寵愛した“巨根”男性を天皇に!? 公私混同で国民総スカンの「嫌われ女帝」とは【日本のアウト皇室史】

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2019年08月10日 20:02  サイゾーウーマン

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サイゾーウーマン

堀江宏樹さん

 皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。最近では、女性・女系天皇論争の皇位継承者問題や秋篠宮家の長女・眞子さまの婚約者・小室圭を巡る一連の騒動などが注目されているものの、実は、こんなのは大した騒動ではなかった……? 「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な天皇家のエピソードを教えてもらいます!

男に突き動かされた!? アグレッシブな女帝・孝謙天皇

――前回は、ほかにも男性皇族がいるのにもかかわらず、“オトナ”の事情で女性天皇なった、女帝・孝謙天皇についてうかがいましたが、どのようなことを行ったのか詳しく教えてください!

堀江宏樹(以下、堀江) 孝謙天皇は重祚(一度退位した天皇が再び即位すること)して称徳天皇とも呼ばれていますが、前回と同様にわかりやすさを重視して、「孝謙さま」と統一しますね。まずは、皇室のお約束からおさらいしましょう。天皇が代々受け継ぐ“血統”は男子しか継承できません。また、女子は天皇に即位できても結婚が許されないので、次の世代にバトンを渡せないのです。

――この制度を現代に当てはめると、疑問点しか見つからないですが……。

堀江 昔と今では、人権の前提がまったく違うのは事実なんです。ちょっと脱線するとね、男系相続にこだわる国は、男子なら側室の子でもぜんぜんOKというのが大前提。大正時代までの日本の皇室もそういう感じ。一方、一部ヨーロッパの王室みたいに、女系相続でもOKという伝統の国もあります。でもこれは裏返せば、正室の子でないと「絶対にダメ」という意味。正室の子なら、女子でもOKということは、「王様でも浮気はダメ絶対!」というキリスト教的な道徳に縛られた結果なのです。そこから考えると、現在の日本の皇室は「側室ダメ」、しかも「男子でなきゃダメ」と、かなり“高い”ハードルを押し付けられてしまっている状態になりますね。これらの継承問題はまた後々、お話するとして、歴史の話に戻りましょう。女性天皇が即位するというのは、皇位の男子継承の流れが一時的に途絶えそうな時や、ほかに適切な男子が即位できる状態になるまでの「中継ぎ」です。

 孝謙さまが天皇に即位した背景には、母親・光明皇后の実家である藤原氏がほかの男性皇族を抑えこむという「猛プッシュ」がありました。しかし、即位はしたものの、実権は長い間、母親・光明皇后とその愛人といわれる藤原仲麻呂という男に握られ、その二人に“言われた通り”に政治を行うだけ。758 (天平宝字2) 年8月には皇位を親族の男性に譲り、淳仁天皇として即位させ、「孝謙天皇」としてはここで退位です。ちなみに譲位理由は母・光明皇后に娘として孝行したいから、というものでした。

――前回、「女性天皇は退位後でも結婚や再婚をしない」と聞きましたが、孝謙さまも結婚をしなかったんですか?

堀江 そう。ただ、上皇になった孝謙さまが、天皇であることの重責から解き放たれ、大人しく表舞台から去っていったかというと、ぜんぜん違います。ちょうどこの頃、彼女を長年押さえつけてきた、“毒親”・光明皇后が亡くなります。すると孝謙さまは、母親の愛人であった藤原仲麻呂とドロドロの関係になり……。

――母と娘で一人の男性を共有って、なんだか一昔前の昼ドラみたいな世界観ですね。

堀江 まぁ、藤原仲麻呂との関係がどうだったかは、立証はできないんですけどね。その後、次第に孝謙さまと藤原仲麻呂との関係はうまくいかなくなり、さらには母親とその愛人の言いなりで即位させた淳仁天皇にも不満が膨らんでいきます。この頃、上皇として悩み、心身の調子を崩しがちだった孝謙さまは、僧侶・道鏡からケアを受けることに。この時代は医療が発達していなかったため、医師ではなく宗教者が医療的なケアも担当していたんです。道鏡は介護僧と言われていましたが、実際は体調を崩し弱気になっていた時に世話をしていた“だけ”の関係のようです。ただ、孝謙さまは道鏡に“特別な縁”をビビビと感じてしまったようですけどね。

――ネットで道鏡と検索すると、“巨根”など下半身ネタが出てくるのですが……。

堀江 その手の下ネタは有名ですが、実は全て後世の創作。「独身女性は欲求不満だから、大きいのがお好きなんでしょ」という、セクハラとモラハラから生まれた作り話です(苦笑)。ちなみに、中国唯一の女帝・則天武后(武則天)も、その手の巨根男子寵愛説がありますが、不自然なまでにアンチエイジングに勤しんでいた則天武后の場合は、もしかしたら本当かもしれません……。ただ、「巨根が好きな女」という創作は、中国や日本では“最低の侮蔑表現”だったことは確かです。儒教の道徳では、性に積極的な女は許されざる存在だからですねぇ。

――「皇族バッシング」ともとれる、「侮辱表現」はこの頃からあるんですね。

堀江 そうそう。皇族は“生き様”で自分が存在している価値を世間に問わねばならないんです。孝謙さまの女帝としての振る舞いの数々は、客観的に見てもあまりに強引すぎたので、嫌われたのでしょう。この後、詳しく説明しますが男性皇族に天皇の候補がいるのにもかかわらず、道鏡をなんとかしてでも天皇に即位させようとして、世間からの総スカンを食らったことも。また、道鏡への“寵愛”が原因で、藤原仲麻呂たちとの仲がこじれた際には、「私が最高権力者として政治を執る! 一番大事なことは私がやるから、淳仁天皇と藤原仲麻呂は雑務でもしておけばよい!」などと言い出したそうですよ。結局、藤原仲麻呂たちとはガチの戦争になりました……。

――腕力で解決しちゃうとは、良く言えばアクティブな女帝なんでしょうけどね。

堀江  いや、それはどうだろ。戦いを選んだ時点でえらいことになります。そのガチの戦争というのが、764(天平宝字8)年に勃発した「藤原仲麻呂の乱」と呼ばれる戦。ここで藤原仲麻呂と孝謙さまは戦い、孝謙さまが見事、勝者となりました。敗者である藤原仲麻呂の一族は、(ほぼ)皆殺しされます。名実ともに最高権力者となった孝謙さまは、周囲を見渡し、「私のおメガネにかなう男性皇族なんかいない! 古代中国の易姓革命を真似て、現在の天皇家とは違う一族に天皇位を任せることにしよう!」的なコトを言い出し、彼女が慕う道鏡を天皇にしようと画策しはじめます。

――さすがにこれは公私混同も甚だしいですね!

堀江 すでにこの時代から、天皇“個人”というよりも天皇“家”という“血筋”を重視する傾向があったので、周囲の人々もさすがにダメだろ〜と困り果てていたとか。天皇家の血筋が道鏡の生まれた一族である弓削(ゆげ)氏に世襲されることになると、それはつまり、「史上初の民間天皇」が誕生してしまうことになるんですから。

 そこに和気清麻呂 (わけのきよまろ)という役人が、宇佐八幡宮から「神様が、そんなテキトーな譲位はダメだとおっしゃっている!」という神託を持ち帰りました。向かうところ敵なしの孝謙さまに、果敢にもそう報告するのですが、激怒した孝謙さまは彼のことを「別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)」という、いかにも“汚そう”な名前に改名させ、職を解任・流刑してしまいます。それにしても、すごいアレなセンス。

――穢麻呂(笑)! 有吉弘行に並ぶ悪口のセンスですね。しかし、そういう事情があって、孝謙天皇の人気は歴代天皇の中でもかなり低いんですね。

堀江 そうですね……。少なくとも孝謙さまは、「女帝はその場しのぎでしかない」という、皇室の伝統にガチで抵抗した存在だといえます。古代人の孝謙さまですら、そう感じるわけで、なんで女帝は結婚しないの? できないの? という現代人が持つような疑問は、古くからあったはず。特に当事者として、「未婚でいなさい。それが伝統だからです」と言われても納得できないことは多かったと思います。古くからの伝統であればあるほど、理性や常識に照らすと、多くの疑問が出てきますが、そういう伝統を疑わずに信じ、受け入れて、真っ直ぐに生きて行ける人こそが、男女問わず望ましい帝位の後継者だと言えるんでしょうね。

 次回以降も、歴史の中の破天荒な天皇家の方々の姿を追いかけていきたいと思います!

堀江宏樹(ほりえ・ひろき)
1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。2019年7月1日、新刊『愛と欲望の世界史』が発売。好評既刊に『本当は怖い世界史 戦慄篇』『本当は怖い日本史』(いずれも三笠書房・王様文庫)など。
Twitter/公式ブログ「橙通信

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  • 記事では、はっきりと否定しているのにタイトルには下品な表現を使うメディアは、ご皇室を侮辱し、天皇の権威を貶める為にこんな特集を続けているのか?!
    • イイネ!11
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