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履正社の背番号1清水大成「高校、大学を見据えて練習した中学時代」

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2019年07月19日 17:10  ベースボールキング

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ベースボールキング

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中学時代の厳しい練習で鍛えられた心身
憧れは2年前のエースで同じ左腕の寺島成輝(現ヤクルト)。中学時代、甲子園で投げている寺島の動画を何度も見返してきた。「マウンドに立っている時のオーラがすごかった。自分もあんな風に堂々と投げられる投手になりたいと思っていました」。
この秋、その寺島と同じ履正社のエース番号を背負い、近畿大会の初戦・南部戦で最速145キロを計測した。今では近畿圏の好左腕として名を挙げられるまでになったが、ここまでの道のりは決して平坦なものではなかった。

出身は兵庫県丹波市。中学時代はヤングリーグの篠山ベースボールネットワークでプレーしたが、投手として目立った成績を残していた訳ではない。2年時は投手と一塁手を兼任。3年になってから本格的に投手になった。
「中学の時のチームは中学時代に花を咲かせるというより、高校、大学を見据えて厳しい練習するスタイルだったんです。夏休みでも走るメニューとか多くて、ボール回し、ノックと基礎的なメニューをただひたすらこなす感じでした。ハードといえばハードでしたが、あの時に厳しい練習をずっと続けられたことで、心身鍛えられたところはあります」。
大阪桐蔭の”ドライチ”2人といきなり対戦
履正社に入学した当時は、ちょうどチームがセンバツ準優勝した直後。「この前までプレーをテレビで見ていた先輩方がグラウンドにいて、自分はこの中でやっていけるのか不安でした」。
それでも入学直後の5月には実戦デビュー。夏に背番号18でベンチ入りし、2回戦の守口東戦で公式戦初登板も果たした。1年秋は公式戦初登板の試合が準決勝の大阪桐蔭戦。先発投手として藤原恭大(ロッテ1位指名)や根尾昂(中日1位指名)といきなり相対することになった。
「あの時はいつバテてもいいと思うくらい、最初から全力で投げていました。あの大阪桐蔭さんに投げられるのだから、チャレンジャー精神でいくしかないと思って。1番がいきなり藤原さんで、どこに投げても打たれそうでした。実際に打球は速かったですし、打たれた時の場面が今でも3Dでよみがえってくるほどです(笑)」。

それでも気持ちだけは前に向け続けた。初回に1点は失ったものの、変化球を低めに集め二死満塁のピンチで藤原をスライダーで三振に斬って取った。敗れはしたものの、あのマウンドを自信にしていくはずだった。だが、そこから思うような歩みを進めることができなくなった。2年春、チームは4回戦の興国戦は0−4の完封負けをしたが、先発マウンドに立ったのは清水だった。バント処理をミスしてピンチを広げ、適時打を許してしまった試合。敗因は「ピンチで粘れなかったこと」と清水は言うが、それ以上に抱えていた課題がくっきりと浮かび上がる。
「自分は今まで立ち上がりからずっと抑えていても突然崩れてしまうことが多かったんです。1年の秋まではそれでも何とか踏ん張れていたのですが、今年の春からその悪い部分が目立つようになりました。この春以降、自分のせいで負ける試合が何度もあって…。それでも勝ちたいという気持ちだけが先走ってしまっていました」。今夏の北大阪大会の初戦の摂津戦では先発し、6回まで無失点だったが7回に3点を失って降板。激戦となった準決勝の大阪桐蔭戦では2番手でマウンドに立ったが、一死も取れず0/2回のみ投げてマウンドを降りた。実は今夏、フォームを見失い投げることすらままならなかったのだ。

「夏はストライクを取るのがやっとという感じでした。それでも大阪桐蔭戦はいつでもいける準備をしていて、ピンチでの登板だったのに何もできないままでした。自分がもっと長いイニングを投げていたら、(3番手に投げた)位田さんが最後の9回だけを投げて(先発し、9回に再登板した)浜内さんに負担がかからなかった。あの試合も自分のせいで負けたようなものです。技術はもちろん、自分の持ち味である向かっていく姿勢が薄れていたというか。結果を気にしすぎて、ピンチになると反対に弱気になってしまっていました」。

気がつけば、入学前に先輩たちが当たり前のように立ってきた甲子園に1度も縁がないまま新チームを迎えた。

「自分たちの代から甲子園を知らない世代。このままで終わりたくない」。
社会人野球への武者修行で新たな発見
もどかしさを抱える中、夏休みに社会人チームのJR東海に武者修行に行く機会があった。そこでJR東海の指導者からフォームを見直してもらうと新たな発見があった。「ステップ位置をホームに向けてまっすぐにしたら、体重移動がスムーズになったんです。リリースポイントも前に出てくるようになって、ボールが出やすくなりました」。

カットボールを覚えたことで、ピッチングの幅も広がった。
「この秋は140キロくらい出ればいいかなと思っていたのでビックリでした」。福知山成美戦はストレート、カットボールのコンビネーションが絶妙で、何より近畿大会の初戦、準々決勝の2試合とも無四球で投げ切ったことが収穫だった。自分の代になって自分が引っ張らないといけないという責任感も増し、自信を持ってマウンドに立つ姿が印象的だった。

だが、最後に残した“爪痕”が清水の気持ちを奮い立たせる。「相手のイケイケモードの中で自分のピッチングができなかった」と振り返る近畿大会の準決勝の龍谷大平安戦。4点ビハインドの4回から登板したものの、5回に四球の走者を置いて2ランを浴び、7回には押し出し四球でコールド敗退という屈辱を味わった。

「1番を背負わせてもらっている以上は、自分のちょっとしたスキが試合を左右してしまうことも学びま
した。あの時は本当に悔しかったです。この秋に負けて良かったという言い方はおかしいかもしれませんが、あの負けを発奮材料にしていかないといけないです」。

憧れの左腕の背中はまだずっと先にある。でも、苦しみの中を走り続けてきた高校野球の中に少しだけ光は差してきた。回り道をしてきた訳ではないが、これまでの苦労は決して無駄にしないつもりでいる。
「この冬はストレートをもっと磨いて、全体の球質も見直していきたいです。不利なカウントでも簡単にフォアボールを出さないとか、どんな状況でも自分のピッチングができるようにしたいです」。
目標は誰にでも認められるエース。大先輩のように、大きな存在感を示すことができる左腕に—。そのために長い冬を乗り切る覚悟はもうできている。(取材・写真:沢井史)

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