“天気の子”と“転機の子”が出会うーー『天気の子』に描かれる自分たちだけの「セカイ」

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2019年07月27日 10:02  リアルサウンド

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(c)2019「天気の子」製作委員会

 『君の名は。』の公開から早3年。新海誠監督が巻き起こした社会現象は、いまだに続いている。その余韻があちこちに感じられるなか封切られた最新作『天気の子』は、前作と同様に東京の街を写実的に描き出しているが、そこで起こることがいくら非現実的なものであろうとも、アニメーションだからこそ実現できる大胆さで、私たちの生きる世界にも奇跡はあるのだと教えてくれる。


 今年は梅雨が長い……映画が終わったら、聖地巡礼に行こう。いざ、歌舞伎町へ! そんな、ユルくて軽い心持ちのまま、劇場ソファに腰かけ観はじめた『天気の子』。未成年の少年少女が徘徊するには、歌舞伎町とはちょっとばかり危険なもので、映像から見て取れるように、ひじょうに猥雑な雰囲気だ。そんな欲望うずまくくすんだ世界で出会い、大きな世界のくすみに一筋の光を与えるのが、少年少女の倒錯的とさえ思える強い想いなのである。


【写真】帆高と陽菜


 離島から家出をしてきた16歳の少年・帆高は、東京・歌舞伎町へとたどり着き、そこで生活をはじめる。しかし生活とはいえ、まともな暮らしとはとうてい言えないものだ。ネットカフェで孤独な眠りを手に入れるのがやっとである。自らの“大きな選択”には、それなりに大きな責任がともなう。彼が自由と引き換えに手にしたのは、圧倒的な孤独感だったのだ。それを助長するかのように、東京では連日雨が降りつづける。そんなある日、少年はとある力を秘めたひとりの少女と出会うのだ。


 16歳で家を飛び出し、単身上京。それも真っ先に向かったのが歌舞伎町とは、あまりに無知で無謀だとしか言いようがない。しかし同時に勇敢でもある。なぜ彼が故郷を飛び出すという選択を取ったのか、その明確な理由は劇中で語られることはないが、思春期の少年の心とは、そもそも不可解そのものだ。自分自身の半生を振り返ったときに、“なぜ、あのような行動に出たのか?”という疑問は、誰しも限りなく胸に秘めているものではないだろうか。私たちの赤面必至の黒歴史を、彼の行動と重ね合わせてみればいいのだ。重要なのは少年が、理解不能、驚天動地の思いきった選択・行動のすえ、さらに人生を大きく変えてしまう、大切な「誰か」との出会いを果たしたことにある。


 少年が出会うのは、祈ることで雨空に晴れ間を生み出す力を持った少女だ。彼女が晴れ間を呼び出す瞬間での“出会い”の光景は、燦々とふたりに陽光が降り注ぎ、まさに神秘的である。しかし、「出会い」というものはいつだって神秘なのだ。それは何によって関係づけられているのだろうか。私たちは、その秘密を知らない。“祈りで天候を変えることができる”ーーふたりはこんな「世界の秘密」を共有することになるわけだが、「世界」とは未成年の少年少女にとってあまりに大きすぎるし、手に負えるものではない。


 彼らは雨の降り続く東京で、晴れ間を望む人たちのために“晴れ女ビジネス”なるものを開始する。しかし、誰かの望みを叶えるということは、他方、誰かの望みを無視してしまうことにもなるはずである。そうなれば、とうぜんどこかで代償を支払わなければならないだろう。この代償とは、彼らが世界の秩序を変えてしまうことに対してではなく、もっとシンプルなところにあるのだ。「世界のかたちを変えてしまった」と少年は言うが、ここで彼の口にするその「セカイ」とは、一般的な「世界」とは異なるように思える。ひとりの孤独な家出少年が、居場所を見つけた自分自身と、大切な誰かの存在との“関係”のことであるように思えるのだ。他者から与えられる想いや、自身のなかで育まれる感情は、知恵袋で知ることなんてできなやしない。


 なにか欲しいものを手に入れるためには、ときに犠牲が必要であることは誰もが知っている。それは、そこで選び取らなかった「何か」だろう。少女は、少年が自ら選んだ自分の居場所である世界のために自身を犠牲にするが、少年は世界よりも、たったひとりの少女を選ぶ。“世界 or 大切な誰か”ーーそんな天秤が目の前にあったのならば、おそらくほとんどの人が、「誰か」の方に重みがあることを願うだろう。もちろん、質量としては世界の方が重いに決まっている。しかし、そういった差し迫った状況にでもならなければ、なかなか「誰か」の存在の重みに私たちは気がつくことができないのだ。


 自らの選択・行動から生まれる転機。少年はつねに転機を生み出す、“転機の子”なのである。だが、天気がみなに対して平等に存在しているように、転機もまた、私たちにも平等に与えられているはずである。少年は、そのチャンスを絶対に逃さない。ほんの16歳の少年が、人生を棒に振ってまでも、そして、世界とを天秤にかけてまでも会いたい大切な誰か。彼が守りたいのは、“自分たちだけの「セカイ」”なのだ。家出少年の家族は、最後の最後まで姿を見せることはないが、重要なのは「血」のつながりではないのである。誰かへの胸焦がすひたむきな想いというものは、天を越え出て、やがて此岸と彼岸との境界までをも越境し、つながるのだ。本作に見られる人々の強いつながりに、そう思い知らされる。いよいよ私たちの街にも、本格的な夏がやってくる。


(折田侑駿)


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