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まさかの名将退任→元プロ監督就任。如水館は最悪の雰囲気から甦った

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2019年07月17日 07:11  webスポルティーバ

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「ここに来た時は、正直、いい雰囲気とは言えなかったですね(苦笑)。仕方ない、当然のことだとは思いますが……」

 今年4月から如水館(広島)を率いる大久保学は、就任当初のチームの雰囲気をこう振り返る。

 昨年10月、如水館野球部全体を揺るがせる出来事があった。1993年、前身の三原工時代からチームを率いてきた名将・迫田穆成(さこた・よしあき)監督が3月末で退任すると発表されたのだ。迫田監督の教え子でもあるコーチがチームを引き継ぐことも同時に発表されたが、諸般の事情でその人事も白紙に。後任探しが難航するなか、次期監督として浮上したのが、オイスカ高校(静岡)の監督を務めていた大久保だった。

 高校時代は静岡高校のエースとして1982年夏の甲子園に出場した。同年秋のドラフトで南海から指名を受け、入団。引退後は、南海の後継のダイエーでスコアラーを務めた。95年に退団した後、2014年に母校・静岡の投手コーチに就任するまでの間を過ごしていたのが、夫人の地元でもある広島だった。大久保が言う。

「縁があって、2014年から母校の投手コーチをすることになり、静岡に戻ることになりました。その時にうっすらと『いずれは広島で指導者になれたら』とも考えていました。その話を覚えてくださっていた知人から『指導者の話があるがどうか』と打診を受けたのが、今回のお話だったんです」

 かねてから大久保と親交のあった橋本慎吾(社会人野球・福山ローズファイターズ代表)と、如水館の同窓会長が旧知の仲であったことから、大久保に白羽の矢が立った。自身が抱いていた希望に沿う話ではあったが、高校野球界屈指の名将とも呼ばれる前指揮官からチームを引き継ぐ重圧もあり、ふたつ返事とはいかなかった。

「4月の発表まで外部に漏らしてはいけない話だったので、家族にしか相談できない状況でした。話をいただいてから返事をするまでの期間も長くはなかったので、早く答えをださないといけない。悩みましたね」

 決断を迫られた大久保の脳裏をよぎったのが、現役時代から大切にしている座右の銘だった。

「昔から『人生、迷った時はGOだ!』と思っています。母校のコーチからオイスカの監督に転身する際も、そう思って決めました。なので、同じく今回も迷うならば、話を受けるべきだと決断したんです」

 最終的には自身の直感を信じてオファーを受諾。ただ、オイスカの教え子たちが気がかりでもあった。

「続けていれば、この春から4年目。自分が声をかけて、入学してくれた選手たちが3年になるタイミングでもありました。一緒に過ごしてきた選手たちとの別れは心苦しかったですね」

 静岡のコーチとして甲子園に出場した際に、試合後のインタビュールームで磯部修三(元・浜松商監督など)と出会ったことがきっかけとなって実現したのが、当時創部まもないオイスカの監督就任だった。

 周囲からは「新興校の監督は天国と地獄かはっきり分かれる。やめておいたほうがいい」と反対されながらも受諾。想像以上に苦しくも、選手たちと一歩一歩進んでいく日々は充実していた。

「オイスカに行って、最初の頃は毎日が衝撃的でしたね。練習の時、野球用のストッキングを履いてこない選手がいて、『ストッキングはケガ防止のためにも絶対履かないとダメ。なんで履かないの?』と話しても、次の日また履いてこなかったり(笑)。それでも、こちらが手をかけた分だけ選手たちも成長してくれる。やりがいは大きかったですね」

 3月26日に行なわれた、春の静岡大会西部地区大会が最後の采配となった。試合後、オイスカを退任し、広島で指導者になることを選手たちに告げた。

「試合後、『じつはオレが指導するのは、今日が最後なんだ』と球場で選手たちに伝えました。4月の報道で発表されるまで、如水館に行くことは話せないので、『広島で指導者になる』とだけ付け加えました。その時、涙を流す選手もいましたが、自分が厳しく接してきた子ほど、激しく泣いている。『そういうものなんだな』と思うと同時に、うれしくもありました」

 保護者からは夏の大会の応援用に作っていたTシャツを手渡された。自身の名前である「学」の文字が選手たちの名前で囲まれた特注のデザイン。万感の思いでオイスカを去り、3月31日に広島へと入った。

 大久保が広島へと向かっているころ、如水館グラウンドにも”涙雨”が降り注いでいた。

 前日30日に迫田前監督体制での公式戦を戦い終えた。指導最終日である31日は、県内の公立校との練習試合が行なわれた。

「練習試合の終わりが近づくにつれて、どんどん泣いている選手が増えていきました。最終回は全員泣いていたと思います」

 如水館の主将で正捕手の山下尚(なお)が当時を回想する。山下の言う「全員」には、当然、自分自身も含まれている。山下も迫田前監督の野球に憧れて如水館の門を叩いたひとりだった。

「中学3年の夏、マツダスタジアムで如水館と広島新庄の決勝を観戦しました。その時の迫田監督の野球がすごく印象に残っています。次から次へとベンチの選手が試合に出てきて、しかも結果を残す。自分が今まで見たことのない野球でした」

 磨き抜かれた洞察力で選手の力を見抜き、”適材適所”に配置していく。ひとつの作品のように試合を紡いでいく名伯楽の姿に、一発で虜になった。

 そして翌春、如水館に入学。1年夏から公式戦に出場し、100回大会の昨夏も正捕手を任された。当時レギュラーの半数以上が自身と同じ2年生。「101回目の夏」が勝負であることは明らかだった。

 その勝負の世代が最高学年となった昨秋は、県大会3回戦で敗退。山下たちにとってラストチャンスである夏に向けて気持ちを新たにした状況で発表されたのが、迫田前監督の退任だった。山下が振り返る。

「自分たちが退任を知ったのも、(退任の報道が掲載された)新聞とほぼ同じ時期でした。『えっ?本当に?』と最初は信じられなかったです」

 この知らせの余波は大きく、下級生時代からバッテリーを組んでいたエース左腕から野球部を退部、学校も辞めるつもりだと告げられた。

「『野球部も学校も辞める』と言われた時、全力で止めました。まだ、甲子園のチャンスは残っているんだから、それを一緒に目指そうとも言いました。それでも、『オレが如水館に来たのは迫田監督と野球をするためだ』と言われて……」

 名将の野球に魅了されたのは自分も同じ。その気持ちが痛いほどわかるからこそ、説得は無理だと悟った。

 迫田前監督が退任する3月末まで、熱のこもった練習が続いた。今までと変わらない日々が続いたことで、余計に指揮官との別れが非現実にも感じられた。

 4月1日。如水館の選手たちに大久保と新たに就任するコーチたち指導者陣が発表された。就任当日は練習試合が組まれており、大久保はバックネット裏の監督室から戦況を見守った。当日の心境を大久保が振り返る。

「覚えているのは、『よく打つチームだなあ』と思ったこと。就任からしばらくは1日がめちゃくちゃ長く感じましたね。オイスカのときの倍ぐらいの長さじゃないかって」

 こうして新体制がスタートしたが、監督交代への憤りから練習に参加しない選手が現れるなど、チームはバラバラだった。

 厳しい現実を突きつけられた大久保だったが、選手たちの気持ちに”共感”もしていた。大久保が言う。

「私が高校3年の時も、監督交代がありました。最後の夏を前に、恩師と別れるつらさは自分も経験しています。それに如水館の選手たちの場合は、公立校の人事異動と違って、予期せぬ形で別れなければならなくなった。その悲しみは相当なものだと思いました」

 悲しみが想像できたが、選手たちを尊重するからこそ、安易に同調することはしなかった。気持ちに整理がつくタイミングを待つことにしたが、刻一刻と春季大会の開幕も近づいている。就任から約2週間が経過したころ、主将の山下と2人の副主将を監督室に呼び、話し合いを行なった。大久保が振り返る。

「簡単にではありますが、自分が如水館に来た経緯を山下たちに話しました。私自身が決めたことではありますが、自分も教え子たちを静岡に残して広島に来た。お互い思うところ、悲しみを抱えている。まずは一緒に甲子園を目指して戦おうと伝えました」

 今ひとつチームがまとまらない状況に加えて、”クジ運”にも恵まれなかった。春季大会の初戦(2回戦)で広陵、初戦突破直後の3回戦で広島新庄と対戦する可能性が高いブロックに入ったのだ。大久保が「伝えられたとき、ギャグかと思った」と振り返る、”死のブロック”が、結果的にチームを好転させた。大久保が言う。

「『広陵、広島新庄に勝つなら5−3のスコア、このチームにはそれができる力がある』と伝えました。分析と言ったら大げさですが、練習試合の戦いを見て、強豪相手にも5点を取る力、継投で3失点にまとめるだけの力はあると感じたんです」

 大久保の予想は的中した。広陵戦、広島新庄戦とも5−3でクロスゲームを競り勝った。広陵戦の試合終了直後、ベンチの片づけで待機していた控え部員が「すげえ。本当に5−3だ……」とつぶやくなど、大久保の”予言”が選手たちを惹きつけた。山下は言う。

「大会前は正直、チームはまとまりきっていませんでした。それでも『とにかくやるしかない』と大会に入って、大久保監督が言った通りのスコアで広陵と新庄に勝てた。すごく自信になりましたし、大会のなかでチームがまとまってきた気がしました」

 春季県大会は準優勝。続いて出場した中国大会でも1勝を挙げた。大久保の就任から約3カ月、一歩一歩チームは新たな結束を生んでいる。夏を前に、大久保は選手たちにある言葉を授けたという。

「『思考は具現化する』という言葉を選手たちに送りました。高校時代、甲子園をイメージし続けたら、実際に出場することができた。この春も『5−3で勝つ』と言い続けたことで、実際にそのスコアで勝てた。最後は選手たちが『甲子園に行く、甲子園で勝つ』とイメージできたら、この夏も……と思っています」

 そして、こう続けた。

「このチームは本当に力があります。毎日、山下を見ていて、彼が甲子園でマスクを被る姿が頭に浮かび上がってくるんです。リリーフ投手の橘高(隼)の速球に観客が湧いたり、中軸でレフトの箱崎(蓮)の意外な俊足に『えっ、速いじゃん!』と驚いたりね(笑)。それが鮮明に浮かぶ、そう思わせてくれる実力があるんです」

「勝負の世代」と言われた山下たちにとっての最後の夏、そして大久保が広島で戦う初めての夏。新指揮官のイメージを現実のものにする戦いが、いよいよ始まる。

(文中敬称略)

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