1928年にブルガリアで生まれたA・C・スティーブンは、共産政権下の反政府活動により送り込まれた収容所を出た後、1950年代後半に渡米して映画業界に入る。そこで最低映画を連発して生活苦に喘いでいたエド・ウッド(説明不要?)と出会い、同じベクトルに意気投合。2人はドライブイン・シアター向けのヌード映画『ORGY OF THE DEAD(死者の乱交パーティー)』を完成させる。
当時創業したばかりのギャガ・コミュニケーションズの宣伝企画部に在籍していた江戸木は、50〜60年代に製作されたホラーやエロの最低映画ばかりをリリースする米国ライノ・ビデオからビデオ化権を取得した10作品のセールスに係っていた。その10本に含まれていたのが『死霊の盆踊り』こと『ORGY OF THE DEAD』。既にアメリカの少数マニアの間でカルト人気を得ていた作品だが、くだらない映画を笑いながら楽しむという遊び心は、まだ日本では熟していなかった。
江戸木はそれら10作品を1986年8月にスタジオamsのホールで『わ〜スト・シネマの逆襲』として企画上映したが、観客は一桁。『ORGY OF THE DEAD』には、コパカバーナと墓場を掛けた『ディスコ・ハカバカーナ 亡霊たちの盆踊り』という仮題(盆踊りの起源は死者の供養だけに正しい命名)を付けて売り込むも、どこも興味を示さない。だが『死霊の盆踊り』とタイトルをシンプルにするとマスコミの取材が入り始め、1987年の第3回東京国際ファンタスティック映画祭での上映が決まった......と思ったら土壇場で出品が断られた。作品を観た映画祭のお偉方が「品格に欠ける」と拒絶したのだ。