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仲間が次々にリストラ、上層部へ反発して退職 世田谷のラーメン店「百麺」の知られざる決断

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2019年07月21日 12:00  AERA dot.

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写真金色不如帰」の真鯛と蛤の塩そばは一杯900円(筆者撮影)
金色不如帰」の真鯛と蛤の塩そばは一杯900円(筆者撮影)
 日本に数多くあるラーメン店の中でも、屈指の名店と呼ばれる店がある。そんな名店と、名店店主が愛する一杯を紹介するこの連載。蛤を使ったオンリーワンなラーメンでミシュランガイドの星を獲得した店主が愛する一杯は、一度袂を分かったはずのお店を立て直した、真っすぐすぎる男のラーメンだった。

【写真】これが大人気の”家系風”だ! 厚みのある豚骨スープが人気「百麺」のラーメン(全8枚)

■ミシュラン一つ星のラーメン店主が「海外」にこだわる理由

 東京都内の厳選されたレストラン・飲食店を紹介する「ミシュランガイド東京」。2014年発行の「ミシュランガイド東京2015」にラーメン部門が設立され、現在3つのお店が一つ星を獲得している。

 昨年初めて一つ星を獲得したお店が、新宿御苑前駅近くにある「SOBAHOUSE 金色不如帰(こんじきほととぎす)」 である。

 蛤をメインに使い、3つの寸胴で別々に炊いたスープを丼で合わせたトリプルスープが特徴だ。3種類の“味変ソース”をスープに溶くと、複雑な旨味が押し寄せる。ラーメンファンだけでなく食通をも唸らせる一杯は、文句なしの一つ星に選ばれた。06年にオープンしてから13年越しの快挙だった。

 店主の 山本敦之さん(45)は、もともとミシュランの星獲得を目指して、ラーメンの道を突き進んできた。念願の一つ星を獲得したことで、海外から出店依頼も殺到。今年に入ってからは、シンガポール空港最大のショッピングモール「ジュエル」内にシンガポール4号店を出店。6月には、カナダのトロントに2号店をオープンした。日本・カナダ・シンガポール合わせて7店舗を経営。そのうち日本店は一軒だけと、今やグローバルなラーメン職人だ。今後も日本はもちろんのこと、海外でも常にクオリティーの高いラーメンを提供できるよう努力していくつもりだ。

 山本さんは海外の食材を使いながらも、日本に負けない美味しいラーメンを仕上げることにチャレンジしている。

「日本と同じ味を持っていっても、上手くはいきません。現地の人たちの味覚を理解し、それに合わせた味づくりをすることが求められます」(山本さん)

 ラーメンだけではなく、日ごろ現地で食べられている料理を食べ、その国で「美味しい」と思われているツボを掴んでいく。「金色不如帰」のラーメンの絵柄を壊さずに、どう中身を現地に合わせていくかが腕の見せ所だ。

 山本さんが海外にこれほどこだわるのは、ラーメンの世界的な可能性を追求していきたいからだ。06年にお店をオープンして以来、とにかくラーメンというジャンルの中で、何かの第一人者になりたいと思って革新的な取り組みを行ってきた。

 自分が海外でできることを考えたときに見えた答えが、「清湯(ちんたん)を世界に根付かせる」ことだった。海外では、あっさりとした清湯よりも、豚骨や鶏のこってりした白湯(ぱいたん)系のスープが主流だ。「金色不如帰」のラーメンは清湯でありながらも、奥行きと深みのあるスープが自慢だ。これを根付かせることができれば世界のラーメンが変わる。そう考えたのだ。

「日本ってすげえな! と海外のお客さんを驚かせたいんです。各国の味覚に合った味づくりをすれば、どの国でもラーメンを出せると思っています。まだまだトライしていきます」(山本さん)

 食材は海外の方が豊富だ。「安い食材でも、技術を加えれば美味しくできる可能性は十分にある」と山本さんは語る。ミシュラン一つ星職人のさらなる飛躍に期待したい。

 そんな山本さんの愛する一杯は、紆余曲折の歴史を経て、いまだラーメンファンや常連客に愛されている東京の老舗店が作る豚骨醤油ラーメンだ。

■リストラに反発 独立した店主が持ち続けた「古巣への愛」

 世田谷の馬事公苑近くに1995年にオープンした「極楽汁麺 百麺(ぱいめん)」というお店がある。いまや各地で人気の横浜家系風の豚骨醤油ラーメンをいち早く東京に広めたお店として有名で、世田谷店のほかに、中目黒店、中山道店(板橋区)と3店舗を展開している。横浜家系ラーメン好きの経営者が立ち上げ、58種類の麺と33種類のスープを試し、100種類以上の試作を重ねて一杯のラーメンを生み出したことから、「百麺」と名付けられた。

 都内に初めて横浜家系ラーメンを持ってきたお店と語られることもあるが、家系ラーメン店での修行経験はなく、ある種ガラパゴス的に進化を遂げている。もちろん「家系」とも謳っていない。だから、“家系風”なのだ。

 麺が太麺・細麺から選べることや、ラフティー(角煮)をラーメンに取り入れたのも斬新だった。何より、4本の寸胴で一日中炊いている厚みのある豚骨スープが人気で、開店から24年経つ今でも連日多くのお客さんが訪れている。

 この「百麺」に97年にアルバイトとして入った宮田朋幸さん(49)という男性がいる。地元・茨城からバンドマンを目指して上京し、ハウスクリーニングやバイク便のアルバイトで生活費を稼ぐ日々。遠征先や仕事先で決まって食べていたのがラーメンだった。知人から「百麺」を紹介され、27歳でこの店に流れ着いた。その後社員になり、板橋(中山道店)や中目黒の新店の立ち上げにも携わる。中毒性のある「百麺」のラーメンには多くのファンがつき、売り上げは上々だった。

 しかし、2002年頃に会社の方針が変わり、人員整理が行われたことで、宮田さんの人生は大きく動き始める。

 5年近く働いていた宮田さんはリストラ候補には上がらなかったが、次々と仲間が肩を叩かれるのを見て、黙っていることができなかった。上層部に反発した宮田さんも、「百麺」を退職することを余儀なくされる。

 退職して1年間はバンド活動に明け暮れていたが、なかなか芽が出ない。本格的に働かなければ食べていけない状態になったこともあり、自分にできることを考えたとき、頭に浮かんだのはラーメンしかなかった。

 独立して、古巣の「百麺」をあっと言わせるお店を作りたいと決意したが、資金がないため店を出すことができない。まずはスポンサーが必要だと、ラーメン店の社長をしている知人に相談した。すると、出店予定の新店を任せてもらえることになった。杉並区の八幡山に見つけた物件で、「自由にやってみなさい」と背中を押された。だが、事はうまく運ばなかった。

「社長から、急きょ『お金が用意できなくなってしまった』と言われたんです。でも、もう後戻りはできなかった。両親が老後のために残していたお金を援助してもらい、何とか契約にこぎつけました」(宮田さん)

 こうして04年2月、宮田さんのお店「誠屋」がようやくオープンした。

 従業員は、「百麺」時代の仲間を含めた3人。それ以外にも、「百麺」の従業員たちが代わる代わる応援に来てくれた。常時3人いないと回らない状態だったため、「百麺」のスタッフたちに支えられたが、後で聞いたら、それぞれの休みの日に手伝いに来てくれていたのだという。

「本当にありがたかったです。『百麺』を見返してやろうという気で開店したのに、こちらが助けられてしまいましたね。泣くほどうれしかったです」(宮田さん)

 スープは「百麺」のものをさらに改良した濃厚な豚骨醤油。売り上げは快調で、従業員も増えた。05年には大森店、06年には高円寺店(現在は閉店)、10年には池尻店もオープンした。「誠屋」のラーメンは豚骨スープを大量に炊くため損益分岐が高くなるが、店を増やして安定した数を出すことで売り上げも整ってきたという。

 店がうまくいく一方で、宮田さんには気がかりなこともあった。古巣である「百麺」の存在だ。たまに様子を見に行っては「百麺」のラーメンを食べていたが、どうもかつてのような活気がない。

「味にしても活気にしても、衰退していく空気感が漂っていたんです。良い店でお客さんもいるはずなのに、もったいない。いてもたってもいられず、社長に『世田谷の本店を俺に譲ってくれないか』とお願いしました」(宮田さん)

 このままでは先は長くないと「百麺」も悟っていたのか、世田谷本店の譲渡の話が少しずつ進み始める。すると、今度は創業者である会長から、中山道店と中目黒店も含めてすべて譲りたいという話が来る。この2店は赤字状態が続いていたが、どちらも宮田さんが立ち上げから関わってきたお店だった。先はまったく見えなかったが、思い入れも強く、自らの手で立て直そうと決心する。こうして07年8月、宮田さんは「百麺」を譲り受けた。

「誠屋」での成功事例を横展開しながら、お店を立て直していく。店に泊まりこみでスープも徹底的に修正していった。売り上げも少しずつ安定し始め、「百麺」は復活を遂げた。数多くのラーメン店を見てきたが、このような歴史を遂げたお店は大変珍しい。宮田さんの古巣への愛がなければ、今ごろどうなっていただろうか。

「金色不如帰」の山本さんは、宮田さんをラーメン職人として高く評価している。

「家系が流行るずいぶん前からトレンドを察知していたのは、さすがの一言です。かなりの老舗ですが、今だに根強いファンが多く、他の豚骨醤油とは一線を画す味の構成には貫禄を感じます。宮田さんはアルバイトから社員になり、一度離れて独立してから古巣を譲り受けた。すごい歴史ですよね。誇りを持ってラーメンを作る宮田さんの、大きな人間性が詰まった一杯になっていると思います」(山本さん)

 宮田さんは山本さんのことを「孤高の職人」と評する。

「こいつがミシュランを獲らなくて誰が獲るんだ、と思っていました。自分なりの理屈や筋をしっかり持っていて、ちゃんと答えを出す。食材への追求や味のこだわりはまったく敵う気がしません。すごい人です」(宮田さん)

 ラーメン店主としての二人の歴史を追ってみると、店主にもいろんな形があることが見て取れる。しかし、おおもとにある思いは旨いラーメンを作ること。それぞれの方向で日本のラーメンを盛り上げていってくれるに違いない。(ラーメンライター・井手隊長)

○井手隊長(いでたいちょう)/大学3年生からラーメンの食べ歩きを始めて18年。当時からノートに感想を書きため、現在はブログやSNS、ネット番組で情報を発信。イベントMCやコンテストの審査員、コメンテーターとしてメディアにも出演する。AERAオンラインで「ラーメン名店クロニクル」を連載中。

※AERAオンライン限定記事

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