“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)
そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考える当シリーズ……なのだが、ヨロヨロがなく、突然ドタリという人もいる。その代表的な疾患が脳卒中だ。昔なら「ピンピンコロリ」で、ある意味うらやましがられたものだ。先日、くも膜下出血で倒れ、間もなく亡くなったジャニーさんもその一人だろう。しかし今、脳卒中で「ピンピンコロリ」というのはもはや少数だ。ドタリと倒れてから長い介護生活がはじまるのだ。
「お父さんが死にそうだからすぐに来て」と言う義母
藤本千恵子さん(仮名・58)は、この10年余り介護を続けている。始まりは、すぐ近所に住んでいた義母のヨシエさんからだった。たくさんの「おかしいな」が重なった。
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この頃、夫の公男さん(63)は仕事帰りにヨシエさんが一人で暮らす実家に一旦立ち寄り、戸締りをして自宅に帰る。朝も実家に寄ってから出勤するというのが日課だった。
「その日、夫が夜9時頃に実家に寄ると、お風呂が沸かしっぱなしで、室内に水蒸気が立ち込めていたそうです。義母は気づかずにぐっすり寝ていて、夫が実家に寄っていなかったら、間違いなく火事になっていたでしょう」
ほかにも、お金の管理ができなくなって、藤本さんに「1万円貸して」とたびたび言ってきたり、家事が億劫になってきたヨシエさんのために弁当のデリバリーを注文したが「受け取っていない」と言ったりと、ただの物忘れとは思えない言動が増えていった。
「決定的だったのは、夜中に電話がかかってきて『お父さんが死にそうだからすぐ来て』と言うんです。『お父さんは、もうとっくに亡くなっていますよ』と言っても、『ベッドで死にそうになっている』と言い張るので、夫と駆け付けました。すると家中に灯りがついて、玄関で義母が『早く来て!』と呼んでいるんです。もう間違いなく認知症だと確信しました」
病院に行きたくないと言っていたヨシエさんを、なんとか連れて行った。病院では、公男さんのことを「弟」と呼んでいたという。診断結果はアルツハイマー型認知症だった。その後室内で転倒、骨折し、要介護2に認定された。
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ヨシエさんの介護は、訪問介護とデイサービスを利用することで比較的スムーズに進んだ。週2〜3回はデイサービスに行き、それ以外の日はヘルパーが入った。
「もともと義母は面倒見が良くて、さっぱりした性格。大正生まれの気丈な人でした。それが人の世話を受けるというのは、嫌だったんでしょう。最初はデイサービスにも行きたくないと言っていましたが、行ってみると結構気に入って、楽しく通うようになりました。私はパート勤めをしていたので、朝、義母の身支度を手伝い、デイサービスの準備をしてから出勤し、パートから帰ると、デイサービスから戻った義母の晩ご飯をつくる。義母が食べ終わって、片付けてから自宅に戻るという毎日でした」
そうして3年ほどたった。ヨシエさんの足腰が弱くなってきたと感じていたある日、いつものように実家に寄って出勤しようとした公男さんが倒れた。脳出血だった。
「高血圧だったのに、何かと理由をつけて薬も飲んでいなかったので、いつか倒れるんじゃないかとヒヤヒヤしていました。運悪く、倒れたのは義母がデイサービスに行ったあと。義母がデイサービスから帰って、送ってきたスタッフに発見されるまで7時間くらい放置されることになりました。パート先に電話が来て、『義母に何かあったのかな』と思って出たら、義母ではなくて夫だったんです」
意識がもうろうとしていた公男さんは、手術を受けた。
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「手術後はずっと眠った状態だったので、10日ほどたって目を開けて言葉を発したときには、娘たちと思わず歓声を上げました」
こうして、千恵子さんにとってはダブル介護が、公男さんにとっては過酷なリハビリがはじまったのだ。
――次回(7月28日更新)に続く
坂口鈴香(さかぐち・すずか)
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終末ライター”。訪問した施設は100か所以上。 20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、 人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。
■【老いゆく親と向き合う】シリーズ
・介護施設は虐待が心配――生活が破綻寸前でも母を手放せない娘
・父は被害者なのに――老人ホーム、認知症の入居者とのトラブル
・父の遺産は1円ももらっていないのに――仲睦まじい姉妹の本音
・明るく聡明な母で尊敬していたが――「せん妄」で知った母の本心
・認知症の母は壊れてなんかいない。本質があらわになっただけ