ホーム > mixiニュース > 地域 > 17歳で赤紙作成に携わった女性

紙切れに散った命 17歳で「召集令状」作成 鳥取の女性、次代に平和託す

183

2019年08月15日 10:21  毎日新聞

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

毎日新聞

写真女学校時代から続けている短歌をつづった紙を手に取る、西尾宣子さん=鳥取市で2019年8月12日午後4時29分、阿部絢美撮影
女学校時代から続けている短歌をつづった紙を手に取る、西尾宣子さん=鳥取市で2019年8月12日午後4時29分、阿部絢美撮影

 戦地に赴く人々に渡す召集令状(赤紙)の作成業務に携わった人がいる。当時17歳だった西尾宣子さん(92)=鳥取市。高等女学校を卒業した1945年春、県全域の徴兵事務を取り扱う軍機関で補助にあたった。「たった一枚の紙切れで人の命が引き換えになった」。終戦から15日で74年、今も拭い去ることができないつらい記憶がある。【阿部絢美】


 鳥取市中心部にあった旧日本軍の鳥取連隊区司令部近くの県立鳥取盲聾啞(ろうあ)学校(当時)の一室には、徴兵検査を受けた人の名前などを記した台帳が山積みになっていた。軍の担当者からの指示で、天井に届きそうな資料の山から該当者の台帳を探して渡す。任務を命じられたときは「『お国のため』の仕事にはいろんなもんがあるんだな」と特段気に留めていなかった。


 「○番の△号の□□(名前)(の名簿)を取ってこい!」。戦況が悪化するにつれ、自分と同世代の少年たちの名前が呼ばれることが多くなった。自分の手を介した名簿が赤紙に変わった。「事務的な作業だった。人の命はこんなにも軽いものだったのか……」と良心の呵責(かしゃく)に押しつぶされそうになった。


 上官の口調も次第に激しくなった。「女、子供は邪魔だ!」「男はアメリカ兵と戦え!」。ある日、学校の2階でオルガンを弾いていた聴覚障害の男児を怒鳴りつける場面に出くわした。西尾さんは「かわいそうに」と思い子供をなだめた。仕事は約2カ月で辞めた。


 現在は鳥取市内の自宅で、長男夫婦と3人暮らし。女学校時代から続けている短歌は「頭の体操になっている」とほほえむ。平和な世を享受する一方、当時のことは一瞬たりとも忘れたことはない。赤紙を渡された若者は今はどうしているのか、またはどういう最期を迎えたのか――。


 友人らは次々鬼籍に入り、戦争の記憶の風化も懸念する。「北方領土、沖縄。残された課題はいっぱいある。私たちの代で解決できなかったが、次世代でなんとかしてほしい」と願っている。


このニュースに関するつぶやき

  • 人間なんて放っておいても数十年で死んでしまうのに、わざわざ大量殺戮しあう発想が分からない。敵の弾を減らすために人の命を使うんですよ。馬鹿すぎる。代理戦争システムでも作っては?
    • イイネ!2
    • コメント 0件
  • そうか、当たり前だけれども、赤紙を作っていた人もいる訳ですよね。貴重な証言だな。それにしても、聴覚障害の子どもを殴ると戦争に勝てるとでも思っていたのか、その上官殿は。
    • イイネ!106
    • コメント 8件

つぶやき一覧へ(129件)

あなたにおすすめ

ニュース設定