『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』今再び蘇る理由とは ミュウツーが体現する現代社会の暗部

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2019年07月13日 11:51  リアルサウンド

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(c)Nintendo・Creatures・GAME FREAK・TV Tokyo・ShoPro・JR Kikaku   (c)Pokémon (c)2019 ピカチュウプロジェクト

 “HEY! そこのボーイ!……ポケモンバトル、できるかなァ?”


 およそ21年ぶりに、劇場内に響き渡ったセリフである。現在も放送が続くTVアニメ『ポケットモンスター』(略して『ポケモン』)の、劇場版第1作目である『劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』(1998)。そのリメイク作としてフル3DCG化された『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』は、かつてポケモン少年/少女だった者たちの胸をふたたび高鳴らせるとともに、改めて全世代に大きな問いを投げかける。


【写真】ミュウとミュウツーの対峙


 1990年生まれの筆者も例に漏れず、ポケモンマスターを目指し旅に出て(ゲームボーイに向かい)、熱中し、熱狂し、やがて発狂したひとりである。当時は多くの子どもたちがそうだった(もちろん大人もいただろう)。しかし、気がつけば、いつしかポケモンたちとの旅から私は降りてしまっていた。“ポケモントレーナーとは冒険者である”というのは劇中でも語られる言葉だが、かつては冒険者であったはずなのに、その心をいつしか失くしてしまったのだ。これが人間としての成長に依拠するものなのかは分からない。ただ現在は、あの血が沸き立つほどの日常をサバイブする感覚は稀薄であり、うまい具合に乗りこなしているだけである。それはポケモンたちと離れ、彼らを忘れ、時が経つほどに強まっていく感覚だ。そんな中で公開された本作は、いま一度、あの冒険者の感覚を思い出させてくれるのである。


 映画について文字を綴る職にありながら、とくに幼少期の頃より映画と深い関係にあったわけではない筆者にとって、7歳の頃に観に行った『ミュウツーの逆襲』は、劇場という暗闇の中での原体験のひとつとなっている。当時は映画館での立ち見が許容されており、本作を鑑賞したときには座席横の階段までをも、ポケモントレーナーの卵たちが占拠していたほどだった。主人公・サトシの前に立ちはだかる、最大にして最強の敵であるミュウツーとの激闘を、誰もが目を輝かせて見つめていたのである。その中で、隣席で涙をボロボロとこぼしている母の姿が、いまだに強く印象に残っている。その涙を目にして、幼いながらにようやく心のうちに何か込み上げてくるものがあった。そのようにして、『ポケモン』を通して何かを学んだ方は筆者だけではないだろう。今回のリメイクによって、そんな光景が、あの感情が、まざまざとよみがえってくるのだ。


 かといって本作は、『ポケモン』を通ってきた者など、特定の世代だけが楽しめるというものでもない。前作公開時は、いわゆる世紀末であった。阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件といったものが世間を揺るがせ、誰もが戦々恐々としながら新しい時代の到来を夢見ていただろう。今作 『EVOLUTION』が封切られた2019年以前には、またもいくつものカタストロフィに私たちは見舞われ、つねに社会には暗雲が立ち込めている。人間のエゴイスティックさによって造り出され、映画の冒頭から破壊のかぎりを尽くすミュウツーの存在は、前作以上に社会の暗部を浮かび上がらせるメタファーとしての意味を色濃くまとっているようだ。彼の放つイビツな光は、現代社会の暗部を照射するーーそう思わずにはいられない。こういった点が、たんなる“ポケモン世代のノスタルジーをくすぐる”にとどまることのない作品足らしめているといえるのではないだろうか。


 もちろん、フル3DCG化された魅力も多々ある。今年は、ハリウッドで実写化された『名探偵ピカチュウ』が公開された年でもあるが、実写とはまた違い、アニメーションならではのピカチュウの“リアルな毛並み”を確認できる。これもまた、“ポケモン世代”だからこその感動かもしれないが、通常のアニメ版や『名探偵ピカチュウ』とは異なる愛らしさを得ていると思える。それはピカチュウだけでなく、ヒトカゲ、ゼニガメ、フシギダネといった私たちのかつての相棒も立体感を得て、活き活きとした姿で楽しませてくれるだろう。さらには、海の水面の揺れや陽光の輝き、そして本作でもっとも重要なエレメントである「涙」のきらめきが、観る者すべてを冒険へと連れ立ってくれるはずである。


 さて、当時のポケモン少年/少女たちは大人になり、ある者は大切な誰かと出会い、ある者は人の子の親になり、またある者は筆者のようにのらりくらりと……みながこの「時代」をつくり上げている。どうにか、手と手を取り合って、歩んではいけないものだろうか。エンディングテーマは、前作と同様に「風といっしょに」である。21年前と同じく小林幸子のこぶしの効いた歌声に、今回は中川翔子の芯のある朗らかな声が重なる。彼女たちの奏でるハーモニーとともに、そして歌詞にあるように、“また歩きだそう”、そう涙ながらに強く思える余韻を、本作は多くの者に与えるにちがいない。


(折田侑駿)


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  • 「いっそのこと、生まれてこなかった方が楽だったんじゃないか」と思いたくなることも多い人生。「なぜ私を生んだのだ?」というミュウツーの訴えが深い。
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