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筒井真理子×市川実日子の濃密な関係 『よこがお』は2人の女性の“恋”を描く

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2019年08月04日 10:01  リアルサウンド

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リアルサウンド

写真(c)2019 YOKOGAO FILM PARTNERS & COMME DES CINEMAS
(c)2019 YOKOGAO FILM PARTNERS & COMME DES CINEMAS

 これは本当に復讐なのだろうか。


 観終わった観客はきっとこう思うことだろう。これは紛れもなく「恋」の話なのだと。「一緒になれないならせめてあなたのようになりたい」とまで慕う女・市川実日子と、彼女に全てを壊されたために、彼女が心に棲みついてしまった女・筒井真理子の話だ。だがそれは、映画の中で決して明かされることはない。観客の想像に委ねられるばかりである。だからこそ、とてつもなくエロティックで、スリリングなのだ。


 この映画には2つの「よこがお」がある。1つは、これまでの深田晃司監督作品の多くが常にシビアに冷静に現代の日本社会の姿を切り取ってきたように、マスコミの過剰報道によって、被害者家族も加害者家族も同じように苦しめられる現代社会を描いている面である。ヒロイン・市子(筒井真理子)は、周囲から愛され信頼されている訪問看護師だったが、ある事件とある人物の裏切りがきっかけで、全てを失うことになる。一気に周囲の目線が変わるのではなく、徐々に、優しい人々が市子から目を逸らさずにはいられなくなっていく様は生々しい。


 もう1つは、前述した「恋」の物語としての一面だ。そのエロティックな美しさは、周囲から愛される訪問看護師・市子と、奔放で大胆な魅力で若い男を翻弄するミステリアスな女・リサという2つの女の「よこがお」を見事に演じ分けた筒井真理子の神々しいヌードなど表面的な描写に限らない。むしろ、直接的には描かれることのない、筒井真理子と市川実日子との間の、ある秘密の共有によって奇妙に結びついてしまった、恋愛に似た何かを示している。そしてその、決して語られることのない恋は、彼女たちでさえ予測できない感情を生み、思わぬ行動へと走らせる。2人の女たちの切っても切れない関係は、彼女たちの物語に偶然巻き込まれてしまった池松壮亮に入り込む余地さえ与えない。


 印象的な場面がある。「私、変よね」と言う市子に、「変じゃないです」と答える基子(市川実日子)は、そっと彼女の手に自分の手を重ねる。次のシークエンスで2人は走る。信号の青を示すメロディーが鳴り響く道路をひた走る2人はウキウキと無邪気で、まるで下校中の子供のよう。あるいは、ロマンスが芽生えているかのようだ。だが音楽はやがて変容し、もうすぐ赤になることを示す点滅を始める。その点滅を見て急いで向こう側へと走る基子が走りきって振り返ると、信号を渡らなかった市子が彼女を見ている。そこに鳴り響く、車のブザー音。その車の主は、市子の婚約者(吹越満)であるために、基子のつかの間のロマンスは、無残に引き裂かれる。


 この一連の流れは後に少し違った形で繰り返されることになる。その時の、息を呑み固唾を呑んで見守らずにはいられない感覚は、成瀬巳喜男監督の『乱れ雲』における、タクシーの中の加山雄三と司葉子ののぼせ上がった恋路を決定的な出来事が阻んでしまうまでの、あの不吉な雰囲気に似ている。


 しかし、これは基子の一方的な片想いに過ぎないのか。これほどまでに想われる市子は、基子の秘めた想いに揺らぐことはないのか。市子からリサと名前を変えた彼女は、本当はそこにいない基子のイメージに向かって突如、犬のように吼え、四つんばいで地面を這い走り出すように、奇妙な執着と無意識の模倣を見せ始める。


 まるで自室の窓から市子の姿を目で追うようにいつも見下ろしていた過去の基子のように、ガランとした自室の窓からリサは基子、あるいは基子の恋人である和道(池松壮亮)を見下ろしている。


 また、序盤、リサは口を開け、閉じるという行動を、美容室の鏡に向かって繰り返す。これは以前基子が市子に教えた、疲れた時のリフレッシュ方法なのだということが後にわかる。青色の服を着た基子の姿を遠くに見つけて、猛然と近づく黄色の服を着たリサが、基子を叩こうとしたのに関わらず逆に叩かれ崩れ落ちる時も、リサはパクパクと「口を開ける、閉じる」を繰り返す。そして次のシークエンスで彼女の髪色は突如緑色に変わる。まるで青色の基子を黄色のリサが取り込んで緑色に変わってしまったかのように。


 復讐しようとしているはずのリサは、なぜか基子に執着し、彼女の過去に寄り添い、彼女になろうとしているかのように見える。


 女には、2つの「顔」がある。市子が美術館で、同じ向日葵の絵でも画家によって片や生命力、片や死という両極端な主題を持つことを不思議がるように。見方によって彼女たちの姿はいかようにも変わる。


 「よこがお」というタイトルが表出される時、大方斐紗子演じる老婆が自分の丸みのある腹をさすり、妊娠と出産の話をする。この老婆と妊娠、特に丸い腹のアンバランスさは、彼女の置いた煙草のけむりと「よこがお」の文字で映画の幕が開く重要なシークエンスであるだけに、妙に異様な心地にさせる。そこでもまた、「向日葵」の絵と同じように、一人の女性に死と生両方の匂いを纏わせる。


 彼女たちの執着は、恋なのか、憎しみなのか、あるいは嫉妬なのか。最後の彼女は何を思っていたのか。それはあくまでも、観客それぞれの解釈に委ねられる。だが私は、こんなにも互いになりたいと重なり合おうとするかのような彼女たちの濃密な関係を、羨ましいとさえ思うのである。(藤原奈緒)


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