦場から戻り女たちの改革に目を見張りながらも、再び農場主に収まり、土地を巡って醜い言い争いを始める男たち――。そんな男たちを尻目にオルタンスはこう言い放つ。「以前の姿に戻ったのよ」と。


 「第一次世界大戦と第二次世界大戦、戦争が起こるたびに女性は社会進出を果たしましたが、男性が戻ると女性たちは以前と同じように職場での脇役や家庭へと追い戻されたのです」と言うボーヴォワ監督がこの作品で浮き彫りにした“女たちの戦場”。それは、男性不在社会ではなく、男性優位社会こそが“女たちの戦場”だということかもしれない。


■“結婚”という檻に住む女たち:『ニューヨーク 最高の訳あり物件』


 『ローザ・ルクセンブルグ』(1986年)『ハンナ・アーレント』(2012年)などで社会派ドラマの巨匠として名高いマルガレーテ・フォン・トロッタの最新作は、NYを舞台にしたコメディ『ニューヨーク 最高の訳あり物件』。マンハッタンの超高級アパートメントで暮らすモデルのジェイド(イングリッド・ボルゾ・ベルダル)は夫のニック(ハルク・ビルギナー)から突然離婚を言い渡されてしまう。ジェイドが昔ニックを前妻から略奪したように、今度は若いモデルに彼をとられてしまったのだ。夫に未練のあるジェイドはそれでも気を取り直して、ファッションデザイナーとしてデビューする初のコレクションに集中しようとするが、ニックの前妻のマリア(カッチャ・リーマン)がジェイドのアパートメントに転がり込む。なんとニックは、前回の離婚の慰謝料としてマリアにアパートメントの権利を半分与えるという! 怒り狂うジェイドは、アパートメントを売りそのお金を折半しようとマリアにもちかけるが、彼女は頑として居座り、ジェイドの生活をめちゃくちゃにしてしまう。そのうちに、マリアとニックの娘アントニアと幼い息子まで居候することに……。


 以前から浮気がやめられないニックを許し続けて結婚に留まろうとするジェイドと、夫を奪ったジェイドを困らせるがためにアパートメントから出ていかないマリア。年も性格も正反対の彼女らに共通するもの。それは、“結婚”という檻。


 宗教の権威や共同体の概念が低下し、女性の社会進出が進み、非嫡出子の法的権利が嫡出子と同様に認められている現代のアメリカでは、結婚は社会的な意義を失ってしまったといっても過言ではないだろう。さらに今の長寿社会において、ひとりのパートナーに貞節を誓い、死が分かつまで添い遂げることは非常に難しくなっているのは誰もが認めるのではないかーー。


 それなのに、結婚という檻に囚われたジェイドとマリアは、捨てられた妻というレッテルに抗い、「妻らしく」いることから逃れられないように見える。リッチな年上男性と結婚したトロフィー・ワイフ的な偏見に対抗して自分のビジネスを立ち上げようとするジェイドと、高学歴なのに働いたことがなく無力感を感じるマリアの2人の葛藤を通して、「結婚したら子供をもつのが当たり前」「キャリアのない主婦は怠け者」という現代の価値観に女性ががんじがらめになっているところを、さりげなくコミカルに描写しているところに社会派監督フォン・トロッタの腕が冴える。


 加えて、「子供に父親が必要だと思っているのはアメリカ人だけよ」と笑い飛ばす娘アントニアを登場させている点もおもしろい。ヨーロッパ在住の彼女は、もしかしたら事実婚をしているのかもしれないが、息子の父親とも良好な関係を結んでいることも匂わせる。物語では、“結婚”という檻に閉じ込められていない彼女だけが、住むところも仕事も純粋に“自分らしさ”に添って選択するのだ。物語はあっと驚くような結末を迎える。あたかも現代の結婚制度の行く末を暗示するかのようにーー。


■“身体”という檻に縛られた女の子:『Girl/ガール』
 先進国のなかでも離婚率が高く、事実婚が広がるベルギーではもはや“結婚”という檻に女性も男性も囚われていないのかもしれない。それでも、私たちは皆身体には囚われている。トランスジェンダーの15歳の少女ララ(ビクトール・ポルスター)はバレリーナ志望で国内有数のバレエスクールに編入が認められたばかり。シングルファーザーの父マティアス(アリエ・ワルトアルテ)はララのよき理解者であり、彼女のバレエのために引越しも厭わなかったほど。ララは数年後に性転換手術を受けるためにホルモン治療を続ける毎日だが、治療はなかなか効果を出さない。同級生の女の子たちの身体がどんどん女らしく成熟していくなかで、ララは焦る。しかも、ほかの生徒たちよりバレエで遅れをとっていることから人一倍努力しなければいけない彼女は、徐々に精神のバランスを失っていく……。


 監督は、本作で長編デビューしたルーカス・ドン。この作品で第71回カンヌ国際映画祭カメラドール(新人監督賞)を受賞したベルギーの新鋭監督だ。バレリーナになるために奮闘するトランスジェンダーの少女の記事に感銘を受けた彼が映画化したこの物語は、トランスジェンダーの苦悩を通して、現代に巣食う「女らしさ」や「男らしさ」といったジェンダー・ロールに問題提起しているとも言えよう。


 同時に、自分の身体に違和感を覚え、危険を顧みずに変えようとするララの姿は、近年問題になっている“ボディ・シェイミング”に重ねられる。ありとあらゆるメディアから、非現実的なモデルの体形や美しさが私たちの目に飛び込んで来る毎日。「痩せて美しくいないといけない」という“檻”から解放されれば、女性たちはどれほど幸せになれるだろう――。


 日本では、「靴(くつ)」・「苦痛(くつう)」・「#MeToo(みーとぅ)」をかけあわせたハッシュタグで、女性がパンプスやヒールを職場で強制されることに抗議する「#KuToo」が注目を集めている。イランでは、「#WhiteWendsday」という、女性がヒジャブやスカーフを頭にかぶる法律にプロテストするソーシャル・ムーブメントが広がっており、多くのイラン人女性が毎週水曜日に白いスカーフや洋服を身につけてSNSに投稿している。たかが靴、たかがスカーフだと思うなかれ。女性を閉じ込めている“檻”は世界中にまだまだたくさん存在しているのだ。(文=此花さくや)


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  • マルクス主義者は結婚や家庭を抑圧と搾取の制度だと考え、家族解体を目指す。
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